神主にとって、玉緒は実に教え甲斐のある弟子であった。
「浮遊を維持しろ! わずかでもいい、動き続けるのだ! 非力な人が地に足つけては、妖怪を相手取ることなどできんぞ!」
「はいっ!」
「そうだ、そう避けるのだ! 急激に進路を変える必要はない! 身を捩り、躱せば良い!」
教えれば教えただけ吸収する。
語りかければ語りかけただけ理解し、飲み込む。
魔法や総合的な戦力でいえばまだまだミマに遠く及ばないが、成長速度が凄まじい。霊術の潜在能力で言えば、自分に比肩するのではないかと思うことも多い。近頃は、確信に変わりつつすらある。
「あうっ……!」
「背後にも気を配れ! 常に誰かが守ってくれるとは限らん!」
「は、はいっ!」
札をばらまき、操り、回避させる。
妖怪とは高位のものになればなるほど、理不尽な攻撃を繰り出してくるものだ。
それは以前闘った宵闇の妖怪ルーミアの時にも学んだことだろう。
人は妖怪の攻撃一発であえなく沈む。であれば、まずは徹底して避けを学ばせるべきだと神主は思ったのだった。
命あっての物種だ。生きてさえいれば機会は作り出せる。
少なくとも、強大な敵から逃げられるまでは伸ばしてやりたい――。
「よし、反撃!」
「……! えいっ!」
「良いぞ! 悪くない……が、避けを忘れるなッ!」
「あうっ」
かつて神主は、弟子を持っていた。
よく出来た弟子だ。まだ年若く、将来のある若者であった。
ちゃらんぽらんな自分を慕ってくれて、純粋に技術を認めてくれた男だ。
だが彼は自分の謀殺に巻き込まれ、死んでしまった。
彼の死に名誉が残ったのかは、今では神主にはわからない。しかし少なくとも、死ぬ意義も意味もなかったことだけは確かだ。
あの子のために変わってやりたかった。夜ごとに何度悔いたのか、もはや数えることも億劫になる。
玉緒を陰陽術の弟子と受け入れてから、あの頃の気持ちが蘇ってきたように思える。
失ったはずの大切なものが、再び手元に帰ったかのような。
いや、失われた命は戻ることはない。戻ったとしても、きっとそれは歪んだものになるのだろう。玉緒をかつての弟子と重ね合わせるべきではない。神主もそれはわかっていた。
だからこれは、新たな一歩なのだ。
あの頃より囚われ続けていた、鬱屈した己を再び奮い立たせるための一歩。
玉緒を一廉の陰陽術士として育て上げることで、未来へと進んでゆく。
彼女とならば、過去を振り払い、その先の人生へと向かってゆけるはずだ。
「はあ、はあ……えへへ、神主様。どうでしたか?」
「! ……ああ、良かった。腕をあげたな……玉緒」
「はいっ! ありがとうございます!」
だが、それはそれとして。
神主は年甲斐もなく、まだ若々しい彼女の純朴な笑みに見惚れることが多くなっていた。
玉緒と神主の出会いは最悪に近いものだった。
人と半妖。退治屋とその対象。大人と子供。
年齢だけは神主の勘違いで低く見積もられていたが、それ以外ではなかなか噛み合うことのない二人だった。
「玉緒。それは栗かね」
「はい。今の時期は、ごちそうですからね」
「……どれ、私も手伝おうか。そら、籠を貸しなさい」
「あっ……はい。ありがとうございます……」
「……気にするな」
しかしどうだろうか。今の二人には、かつての啀み合う空気は微塵もない。
ミマは多忙故に顔を合わせる機会も減っていて、まだ二人が仲直りの最中にあるものと考えているようだが、それは違う。
既に二人は仲違いなど遠い過去のように忘れ、急速に惹かれつつあった。
玉緒は半妖である。髪は赤く、側頭部には異形の角を生やしている。
見た目の年齢と実年齢も合致しない。
だが角を含めたとして、見てくれは美しい少女そのものであり、何よりこの時代において、彼女の見た目年齢は決して倫理に反するものでもなく、至って普通のものだった。
「神主様」
「ん、なんだ?」
「……いいえ、なんでもございません」
「……ふ。なんだなんだ」
「うふふ、なんでもございませんよ」
神主は年齢こそ少々行き過ぎた感こそあるが、長年霊力の修行を続けてきた彼の見た目は若々しい。
元より顔立ちも端正で、都育ちであるが故に村の誰よりも垢抜けていた。
両者とも人間的にも魅力的だった。
神主はユーモラスで、玉緒は奥ゆかしい。両者にとって、互いに好ましいタイプだったのかもしれない。
魅力的な者同士、惹かれ合うのは必然だったのだ。
「玉緒。ミマ様と明羅殿とは、仲良くやれているか?」
「はいっ。お二人共、優しくて。ミマさまは魔法についても教えてくださって。とてもとても、素晴らしい方々です!」
「うむ。それは良かった。ミマ様は私の師でもあるからな。ここでの修行に力を尽くすのもいいが、失礼の無いよう、向こうでもしっかり手伝うのだぞ」
「もちろんです。ミマ様のお役に立てるよう、精一杯頑張ります!」
純粋な笑顔が、眩しい。
愛らしい女性だ。
半妖であることなど抜きに、掛け値なく。
「……で、ですが」
「ん? な、なんだ玉緒」
玉緒は頬を染め、もじもじと指先を捏ねた。
「……いつかは、神主様のお役にも立ちたいです……」
「……」
「で、ではっ! ありがとうございましたっ!」
言うだけ言って、玉緒は忙しなく階段を駆け下りていった。
残された神主は未だに呆然と、先程投げかけられた言葉が頭の中に響いているようだ。
いや、言葉だけではない。言葉だけではなく、あの恥じらいのある表情。声色。
「……いかんな」
顔を見られなくて良かった。玉緒がすぐに帰ってくれて助かった。
もしもそのままじっと見つめられていたならば、この紅潮を隠し通すことなどできなかっただろう。
「ああ、いかん。いかんなー……ほんとに……」
紅に色づいた葉が、ひらりと境内に舞い落ちる。
それは、神主の初恋だった。