暗い星。明るい星。
“眺望遠”は、あらゆる星を映しだし、宇宙の姿を私に見せてくれる。
アマノの最上部で術を覗き、夜空を見上げる。
一切の淀みがない澄んだ大気は、巨大な塔の頂点にて更に薄く、闇の世界を克明に見せてくれる。
今まで存在を知れなかった星を見つけては、記憶の中に書き留める。
遠すぎる星はなかなか魔術の手助けにはならないが、果てしない宇宙の情報は、どれだけつぶさに観察しようとも、果てがない。
長い時間の中にいる私にとって、こうして広い世界をぼんやりと眺める時間は、なかなか心地よいものである。
見慣れた星をよく眺めてみるのも、また格別だ。
「おや」
そんな軽い気持ちで、月を覗いたのだ。
月は魔術において、大きな力をもたらしてくれる重要な衛星である。
ちょっくら大きなクレーターの様子でも観察してみようと、私が“眺望遠”を月に向けたところ……。
「なんか、変だな」
『何がよ』
“眺望遠”にて見られる月が、どうもおかしい。
最大のズームでクローズアップされた月の表面には、かつて聞いたことのある“月の兎”の影絵が、どうしても見られないのだ。
数億年経って初めて気付いた事実である。
しょうがないでしょう。月の模様を疑ったことなんて、一度もないんだから。
「んー……月の表面って、そんなに変わるものなのかな」
『月がどうかしたの?』
「どう、ってわけでもないんだけど……私が以前に見た時と較べて、随分と様変わりしてるなと思ってね」
月の表面は、兎が手杵を持って臼を小突いている影絵が特徴的だ。
しかし今私が見ている月には、その兎らしいものが、断片的にしか存在しない。
模様全体で見れば似てなくもないが、兎としての面影はほとんど皆無だと言えた。
『随分、悩んでるわね』
「うん、気にし始めると、どうしてもね」
これから巨大な隕石が月に墜ちて、表面の模様がガラリと変化してしまうのだろうか。
それとも、月では表面の模様が変わるような現象が起こっているのだろうか。
……想像はいくらでも膨らむ。
これだから、宇宙は飽きなくていいのだ。
『気になるなら、見に行ってくれば良いんじゃないの?』
「え」
『月に』
あっけらかんと言い放つアマノに、“そんなコンビニとかスーパーじゃないんだから”と思いつつも。
“ああ、行けばわかるか”とも思ってしまう私なのであった。
魔法使いは宇宙に行けるのか。
そう問われると、私はすぐには頷けない。正直、可もなく不可もなくといったところだからだ。
では、私は宇宙に行けるのかといえば、答えは即答で、イエスである。
人間にとっては、気温や空気の問題があって非常に難しい宇宙旅行でも、私ならば全く問題ない。
実際に行ってみたことこそないけれど、無重力かつ真空空間であっても、きっと私は生きてゆけるはずだ。呼吸は必要としていないし、身体だって膨張するまでもなく、既にカラカラなのだから。
なので、問題は月へ行くまでの動力と軌道だけだと言って良い。
いや、むしろその問題すら、“月時計”や“浮遊”を持つ私にとっては、無意味なのかも。
月は魔力の源だ。その源に近づくということは、それだけ魔力供給が増すということである。
宇宙空間では地球ほどの重力もないだろうし、むしろ月へ行く最中の方が楽かもしれんね。
「盛大なプロジェクトになるかと思ったんだけどなー」
じっくり考えて一時間ほどで、私は月への旅行を決定したのだった。
なんていうか、失敗する気がしないです。
「じゃあアマノ、今から月に行ってくるから」
『行ってらっしゃい。どんな様子なのか、後で聞かせてよ』
月へ行くってのに、行ってらっしゃいかつ後でときましたか。
まぁ、実際私もそのくらいのノリで言ったんだけどさ。
アメリカとソ連が見てたら地団駄踏んで足跡を残しそうなやり取りだ。
計画は、こうである。
“月時計”と“算術盤”を発動させながら、高出力の“浮遊”で空を飛び、大気圏外を目指す。
大気圏外を出たら、“月時計”の指示に従い、引き続き飛ぶ。長旅になるので、加速できるだけ加速する。
“算術盤”は算術の基礎的なもので、魔力分割によって動く計算機のようなものだが、今回はこれを正確な秤として用い、安定した飛行の補助装置とする。
以上。最終的に月に着陸(着弾)する。それだけ。
うん、特に説明もいらない計画だったね。飛ぶだけじゃないかと。実際飛ぶだけなんだけどさ。
ただ、軌道を逸れて地球とは全く別のところへ飛ばされることを考えると……万が一そんなことになってしまったら、ちょっと怖くなる。
鉱物と生物の中間的な存在になって宇宙空間を彷徨い続けて最終的に考えるのをやめた人にはなりたくないものだ。
それを防ぐための“月時計”ではあるのだが……。
「行ってきまーす」
『はいはい』
色々と思うところはあったが、私は宇宙へ向けて出発したのであった。
あ、月の石も拾ってこなきゃ。もしかしたら神綺の作った謎生物が進化するかもしれないし。