夜道。退魔師の一団は緑の灯りに誘われるように歩いてゆく。
強くなる闇の気配に足は重くなり、言いようのない悪寒は風邪のように肌を舐める。
「おい……」
「あれは……明羅殿。こんなところに……」
「先に来ていらしたか」
山を越えた一団の先では、明羅が待ち構えていた。
高く結い上げた総髪、男物の装い、そして抜身の刀。
退治人としての立ち姿で、彼女はそこに立っている。
「おーい……」
「待て」
不用意に近付こうとする退魔師の一人を、神主が手で制した。
止められた男は“一体どうした”とは訊けなかった。その時の神主の表情が、妖怪と対峙した時のそれに変わっていたからだ。
「……明羅殿。村にはいなかったが、何故ここに?」
「……」
明羅は言葉を返さない。
ただ抜身の刀を構えたまま、じっと静かな魔力を漂わせている。
「ミマ様の現状はわかっているだろう? なあ、明羅殿」
「……ああ、わかっている。わかっているさ。神主」
「皆、も少し下がれ」
退魔師を更に退がらせ、神主が前に出る。
隣の玉緒も何か不穏さを察してか、隣に並ぶように陰陽玉を構えた。
「ああ……お前達は皆、ミマ様を退治しようというのだろう」
「わかっておるようで何よりだ、明羅殿。で? そろそろちゃんと聞かせてもらおうか。何故そこで立ちふさがっておるのか」
「明羅さん……」
「わからないか、神主。そして玉緒よ。わからないというのか、この期に及んでも」
ついに彼女は刀を構え、その目に強い殺意を湛えた。
「ミマ様は、お一人だ。ここにいる誰も、あの方の味方には回っていない。……何故だ? 聞きたいのはこちらだよ、神主、玉緒、村長……皆。何故ここに、この場所に。こうして、私しか立っていないのだ」
明羅は全て知っている。
ミマが何か良からぬ怨霊によって蝕まれたことも。
今や彼女は、ミマと呼べるかどうかもわからないような存在へと成り果てていることも。
半妖である彼女はその肌で感じ取ったのだ。遠目に見えた緑炎の中に、もう自分の知るそのままのミマはいないのだと。
「私はかつて……何も縁も支えもない、孤独な半妖だった。人からも妖からも疎まれる、半端で、脆い存在だった……ミマ様はそんな私を拾ってくださった。半妖だからと何ら虐げることもなく、女だからと刀を取り上げることもせずにな」
語気の強いそれは、立ちふさがる村人全てに語りかけていた。
気まずそうに口を噤む者。悲しそうに眉を歪める者。反応はそれぞれだが、誰一人として明羅の言葉を軽んじる者はいない。
「あの方はとても優しく……聖人のような方だった。わかっているだろう? お前たちだって何度となく助けられ、救われてきたはずだ。それなのに、それなのにッ……おい、お前もかつては、私と同じような孤独にあったのではなかったか!? 玉緒!」
「っ……!」
「いや……これは、意地の悪い言葉だったな。すまない、許してくれ……玉緒」
明羅は震える玉緒を見て一瞬だけ悲しそうに目を伏せ、すぐに開いた。
「……私も一員だ。村の者としての役割は理解しよう。だがお前たちが、あの方を……ミマ様を害するならば、私は一人の侍として、ミマ様をお守りするまで。誰もあの方の味方とならないのであれば、せめてこの私だけでもお傍になければならんのだ」
「……明羅殿。いや、明羅。それは……今や魅魔が、村を、いやもっと広く大きなものにまで災禍を齎す存在であったとしてもか?」
神主が袖から札を取り出し、低い声で問いかける。
「ああ……私は何であれ、ミマ様をお守りする。あの方が破滅を望むというのであれば、この刀にかけて……たとえ地獄に堕ちようとも、お支えするまでだ」
かつて村の退治人として名を馳せたミマ。彼女との隣で共に闘い続けた侍、明羅。
彼女は今、確固たる自らの意志でもって、村の総意に立ち向かおうとしている。
「お願いします……明羅様、やめてください……」
玉緒はこちらに剣を向ける明羅の姿に、どうしようもなく心を揺さぶられていた。
玉緒にとって明羅とは、大宿直村にきてからというもの、常に寝食を共にし、様々な物事を教えてくれる、ミマと同じく親のような存在だったのだ。
それが強い殺気を放ち、決死の覚悟で立ちはだかっている。
「玉緒。私はミマ様の味方でなくてはならないのだ」
「明羅様……け、けどミマ様は……ミマ様は絶対にこのようなことは、望まないはずです……!」
「……あの方の望みを、叶えてくれるのか? 玉緒、お前が? 村の衆が?」
「あ、う……」
「ああ、誰も悪くないのかもしれない。誰も……わかってるのさ、そのようなことは……それでも私は……」
剣が雷気を纏う。
夜闇の中で青白く弾ける輝きは、村の退魔師の多くが見たことの無い、明羅の隠されし力だった。
「……さあ。今すぐに引き返し、地の果てまで逃げるが良い……退かぬのならば、誰であろうと斬り殺してやる」
「それはできぬ相談だ」
「そうか。ならば」
空気が爆ぜる。
先程まで明羅が立っていた土は波打つように潰れ、彼女の姿が消えた。
「死ね」
否、神主の目の前で、既に刀を振り上げていた。
雷光を帯びる一太刀が落とされ、爆音が轟いた。
近くにいた者の甲高い悲鳴が上がり、刀の衝突音は山に何度となく木霊した。
「させ、ません……!」
神速の一太刀をギリギリで防いでみせたのは、玉緒の操る陰陽玉であった。
人を越えた膂力による一撃は浮かび上がる陰陽玉によって完全に防御され、それ以上は力を込めようと数ミリも食い込む気配も、押し込める気配もない。
「玉緒ッ! お前がその甘さで立ちふさがるのならッ!」
「なれば私が苦味を嘗めるまでのことだ」
「――!」
神主の札が輝きを増し、半透明の結界壁が明羅へと襲いかかる。
強大な退魔の力が込められたそれは明羅の身体を一瞬で弾き飛ばし、離れた大きな樹木の幹へと叩きつける。
「ぐ……神、主。お前……」
「玉緒。今は言葉など必要ない。言葉は……全てが終わったその後にでもかわせばいい」
「……!」
「私とともに、戦ってくれるな」
「……はい!」
札は舞って列を成し、陰陽玉が静かな魔力を放つ。
「……良いだろう。博麗の神主、そして巫女よ……この私を越えていこうというのであれば、やってみるがいい」
闇であるはずの深夜の野山で、霊光の瞬く白昼の如き闘いが始まった。