東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 疱瘡。いわゆる天然痘は現代においては撲滅され幻想となったウイルスだが、この時代においては無類の殺傷力を誇る死の病のひとつであった。

 人はまだウイルスや細菌について理解を示してはいなかったものの、病が風や人を伝って発症するものであることは経験則的に理解しており、その中でも特に疱瘡は感染能力が高いため、患者との接触が危険視された。

 

 症状として高熱や各種症状があるが、最も可視化しやすいものは体中に浮き上がる瘢痕であろう。

 特徴的な痣は、医学に精通していない者達でも理解が容易だった。

 地域差こそあれど、人々はこの病に名をつけ、脅威を語り継いだ。

 

 しかし人の伝聞が、脅威を正しい形で伝えるとは限らない。

 疱瘡への恐怖は様々な憶測、療法、対処法などを生み出し、それらの多くは悲劇の連鎖を助長した。

 

 誤った民間療法、感染者の迫害、効果の出ない祈祷。

 失意の中で病に倒れ、死にゆく者は後を立たなかった。

 

 あばた顔と罵られ、存在を否定された女が幾万人。

 

 もはや手の施しようはないと、未だ息あるままに積み上げられた男が幾万人。

 

 これ幸いと、家より捨てられた老人が幾万人。

 

 失意と憤怒。悲しみと怨嗟。

 瘢痕に呑まれた人間たちは、深く深く掘られた捨て穴の底で、生きていながらにしてありとあらゆる生者を恨んだ。

 

 怒りの渦は死後も怨霊の集合体となって現世に留まり、妖怪の魂さえをも取り込んで変容を繰り返し、翠の目から灼熱の膿を零し続ける。

 

 

 

 健やかな者が恨めしい。

 

 美しい顔が妬ましい。

 

 生けとし生ける、全ての人間が腹立たしい。

 

 

 

「ミマ……!」

 

 腐り果て、大きく窪んだ大地の中心へと、八雲紫が声をかける。

 そこには俯くミマがいた。

 

 救い出したい。だが、もはや手を伸ばすには危険過ぎる。

 

 ミマの呪いを起点に吹き出した怨霊の塊は、強力な妖怪の力をもってしても、近づくことさえできない瘴気で満ちていたからだ。

 かつて美しかった脚は呪いの疱瘡によって焼け爛れ、溶解し、もはや原型を留めないどす黒い水たまりとなって、窪地の底に溜まっている。

 穴を浸す膿はひとりでに燃えあがり、ミマの全身を不吉な火焔に包み込んでいた。

 

 それは数え切れないほどの怨霊が作り上げた、全てを悪意に染め上げる破滅の呪い。

 

 人の業が生み出した悲劇の証明であり、それを果て無く連鎖させ続けよと喚く、死者たちによる負の願い。

 

 怨みの火種は、たとえ小さな痣からでさえ、大きく広がってゆく。

 それこそきっかけの一つさえあれば、病のようにいつだって。

 

「ああ……そうか……これが、あの村の……」

 

 生きる気力を喪失したミマは、無抵抗に炎を受け入れている。

 魔法も陰陽術も使おうとしない。使う力も残っていない。

 

 ただ、この鮮やかな碧色に輝く炎に呑まれた時、楽になれそうだという不思議な確信だけが残っていた。

 

 そう、彼らを受け入れるだけでいいのだ。

 破滅の衝動を。復讐の総意を。

 

 それだけで、今ここに集う強大な呪いは、己の力となって収束するだろう。

 

「……私は……ミマ。歩き巫女……」

 

 あらゆるものを溶かす火焔の中にあっても、一切燃えることも焦げることもなく残った一冊の本。星界の書。

 ミマは膿に浸かりかけたその一冊を取り上げて、栞を挟んだページをおもむろに開いた。

 

「ミマ……! 私はそちらへいけません! 結界を構築しています、どうにかもうしばらく、堪えて……!」

 

 ぼんやりと本を見つめた時、離れた場所からこちらへ叫びかける紫の姿が見えた。

 ミマは必死そうにしている彼女の珍しい姿を虚ろに見つめ、ただ……“美しい顔だな”という想いを抱いた。

 

「ああ……これが妬みか……ふふ、こんなことにまで……ねぇ」

 

 自嘲し、膿に汚れた手で栞をなぞる。

 八雲紫とは、単なる同好の士というか、腐れ縁のようなもので結ばれているだけの間柄だった。

 そんな相手に負の感情を抱くなど、かつてならばありえないことだった。自分が抱いている悪意ではないことも、薄々感づいている。

 

 それでもミマは、自分の朽ち果てた足先から上り詰めてくるこの激情を受け入れたかった。

 

「いいのよ。もう、どうでもいいの……」

 

 先程まで残りかけていた穏やかな心が燃え、消え去っていく。

 これまで過ごしてきた美しい日々の思い出が、濁った色の膿に沈んでゆく。

 

「ええ、わかった……あなたたちの遺志は全て、私が受け入れてあげる……」

 

 ミマの髪が、嫉妬の()に染まり上がる。

 

「復讐、してやろうか」

「ミマ……!」

 

 

 

 その日、山奥にある小さな廃村で、巨大な緑炎の柱が天高く上がった。

 

 人々でさえその火焔に不吉さを悟ったが、怨霊を天敵とする妖怪たちが抱く恐怖はそれ以上のものであったという。

 

 

 

「……博麗の巫女……博麗の神主……ああ、そうだわ……全て……全てを消し去ってしまえれば……それこそが、それだけが……あたしの……」

 

 


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