東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 祝うべき日がやってきた。

 大宿直村に建立されていた神社に宿った神を崇め、祝う祭りである。

 勧請もなしに宿った神に謎は多かったが、神が宿ったという事実そのものに価値がある。

 妖怪の巣窟に囲まれたこの地にも、神はいる。神は宿る。人間同士で細々と支え合ってきた彼らには、福音だったのだろう。

 長ったらしい神の名はさして重要ではない。ただ善き神に見守られている。それだけで、皆の心のどこかが救われるのである。

 

 祭りは昼から本格的に準備が進められ、この日のために蓄えられてきたものがふんだんに使われた。

 甘味も酒も、肉でさえ腹に収まりきらないほど振る舞われる日だ。

 むしろ明るいうちは、獲りすぎた肉を消費せねばならぬと、各々に配る始末である。

 

 榊の枝がそれらしく飾られ、注連縄もまたそれらしく巻かれる。

 最初のうちは最も詳しいミマの主導で行われた神事の準備であるが、途中からは見かねた隙間妖怪がひっそりと指示を出し、どうにかそれらしい形に仕上がる運びとなった。

 

「そんなに手伝ってくれるのなら、堂々と出てきて一緒にやればいいのに」

 

 神社の裏にてミマが胡散臭い妖怪に呆れると、紫もまたうんざりしたように肩をすくめた。

 

「私は結構ですわ。皆様の酔いが回った頃に、知られず顔を出すかもしれませんが」

「そう。気にしないと思うけどね、皆」

「私のことはお構いなく、楽しんでくださいな」

 

 八雲 紫。古くから大宿直村にいると思われる、謎多き隙間妖怪。

 ミマも付き合いそのものは長かったが、彼女について知っていることは少ない。

 それでも長いだけあって、なんとなく察することもある。

 

「村に苦手な奴でもいるんでしょ」

「……」

 

 普段饒舌な者の沈黙ほどわかりやすい答えはない。

 扇子で口元を隠したところでどうにもならない返答である。

 

「ま、気が向いたら来なよ」

「……ええ、気が向いたら。神事、頑張ってね」

「はいはい」

 

 一応は怖い妖怪様だ。ミマはからかうのも程々にしておいた。

 

 なにせ、今日は神事だ。

 神主も主役であるが、巫女たる己が最も意義を見いだせる日でもある。

 そういう意味では、ミマもまたもう一人の主役であると言ってもいいだろう。

 

「……よし。天御中主(あめのみなかぬし)の失礼にならないよう、あたしも気合入れなきゃね」

 

 神霊ではない、神そのもの。しかも造化神である。

 格でいえば最も高い神に対する儀式だ。

 神職を司る者の一人として、ミマもそれなりに緊張しているところだった。

 

 

『――普段通りで良いのよ。力を入れすぎたって、疲れてしまうでしょう?』

 

「……え?」

 

 声が聞こえた気がした。

 ミマは振り向いたが、誰もいない。

 スキマ妖怪も、すでにそこにはいなかった。

 

 しかし、ミマは確かに聞いたのだ。

 どこか淡々とした、けれど心が安らぐような、少女の声を。

 

「……紫のいたずらかしらね」

 

 普段は閑散とした麓の神社に、次第に人が集まってゆく。

 

 しかし、人だけではない。

 

 草むらの陰からは蛇や蜥蜴たちが。

 枝葉の上には小鳥たちが。

 小さな池の水面からは魚たちが。

 様々な生物らがひっそりと、祝祭の日を見守っていたのである。

 

『謳歌しなさい。あなたたちは、あなたたちの生命を。私はそれを、見守っているわ』

 

 

 

 

 

 時を同じくして、魔界の法界にて。

 瘴気と圧力の渦中にあるこの広大な空間にも、普段と異なる様相を見せる者が居た。

 

 荒涼とした小高い丘の上に立ち、瞑目して静かに歌う女だ。

 

「――」

 

 紅は天に思いを馳せながら、歌っていた。

 日課ではない。今日この日、歌わねばならぬと思い、歌いはじめたのである。

 振り返ってみれば、数十年ぶりにはなるであろう歌であった。

 

 古い魔族言語の歌。

 まだ地上にて、神族らとルーツを同じにしていた頃の歌である。

 時の流れとともに言葉は少しずつ変容していったが、その歌だけは音としてはっきりと、当時のままに記憶していた。

 

「紅さん……? 珍しいですね。いえ、初めて……なのでしょうか」

 

 その姿を遠目に見つけたのは、法界での暮らしにも慣れ始めた白蓮であった。

 法界の素材を用いて便利な経典でも作れないかと散策している最中、偶然紅の姿を見つけたのである。

 

 近頃は法界の圧力にも慣れ、獰猛に過ぎる魔族たちをどうにかやり過ごせる程度には力をつけた白蓮である。紅の組手をする頻度も減り、疎遠では全くないのだが、毎日顔を合わせる仲でもなくなったのだった。

 

「――……あら、白蓮。そこにいたのね。気が付かなかったわ」

「! いえ、お邪魔でしたか?」

「そんなことはないわ」

 

 白蓮は極めて静かであったので、文句をつけられる筋合いもない。

 むしろ風が吹く中で、遠くにいる白蓮の存在を察知できる紅の感覚が鋭敏なのである。

 

「珍しいですね……紅さんが歌っている姿を見たのは、ええ……初めてかもしれません」

「そうね。久々に歌ったから、少し喉が変かもしれないわ」

 

 紅は苦笑してみせるが、聞いている分には実に綺麗な歌声であったと白蓮は思っている。

 しかし不思議と、紅が読経する姿は想像できなかった。

 

「今日は、歌を歌う日なのよ」

「……? そう、なのですか? 何かのお祝いでしょうか」

「ええ。なんと言えば良いのかしら……記念……いいえ、祝祭。そうね、祝祭の歌。それは一番しっくり来るかもしれない」

 

 何の祝祭だろうか。一年ごとのものでないことだけは確かだろう。白蓮にはわからなかったが、なんとなく、そう悪い祝祭でもないことだけはわかった。

 

「ほら、他の皆も歌っている」

「え……あ、本当……」

 

 耳を澄ませると、遠くからも聞こえてくる。

 野太く、力強く、甲高く、金属のような、怒号のような、籠もったような。

 様々な歌声が、法界の各所から上がっていた。

 

 魔族たちの歌声だろう。白蓮はこの世界に生息する数々の危険な住民たちを思い起こして戦慄したが、同時にそれぞれで全く異なる歌声を轟かせる彼らに首をひねった。

 

「己の気の向くままに歌っているのよ。私もそう。一番好きだった歌を歌っている」

「……なんだか、気ままで素敵なお祭りですね?」

「ええ、そう思う。気ままで良いわよね」

 

 紅の機嫌は、いつになく良さそうに見えた。

 思い思いの歌を歌うだけならばいつでもできそうなものだが、それだけ今日が特別な日だからであろうか。

 この日の意味が白蓮にはわからなかったが、恩人が快く声を響かせている姿は、ただ見ているだけでも嬉しくなれた。

 

「……そうだ。白蓮、貴女も歌ってみてはどう?」

「えっ、私ですか?」

「好きな歌を歌ってみなさいな。苦手なら、詩を詠うのでも良いわ。思うがままに声を出し、響かせるの。せっかく素敵な喉のある生き物に生まれたのだから、是非ともそうするべきよ」

「……」

 

 素敵な喉のある生き物。なるほど、面白い考え方だと白蓮は感じた。

 

「……はい、それでは……」

 

 彼女は深く息を吸い込んで、瞑目し、やがて立ち姿のまま、歌声を響かせた。

 

「……ふふ。貴女らしいわね」

 

 朗々と読経を始めた白蓮に少しだけ笑うと、紅もまた己の歌を口ずさむ。

 

 

 

 その日、法界はここ数百年で最も平和であったという。

 

 

 


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