東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 浅い付き合いではない。

 長年、共に付き添ってきた明羅から見て、今のミマは非常に安定しているように見えた。

 

「こら、玉緒! またお弁当忘れてる!」

「わわ、す、すみませんミマ様!」

「困るのはあたしじゃなくてあんたでしょ! ほら、持っていきなさい。道中、気を付けるんだよ。遅くならないでね」

「はいっ!」

 

 慌ただしく屋敷を出る玉緒を快く見送り、“やれやれ”と一息つく。その姿に暗い影はない。

 

「全く、そそっかしいったらないよ。……明羅?」

「は、はい」

「何見てるのさ」

「いえ、ちょっと……近頃、ミマ様が元気なようなので。安堵しておりました」

「あたしが元気でって、なんで……ああ」

 

 ミマはバツが悪そうに頬を掻いた。心当たりがあるのだろう。

 それを表に出すか出すまいかを悩んでいるようだったが、彼女にとっても明羅は他人ではない。長く迷うことはなかった。

 

「……ひょっとして、あたしが変だったのバレてた?」

「まあ……はい。なんとなく、ではありますが。本調子ではなさそうだと」

 

 村に広まっている噂に気付いたために、ミマは苦悩している……明羅はそのように理解していた。

 

「うーん……隠し事はできないね、明羅には。心配かけてごめんね、明羅。けどもう大丈夫、随分とマシになったからさ」

 

 ミマはいつものように笑ってみせるが、いつも通りすぎるそれはかえって心配にもなる。

 

「本当に、大丈夫なのですか? 私は……私などでは、ミマ様のお役に立てるかわかりませんが。それでも何か、私に相談できることであるならば、頼っていただきたいです」

「……」

 

 突っ込むことではない。介入すべきことではない。色恋沙汰とはそのようなものだ。まして明羅は半妖である。半妖が人間の恋路に対し、何を物言いできるというのか。

 しかしだとしても、明羅にとってミマは大切な人間だった。家族か、それ以上の存在かもしれない。苦悩を抱えて一人傷つくミマの姿を見るのにも、限界があった。

 だがミマはそんな明羅の顔を見て、ふと表情を和らげた。

 

「……明羅みたいな人たちに支えられて、今のあたしがあるんだなって思うとさ。そうウジウジと悩むことでもないなぁって思ったのよ」

「え……?」

「そこで聞き返さないでよ、ちょっと恥ずかしいんだから……もう。だからぁ、そのね……あたしにとって、この村全体が家族みたいなもんなのよ」

 

 ミマは赤い顔を背けつつ、手早く足袋を履き始めた。

 

「私は村の巫女として、できることをやってく。他に好き好きは大小色々あるけど、とにかくそれが一番だってことに気付いたの」

「村の、巫女……ですか」

「渡り巫女がこんな物騒極まりない土地に根を張るのは、滑稽かい?」

「いえ」

 

 明羅は力強く即答した。

 

「ここはミマ様にとって……いえ、私にとっても。得難い場所だと思っています。ミマ様が正式にこの村の巫女となられるのであれば……素晴らしいことかと」

「……ふっ。でしょ?」

「はい」

 

 渡り巫女のミマ。彼女にとって大宿直村は拠点ではあったが、渡りとしての立場を放棄したことはなかった。

 世間体もあるし、渡りだからこそ構築できて、保持できたコネも多い。様々な要因が自分に向いていたことも理由のひとつだ。

 しかし最近のミマは、もうしっかりとこの村に腰を落ち着けてもいいのではないかと思っている。

 

 この村には大切なものがあまりにも多かったし、暮らしていく間に増えすぎてしまった。

 そう思わせてくれる親切で優しい人も、たくさんできた。

 

 きっとこの村を離れて他所へ移り住んだとしても、そんな間柄の人間は十人もできないだろう。

 

「神主が、まぁ……周囲から外堀埋められて渋々ってところはあるかもしれないけど、あの神社の神主になったわけじゃない? あいつがこの村に腰を据える覚悟をしたってのに、あたしが未だに浮ついたままじゃ、示しもつかないじゃないのさ」

「ふふ……確かに、そうかもしれませんね。彼はミマ様よりも後から来た者ですから」

「まだまだあいつは、不出来な弟子だよ。あたしが師匠として、少しは支えてやらんとね」

 

 

 師匠と弟子。ミマはそんな関係でも良かった。

 自分の中に他とは違う感情が燻っているのは自覚している。それでも、その感情は“一番”ではない。

 惜しくは思う。さすがにそれは偽れないが、玉緒ならばきっと、自分よりもずっとあいつのためになってくれるのは、なんとなくだが、間違いないと思っている。

 

「……よし。それじゃ明羅、行ってくるよ! あんたも自分の仕事を忘れないようにね!」

「ふふ……いってらっしゃいませ。ミマ様」

 

 吹っ切れたように飛び出していったミマを、明羅は笑顔で見送った。

 

 強がりな主人である。だが、あの顔は強がりでも空元気でもなさそうだ。

 心の内でしっかりと咀嚼し、整理をつけたのだろう。

 

「……ご立派です、ミマ様」

 

 肌寒い季節だ。

 しかし、神社で行われる宴は既に明日に控えている。きっと明日は、寒さなど感じさせない、とても賑やかなものになるだろう。

 明羅は明日のために備蓄され続けていた蔵のご馳走を思い返し、口元の緩みを抑えきれなかった。

 

「楽しみだなぁ。神主の晴れ姿もそうだが、大宿直村初の神社に、ご馳走……静木殿はまた、美味な料理を作ってくれるのだろうか……?」

 

 以前、小さな宴で静木が饗した絶品の数々。あの味は名前もわからないほどに複雑なものばかりだったが、感動は未だに強く覚えている。

 

「……ちょっと乗り気でなくても、あの者は褒めそやしてやれば動いてくれそうな気もする。うむむ……少々悪どい気もしないではないが、どうにか村の者達と協力してその気にさせてみるか……」

 

 出てくる料理が美味ければ、それだけ賑やかな宴になるはずだ。悪いことではない。とても良いことだ。

 

「……うん。褒めておだてて、だな。ミマ様も以前そのように言っていた気がするし、やってみるか」

 

 静木との関係も、既に短いとはいえない程度には付き合いを続けている。

 閉鎖的というか排他的な者ではあるが、村の人間たちはなんとなく、静木の気質を理解しつつあるようだった。

 

 妖怪の襲撃も疎らな、穏やかな日々。

 天候も清々しい秋晴れ。概ね無風。

 

 大宿直村の、あるいは後世にとってさえも、記念すべき日がやってくる。

 

 


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