東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 聞くところによると、男は商家の出であるらしい。

 大宿直村の位置が位置だけに正確な表現ではないが、一応は隣の町から来たのだという。

 

 次男坊だが既に妻を得ており、父や兄の手伝いをして過ごしていた。

 しかし流行病、つまり疱瘡の大禍によって兄と多くの親類を亡くしてからは、自分が後継の座に据えられた。

 なので金はある。心配しないでほしい。

 

 男は身の上話の中で、特に自分の懐の豊かさについて主張しているようだった。

 

「なるほどねぇ」

 

 明羅だけに丸投げするのも難しかったので、それらの話は出てきたミマも聞いている。

 相手が歩きとはいえ巫女ならば、男も気兼ねなく話せるのだろう。口は軽い。

 

 だがミマも明羅も、話の中に潜む不信感をしっかりと感じ取っていた。

 そもそも会ったばかりの他人に対し、先に自分から金のあるアピールをする間抜けな商人などいないということ。

 そして単純に、男の憔悴した顔から滲み出る臆病な卑しさが鼻についたのも大きい。

 厄介ごとの気配は顔に出るのだ。

 

「それで、ですね……謝礼ならば致します。なので、どうか……妖怪となった私の妻を、どうにか葬っていただけないものかと……」

「……妻が妖怪になった? どうしてさ」

「……何か悪い呪いにでも、かかってしまったのかも」

「心当たりはしっかり話しておくれよ。言っておくが、妖怪退治ってのは因果関係をはっきり解消しておかなければどうにもならない奴が多いんだ。私たちに頼むなら、隠し立てせず全部話せ。できないなら、帰ってもらう」

 

 ミマが眼光鋭く言うと、男は肩を竦めた。

 卑怯だが押されれば萎縮する小物。当然、印象はよろしくない。

 

「……隠さず話す気があるなら、村についてきな。こんな獣道で長話するのは御免だからね。明羅、見回りの続きをお願いできる?」

「お任せを」

 

 暗に“他に潜んでいる奴がいないか警戒してくれ”と明羅に頼み、ミマは村へ踵を返した。

 男が同じようにその背を追うのに、さほど時間はかからなかった。

 

 

 

 村へ続く丸太橋の近くで、男は水を飲み、足を洗った。

 村の中へは招かず、手前のここで詳しい話を聞くことにしたらしい。

 

 男は喉を潤した後、観念したように大きな息を吐いた。

 

「……妻は疱瘡で死んだのです。私が行商に出て、家を空けている間に」

「行商ね」

「……行商です。嘘ではない。実際、仕事はしていた……けどそれも、まやかしというか……家を出る前に、妻が疱瘡にかかったことは知っていて……妻から逃げるために、行商に出たのです」

 

 疱瘡は最盛期よりも沈静化してはいたが、未だに多くの死者を齎す疫病だった。

 この時代に細菌やウイルスといった概念がなくとも、家の者がかかれば自分にも降りかかり得るものであるという経験則は存在する。

 

 本来ならば時期外れだし、行く必要のない行商だった。

 それでも彼は家を飛び出した。妻を見捨てるために、旅に出たのである。

 

「必ず帰ると……薬を買ってくると……できも、するつもりもない約束をした。病床の妻に……あいつは痘痕まみれの酷い顔で、けど信じ切ったように、笑ってたんだ……」

「で、あんたは結局妻が死ぬまで家に帰らなかったと」

「……」

「最低ね」

 

 ミマの言葉に、男は歪めた顔を勢いよく上げた。

 

「し、仕方ないだろうが! 私が後継だ! 私は死ねないのだ!」

「その大事な大事な後継が、一人でこんな辺境まで来たのかい? 護衛も、荷物持ちも無しにさ。……随分と寂しいことじゃないの」

「ぐっ……それは……」

 

 男はしばらく唇を噛んで震えていたが、すぐに脱力すると、小川に両足を浸して座り込んだ。

 

「……妻の亡骸が、夜な夜な動き出すのです。夜とともに起き上がり、私を探すように……人とは思えぬほどの速さで、野山を駆け回る」

「……続けて」

「私も直接見たわけではない。家の者が見たという話を聞いただけにすぎないのです。ですが、あいつが……呪詛を吐きながら、家中を怪力でひっくり返して探し、それでも見つからないと、外へ飛び出し、駆け回る……皆、そう言っています」

「その話は本当なのかしら」

「間違いない。屋敷に戻ると私の家は盗人に入られたかのように荒れていて、かといって何も盗まれるでもなく……何より、家にいる者らが皆怯えていた」

 

 そこでようやくミマと明羅は顔を見合わせた。

 確かに男の言う通り、事態は穏やかでなく、退治屋を必要とするものであるらしい。

 

「今日も夜になれば、またあいつが動き始める……! 頼むよ巫女様。どうにか妻を葬ってくれ……!」

「まぁ……確かに有害そうな手合いだね」

「やるのですか、ミマ様」

「やるしかないでしょうよ。まぁ、聞く限りではそう難しい一件でもなさそうだ」

「! あ、ありがとうございます! お金ならば……」

「嘘をつくな」

 

 男の卑屈な笑みを、ミマの一言がピシャリと打ち据えた。

 

「金なんざ残ってないんだろうが。疱瘡が広まって、人が大勢死んで、かと思えばあんたは夜中家を空けて、中は妖怪に荒らされて……残った連中はみんな家財を持って夜逃げしてるんでしょうが。逃げない方がおかしいってもんだよ。違う?」

「……」

 

 男の身なりは良い。だが、それも数少ない金持ちだった頃の名残でしかない。

 ミマの指摘通り、彼はもはや商家の後継でもなんでもない、ただ妻の怨念に追われるだけの哀れな男でしかないのだ。

 

「……お願いします。後生です。お願いします! なにか……何か探せばあるはずなのです! だから、あの妖怪をどうにか……! 殺されてしまうんですよ私はっ! そんなの嫌だ! 死にたくない!」

「虫の良い男だね……自分は見捨てておきながら、いざとなれば成仏しろってわけ? ……そりゃあこんな手合いばかりじゃ、陰陽師だって嫌気も差すだろうね」

「助けてください! お願いします!」

 

 男はすでになりふり構わず土下座をするばかりだ。

 実際、もはや彼もそれしか手が残されていないのだろう。

 

「……余所者が勝手に作った妖怪の退治。もちろん、私らもタダで退治はしない。けど、金のかからない退治の仕方ならある。その方法なら、教えてやっても良い」

「な……ほ、本当ですか!」

 

 土まみれの額を上げ、男は希望に目を煌めかせた。

 

「ああ本当だとも。うまくいけばちゃんと退治できる筈だよ。ただし……簡単ではないし、きっとあんたは恐ろしい目に遭うだろう」

「……へ?」

「それでもやるっていうなら、教えてあげるよ。退治の仕方をね」

 

 不敵に笑うミマの表情は、どう見ても好意的なものではない。

 しかし縋れる藁はそれしかない。男は内心に巨大な不安を抱きつつも、頷く他に手はなかった。

 

 

 

 妖怪と変じた男の妻。

 それを退治するためには、妻の亡骸が必要不可欠だ。

 

 男は恐れるあまり何度も首を横に振っていたが、ならば勝手にどうぞと言われてしまえばなす術もない。

 彼は全身をガクガクと震わせながらも、足早にミマと明羅の二人を案内した。

 

 目的地は、男の住む町である。

 

「……酷いな」

 

 町は小山をいくつか越えた先にあった。

 町といえば町かもしれないが、ほとんど村と変わりはない規模である。男は商家の出身と嘯いていたが、それもどこまでが本当なのかは怪しいように思えた。

 だが仮に嘘だとしても、こちらに退治をさせるための嘘なのだろう。襲うための罠ではなければ、特に警戒する必要もない。

 

「村だとしても、これじゃあ廃村だ」

 

 男の町は荒れ果てていた。

 疱瘡によって亡くなった者の古い遺骸があちこちに転がっているのだ。

 川に浸かっているものもあれば、路傍で土山を被せているものもある。草むらの向こう側で飛び交う蝿の下にも、きっと打ち捨てられているに違いない。

 

「仕方ない。みんな触るのも嫌がるんです。古いやつなんかは動かしたくもない……」

「……あんたら、前に川へ棄てただろう。疱瘡で亡くなった仏を、いくつもさ」

「……ええ、棄てたと聞いてますが」

「二度とやるな。うちの村まで汚される。もし次やってみろ。ただじゃすまないぞ」

「は、はい……」

 

 かつて村の近辺の川が死体に汚染されていたことがあったが、それはこの町が原因であったらしい。

 頼み込む厄介ごとから過去の死体遺棄やら、ろくなことをしない町である。すでにミマも明羅もやる気はだだ下がりであったが、ここまで来たら引き返すわけにもいかなかった。

 

「そろそろ日が暮れる。その前に、あんたの妻の亡骸まで急ぐよ」

「ほっ……本当にあいつの所へ!? し、正気じゃない……!」

「さっきからなんだ貴様は。ミマ様に対してその態度……ミマ様、こいつはこの場で斬り捨てるべきかと」

「やめときな明羅。仕事は仕事でやらなきゃだめよ。それに、あんたの剣が錆びちまう。つまらないでしょ。そんなのは」

「……は。ミマ様がそう仰るならば」

 

 そろそろ夕陽が沈む頃合いだ。

 夜になれば、妖魔が活発に動き始めるだろう。

 

 ある者は、生前の強い想いを果たすために……。

 

 


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