東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 神主と玉緒は、仲を深めつつあった。

 そのほとんどは、お互い不器用なりに、少しずつ手探りしてゆくような淡い交流である。

 だが、淡い色も重なれば色をはっきりと映し出すもので、特に察しの良い周囲の人間などは気が付くものだ。

 むしろ、この二人の間柄が色恋のものへと変じつつあると発覚するのは、随分と遅い方であったと言える。

 

「でも、まさかねえ……」

「しかし神主さんのあんな顔、私は初めて見たよ」

「驚きだぁ……」

 

 それは村の誰もが、神主と玉緒の二人が相思相愛の仲となるなど、微塵も考えていなかったためであろう。

 

 村人たちの勘違いだったのだ。

 神主とミマがお似合い。傍目から見てそうであったとしても、神主がミマに抱いていた想いはあくまで敬愛や親愛に近いもので、男と女としてのものではない。

 

「……すみません、そこの……御婦人方。今、何の話をされていたのでしょうか」

「ああ、明羅様」

「これは、明羅様。いつもありがとうございます。いえね、私も小耳に挟んだだけで……」

「いえいえ、ですがきっと間違いはないことなんですよぉ」

「玉緒の話でしたか。あの子がどうかしたのでしょうか」

 

 明羅も似たような認識だった。

 ミマと神主は上手くいっている。むしろそろそろ背中を押すべきかと悩んでいたほどで。

 

「玉緒ちゃんと神主さん、好き合っているみたいでねえ」

「え……」

「意外なのよねぇ。けどあの雰囲気は間違いなく……」

 

 だからそれは、あまりにも寝耳に水な話だったのだ。

 

 

 

「あ、明羅様。おかえりなさいっ」

「……玉緒か」

 

 明羅が屋敷に戻ると、玉緒は明るい笑顔で迎えてくれた。

 どうやら雑巾がけの最中であったらしい。いつもなら健気なものだと、感心して褒めたり、何かおやつの一つでもあげていたのかもしれない。

 しかし今日の明羅はどうにも、彼女に対して柔らかな態度が取り難かった。

 

「明羅様……?」

 

 それでも玉緒は敏い子だ。いつもと違う態度を見せる明羅に気付くと、いつもの純朴な目で、心の底から心配そうに見つめてくる。

 明羅はそこに悪意がないことを知っている。しかし一瞬だけ、玉緒の本質を疑いそうになってしまった。

 半妖であるからと、もしかしたらと。己がされれば堪えるであろう先入観を持ってしまったことを、明羅は強く恥じた。

 

「玉緒」

「きゃっ」

 

 明羅は玉緒の細い体を強く抱きしめた。

 

「な、なんでしょう? 明羅様……? あの、私まだ掃除の途中で、汚れていますから……」

「いいや。玉緒は決して、汚くなどないよ」

「……?」

 

 玉緒は明羅の中でどのような思いがあったのか、深く訊ねることはなかった。

 ただ言葉無く抱きしめてくれたそれには、確かな愛情が感じられる。玉緒にとってはそれだけで充分だったのだろう。

 二人はしばらく、玄関前でそのようにしていた。

 

「……さて、玉緒」

「はい」

 

 先に離れたのは明羅の方だ。

 

「……今日はこの後、少し手の込んだ料理を教えてあげよう」

「わ、本当ですか!」

「もちろんだとも。神主に食わせたこともある料理でな。その時は美味いと言ってもらえたものだ」

「!」

 

 その時、玉緒の表情に赤みが差したのは、きっと明羅でなくとも気付けるものだっただろう。

 

「奴は味にうるさいのでね。それでも認められたということは、この村においてはなかなかのご馳走ということになる。気になるか?」

「はい!」

「そうか。では、玉緒にも手伝ってもらおう」

「お任せください! ……あ、ですが、まずは掃除を終わらせてからで」

「ふ……そうだな。では、先に支度している。準備ができたら、手を洗ってから来るんだよ」

 

 

 

 ミマの屋敷には、囲炉裏の他にも火の調理に不自由しないだけの専用の設備があった。

 以前暮らしていた人々は食道楽だったのかもしれない。だが本人に聞こうにも既に彼らは居を移しているし、ほとんどは病に倒れている。確かなことは誰にもわからない。それでも、初めて明羅が屋敷を訪れた際には竃の灰が美しく整えられていたので、きっと人並み以上の愛着はあったのだろうと、勝手に思っている。

 

「しっかりと細かくなるまで潰すんだぞ」

「んしょ、んしょ……はいっ……!」

 

 玉緒は小さな体をいっぱいに使い、沢蟹や海老を鉢の中で潰している。

 長い髪は側頭部から伸びる角に巻きつけて邪魔にならないようにしているらしい。普段から角の大きさに悩まされている玉緒だが、村に来てからはわざわざ隠すこともなくなったので、最近は使える場面では便利な道具として使っているのであった。

 明羅は甲殻類よりもずっと硬い穀物を砕いていたが、しばらく続いた沈黙を狙って、口を開いた。

 

「なあ、玉緒」

「んっ……はいっ?」

「お前は、神主のことを好いているのか?」

「はうぁっ」

 

 思いがけない言葉に驚いている。危うく蟹のペーストに手を突っ込みそうになったが、すんでのところで留まれたようだ。

 

「な、な、なぜ神主様のお話を?」

「いや、な。この料理は神主の好物であるから、思い出したのだよ。玉緒も近頃、神主の所へ行くのに嬉しそうにしているからな」

「……あの。明羅様、ひょっとしてそれを聞くために、わざわざこの料理を作っているのではありませんか」

「まさか。そんな面倒なことはしない」

 

 と言いつつも図星である。

 明羅は凛々しく賢しいように見えるが、その実は企みや探りに長じていない、馬鹿正直な人物なのだった。遠回しに聞くためだけに発案した今回の料理も、まさに彼女の不器用さが成せるものである。

 だが幸か不幸か、玉緒もまさか明羅がそこまで面倒なことをするとは思わなかったのだろう。訝しむこともなく、妙に納得したようだった。

 

「……私、そんなに顔に出ているのでしょうか。……恥ずかしい」

 

 それは恋慕の肯定だった。

 明羅は恋心に聡くなかったが、今この時の玉緒はまさしく、恥じらう少女そのものだったのだ。

 

「……会った時は仲も悪かっただろう。いつからそのようになったのだ」

「明羅様……私、顔から火が出てしまいそうです。お許しください……」

「ん。でも気になるものは気になる。誰にも言わない。聞かせてはもらえないか?」

「ああ、そのような……私、詩など謳えませんよ」

「人の魅力は詩歌だけではあるまいよ。言葉でいい」

「……前の、宵闇の妖怪と闘った辺りからです。神主様が、本当は意地悪ではなく……その、とても勤勉で、勇気があって。そういう、素敵な方であることに気付かされて……」

 

 明羅は話を聞きながら、無言で塩をひとつまみ舐めた。

 

「それから、神主様に教わることが増えて、会う機会も増えると、それからはもう……どんどん……あの、明羅様。もうよろしいですか」

「あ、ああ。大丈夫だよ。恥ずかしい思いをさせてすまなかったね」

「……もう、本当ですよ。とても恥ずかしかったです。誰にも言わないでおいてくださいね」

「もちろん」

 

 玉緒は茹で上がったような顔をぱたぱたと仰ぎながら、もう潰す必要のない蟹汁をさらに潰していく。

 

「……明羅様は、お慕いしている方がいらっしゃるのですか?」

「ん? 私?」

「はい。明羅様は……村の方に、慕われているようですから。気になっていて……」

「はは。私がか。ま、御婦人方からは、そうかもしれないけど」

 

 男装が嵌っていることもあって、明羅は女受けする立場にあった。が、今の玉緒はそのようなことを聞きたいわけでもないだろう。

 

「私は、ミマ様に惚れている。あの方に助けられて以来、ずっとそうだ。あの方を離れて他の男のもとで暮らすなど、考えられないな」

「み、ミマ様ですか! し、しかしあのっ、ミマ様は女人ですよ……?!」

「ああ、そうだな。しかしね玉緒。人間、生きていれば男や女に拘る必要もなくなるのだ。身体の違いなどではなくね。その者の魂に惹かれることも、多くなるのだよ。まして、私のような半妖なんかはね。……まぁ、私の場合、玉緒のそれとは違うかもしれんが」

 

 玉緒も若作りとはいえ、まだ二十と少しだ。明羅と比べれば人生経験はその何倍もある。まだまだ玉緒に理解できないこともあるだろう。

 明羅は彼女の頭を撫で、微笑んだ。

 

「……自分が半妖であることを、疎ましく思うか。玉緒」

「……はい」

 

 自分の角をさすってみれば、それは人間には無い質感が感じられる。獣か妖怪か、人ならざるものの証だ。

 努力はしている。しかし、受け入れようとすればするほどに、普通の人間との違いは歴然と表われる。

 ついこの間まで自分をからかっていた男の子の背丈が、自分を置いてどんどん伸びて行くのを見て、考えることも増えた。

 

「大丈夫だよ、玉緒。お前の清らかな心は、誰しもわかっているさ。半妖だからと、何に遠慮することもない」

 

 言い聞かせ、明羅は脳裏にミマの姿を思い浮かべた。

 

「お前は大人だ。……玉緒、お前は自分自身の、好きなように生きていいんだよ」

 

 きっとミマもそう言うに違いない。

 

「明羅様……ありがとう、ございます」

「うん」

 

 鳥籠の少女がようやくここで自由を手に入れたのだ。

 優しく、努力家で、悪いところなど何一つとしてない真っさらな子だ。

 

 そんな彼女に、無関係でしかない自分はなんとすればいい? 

 善良なる明羅は、その背を優しく押してやること以外にできることなどありはしなかった。

 

 

 


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