東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 静木の小屋に生活感がないという話は聞いたことがある。

 以前、村人が静木の不在を訝しんで中を検めたのだという。曰く、家具も寝具もなかったとか。

 今ではミマは納得している。なにせ静木は人間ではないのだ。人間に必要なものが存在しないのは当然とも言えた。

 だから小屋に入って、そこがまともな場所だとは思っていなかったのだが。

 

「おお……?」

 

 しかし実際には、内装は聞いていた話よりも随分と違っていた。

 竹をメインに組み上げられた家具、積み上げられた巨大な瓶、用途のわからない配管など様々だ。

 生活する場所としてはどうかとは思うが、そこは決して殺風景ではない。

 

「最近になってから、色々とやり始めてね。少し物が多いけれど、まぁそこに座って」

「……あ、ああ」

 

 座れと促された先には、この時代からすると高い椅子だ。四足と背に壁面のある、奇妙な椅子である。

 木製だが、座面には革が張られている。ミマがそこをなでてみると、革にしては柔らかな感触が返ってきた。中に何か詰めているのだろう。

 

「お、おー……おお」

 

 ミマが腰を下ろしてみると、思っていた以上に収まりが良いことに気がついた。

 着崩れは気になるが背面の壁も体重を預けるにはそこそこ機能的であるように思えたし、何気なく左右(肘掛け)に置いてみた腕は、少しだけ肩の荷を軽くしてくれたような気がした。

 一つ文句があるとすれば胡座をかけず、中途半端な高さであるために作業や食事には向かないことであろうか。それ以外で言えばミマの期待以上の座り心地はあった。

 

「さて、玄爺にはこれを」

「ほほう、どれどれ」

 

 静木は純白の美しい大皿に見慣れない野菜の輪切りをいくつか盛り付けて玄爺に差し出した。

 ミマが椅子に見とれている間に切ってしまったのだろう。

 端を重ねる独特の盛り付けは見慣れないが、ミマにはそれが不思議と洗練されたもののように見えた。

 

「ふむ……おお、これは。実に美味……慣れない味ではありますが、滋養を感じさせますな」

「気に入ってもらえたかい」

「うむ、うむ……ええ、とても。けちのつけようもありません。……しかし、一つだけあるとすれば……儂はもう老骨であります故、もっと水のような作物の方が、適しているようには」

「なるほど。確かに、少々栄養過多だったかもしれない。……ふむ、やはり胡瓜のようなものが良かったか」

 

 見てみると、静木の小屋にある物は全て何らかの研究か、製作に使われるものであるようだ。

 今も根菜のいくつかに針を刺したり、特定の容器にしまい込んだりしている。

 ミマも瘴気の森から触媒を得た際には似たような作業をするので、心当たりがないでもなかった。

 

「ああ、そうだ。ミマにはこちらを味わっていただこう……っと、テーブルがなかったね。ほい」

「なんだいその板は」

「これをこうして、こうじゃ」

「おっ? すごい」

 

 静木が部屋の片隅から持ってきた重ねた板のようなものは、すぐさま足の長いテーブルへと早変わりする。

 四脚も梁となるパーツが組み上がることによってしっかりと固定され、不安定さは全くない。

 こうしてミマの前に用意すると、高すぎると思われた椅子が突然ちょうどよくなるのだから、不思議なものである。

 

「へえ、こうして板の下に脚が隠れるわけか……面白いねぇ」

「まぁまぁ、それは単なる機構だから。本題はこちら」

「おっ。ありがとう。それがお酒ね」

 

 ミマの前に出されたものは、艶のない灰色のお猪口が3つ。

 それぞれ無愛想な色合いだったが、ミマの知るどのような器とも違う質感であるように見える。

 

「あら、綺麗な色がついてるのね」

「うむ。特製でね。製法が違うんだ。濁っているものとはまた違ったものだよ。もちろん私は常識人なので、これらに毒は入っていない。安心して飲み比べて、気に入ったものを教えておくれ」

 

 灰色のために少々分かりづらかったが、3つのお猪口はそれぞれ別の酒が入っている。器が同じ色だったため、色の違いが顕著に見えたのだ。

 右端のものは澄み切った透明に見えるが、左にいくほど薄い狐色を帯びている。

 口をつけていないのでまだ味はわからないが、こうして目の前に置かれた器から漂う酒精の香りからして、既に名酒であることは疑いようもない。

 

 美味いに決まっているものを前にして行儀よく器を手の中で回す文化など、この時代には無かった。

 

「いただこう」

「どうぞどうぞ」

 

 まずは左から口をつける。

 

「んっ」

 

 芳醇な香り。澄んだ辛味。菓子のような甘み。

 宴の時にも思ったことだが、自分たちが飲んでいる酒とは全く違うものだ。

 

「……いや、美味しい」

「おお、ありがとう。口に合ったようでなにより」

「そりゃ合うさ。合わない人のが少ないよ……これが妖怪の酒ってやつなの?」

「ふむ、他の妖怪がどんな酒を飲んでいるのかは知らないけども……しかし人間に真似できない酒ではないと思うよ」

「製法の問題ね」

「いかにも。なんだってそうだよ。人間にできないことなんてほとんど存在しないさ」

 

 だといいがね。ミマは口の中でそう言って、隣のもう一杯を口にした。

 こちらも美味い。まろやかで、深みがある。神社での宴に向けて意気揚々と支度している酒飲み連中のこと、あながち馬鹿にもできない魅力がある。

 

「できないことなんてない、ねえ……」

「何か悩んでいるのかい、ミマ」

「いーや……別に……悩んでいるように見えた?」

「うーむ」

 

 静木が鮫仮面をミマに向けると、しばらく腕を組んで唸り始めた。

 

「どうなのよー」

「……いや、実のところ私はそういうの、得意じゃなくてね。人が悩んでいるかどうかというのは」

「あっはは……当ててみなって。あ、できれば何に悩んでいるかってのも言ってみてよ。面白そうだ」

「ふむ、クイズか……うーん……難しいな」

 

 あまりにも生真面目に悩んでくれるものだから、ミマはおかしさに少し笑けてしまった。

 得体のしれない者とはいえ、自分を気にかけてくれる存在がいる。そう思えば、寂しさはあれど、孤独ではないのだと実感できる。

 自分の悩みが、ほんの少し紛れる気分だった。

 

「わかった。他者の作った呪いを再利用し効率よく強化する魔術について悩んでいる。これだね?」

「ぶふっ、わかんないけど多分はずれだよそれ」

「なんと……え? 本当に悩んでない? 解呪とか鹵獲利用とかそういう方面」

「知らんって! あのねえ静木、こういうのは少しでも相手の心情を考えてね、寄せるもんなのよ。妖怪じゃなくて人間の気持ちよ。わかる?」

「わかったりわからなかったりする分野だ……」

「勉強が足りないわね、全く……ふふ」

 

 最後の一杯にも口をつけ、一気に傾ける。

 それまで飲んでいた酒よりもずっと辛口で、少し酔っていた喉にもピリリと目が覚めるような刺激が来た。

 きっと強い酒だろう。香りはそれまでよりも感じないが、ミマはこの刺激が気に入った。

 

「静木。これ良いじゃない。アタシ、これ気に入ったわ」

「お。それは嬉しいね。うむ、私もどちらかといえばそういう辛口のが好みなんだ」

「すごく美味しかったよ。ありがとう。また飲みたいくらい」

「もちろん、次の祭りの時に用意するつもりだからね。その時は楽しみにしておいてほしい」

「あら……じゃあ沢山ないと大変ね。うちの村で、あんたの酒を楽しみにしてる人は大勢いるから」

「お安い御用さ。ちゃんと数は揃えておくよ」

 

 それこそ、樽がまるまる一つ必要になるかもしれない。いや、静木の作った酒であれば誰しも飲みすぎることだってありえる。

 都で用立てたらいくらになるかわかったものではない美酒だ。それがこんな辺境の村でたらふく飲める。ミマは酒を頻繁に嗜むタイプではなかったが、気分は上向いた。

 

 

 

「それじゃ! お酒ありがとう!」

「うむ、またね」

 

 小屋を出て、ミマと玄爺は静木と別れた。

 静木は再び何か研究をするらしい。汲んできた水を使って酒の仕込みだか何かをするそうだが、詳しくはわからなかった。

 

 ミマは空を飛び、玄爺はその隣を飛ぶ。

 静かに風を切る穏やかな飛行の最中、玄爺は隣のミマに優しく微笑んだ。

 

「ミマ様。持ち直されたようで、何よりです」

「……何の話よ」

「いいえ、なんでもございません」

「ふんっ」

 

 ミマは強がりだ。弱みを見せたくない相手は大勢いる。玄爺は親身に接することのできる一人だったが、それでも張れる虚勢は張るのだった。

 

「静木殿からいただいたごちそう、良いものでしたなぁ」

「……うん」

 

 ほどよい酩酊感が、悩みをわずかに霞ませる。

 それは根本的な解決をもたらす鈍麻とは言えないだろうが、もしも時間が心の痛みを和らげてくれるのであれば、きっと薬にはなったのだろう。

 ミマは飛行の僅かな不安定さを玄爺に窘められながら、秋の肌寒い風を楽しむのだった。

 

 


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