東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 九右衛門は齢四十過ぎの熟練した狩人である。

 年齢とともに衰えることを知らない彼の眼は、常人では粒とも認識できないほど遠くにある獲物の影さえ捕捉する。

 引き絞った矢を空に放てば鳥の頭を穿ち、地を走る獣に放てば小さな目に皆中する。

 

 その腕前、“皆中の九右衛門”と呼ばれたかつての名を知る者は、大宿直には居ない。

 だが今の村の者は誰しもが、彼の弓の腕前と、そして狩人としての目を信じている。

 

「……いた」

 

 良き斥候として、九右衛門は先鋒を任された。

 その彼の目が、真っ先に“彼女”を捉えた。

 

 長い緑髪。涼やかな美貌。いつも以上にどこか艶めかしく歪められた唇。

 

「ミマ──」

 

 そして突き出される錫杖のような杖。

 

「おい! 九右──」

 

 それが彼の見た最後の景色だった。

 

 

 

 緑の火炎柱はすぐ向こうに立ち上っている。

 もう少し歩けば、中心部にたどり着くはずであった。

 

 だが一行の到着を待つことなく、先頭を歩く九右衛門は絶命した。

 

(斥候)は、先に潰す」

「あ、が……」

 

 錫杖の先端部であろう大きな三日月飾りは血に濡れ、九右衛門の背中より生えていた。

 心臓。肺。両方を即座に潰された彼は一本の矢を手に取ることもできなかった。

 

「九右衛門ッ!」

「ミマ様……いや、悪霊だ!」

「惑わされるな!」

 

 それは一瞬のうちに現れ、九右衛門を死に至らしめた。

 普通ならば不可解な出現と唐突な惨劇に腰を抜かそうものだが、大宿直村の退魔師は常より鍛えられている。

 彼らは素早く距離を開けると、各々の得意とする武器を手に取った。

 

「……ミマ様」

 

 そして一歩退いたところで、神主と玉緒は見た。

 薄く碧色に発光する、かつての恩師の姿を。

 

 美しくも禍々しい気配を隠そうともしない、脚のない大悪霊のその姿を。

 

「あら……村のもんが総出でお迎えかい? こりゃあ嬉しいねえ」

 

 ミマは笑う。かつてのような口調で、かつてのような朗らかな笑みで。

 今しがた九右衛門の胸を貫いた血塗れの杖をその手に持っていなければ、何人かは無警戒に近づいていたかもしれないほど、彼女は自然だった。

 

「お前は……ミマ様……と、呼べばいいのか」

「あたしゃここにいるよ」

「……何故、九右衛門殿を」

「それは、何故って……」

 

 ミマが呆気に取られたような顔をする。

 ぱちくりと瞬きし、周囲を見回す。

 気がつけばミマは退魔師たちによって囲まれていた。

 

 ミマは彼らの顔を一人一人確認するように見回し……不意に呻くと、額を抑えた。

 

「あたしは……?」

「これは……」

「わかるのか、ミマ様! 俺たちのことが!?」

「負けちゃいけねえ、なあ、思い出してくれよ!」

「そうだ、あたしは……あたしはなんてことを……」

 

 ミマが震え、蹲る。

 “もしかすると”。長年一緒に過ごしてきた者達が希望を抱くのは当然のことだった。

 

「! おい、迂闊に近づいてはならんッ!」

 

 咄嗟に警告できたのは村長と、僅かな直感で踏みとどまれた幾人かだけ。

 不用意な者達は無警戒にミマに近づいてしまった。

 

「あたしゃぁ……」

「ミマ様……!」

「──お前達を殺したくて、たまらなかったのさ」

 

 間抜けな声を上げるだけの猶予もなく、魔法は発動した。

 地面にミマを中心とした魔法陣が広がり、それは上空に青白い閃光を放ちながら回転する。

 

 ミマの身を案じて間合いに、魔法陣の上に立っていた者は……そのことごとくが、原型を留めない肉塊となって地に落ちた。

 

「あはっ、はははっ! はーっはっはっはっ!」

 

 嗤う。簡単に騙され、死んでいった者達を嘲笑う。

 その笑い声はもはや過去の彼女とは似ても似つかない。ミマ個人の負の意識をどれだけ蒸留しようと発生し得ないであろう強大な悪意であった。

 

 八人の犠牲を持ってして、退魔師達はようやく察したのだ。

 目の前にいるミマに似た存在は、決してミマではないのだと。

 

「それでもまだ術を使わないんだ! あははっ! なんで!? 普通なら結界の一つでも張るでしょ!? おっかし、あははははっ!」

「……!」

 

 彼女の嘲りでようやく気づけたように、退魔師が術を構築する。

 身を守る結界、封印のための準備。それらが常日頃の妖怪退治の時と同じように動き始める。

 

 だがこの期に及んでもまだ、語りかけようとする者がいた。

 

「ミマ様っ!」

「……」

 

 玉緒である。

 彼女は四つの陰陽玉を周囲に浮かせ臨戦態勢を整えていたが、しかし体は小刻みに震え、一歩も動けそうにない。

 

「ミマ様……私のせい……なのですよね。私がいたから……私が……」

「……」

「私がいなければ、全て良かったのですよね……!?」

「玉緒、何を言っている」

 

 ミマを前にして明らかに錯乱している。

 神主は明らかに心揺さぶられている玉緒の肩を掴み、それ以上の軽挙を諌めた。

 

「あれはミマ様ではない。もはや別の妖……魅魔(ミマ)だ」

「……ククク。相変わらずだねぇ。神主。玉緒……」

 

 ミマは笑い、手にした杖をそっと撫でた。

 

「そうねぇ……玉緒がいなければ……あたしもこんな惨めで、醜い姿にはならなかったかもしれないね……」

 

 ミマが杖で足元を叩くと……そこは煙のように揺らめいた。

 彼女には既に両脚がなく、下半身は不定形の如く揺れ動いている。

 

 現代人が見ればそれはまさしく幽霊らしい姿であり、この時代の人間たちからすれば“異形”と呼んで差し支えのないものであろう。

 

「ねえ玉緒……哀れんでくれるというのならさ……あたしのために、今すぐ死んでくれない?」

「耳を貸すな!」

「あんたが死んでくれれば、あたしはすぐにでも成仏するよ……玉緒が死ねば、それだけであたしは救われるんだ……きっとそうよ」

「揺さぶられるな! ミマ様はそのようなことを望みはしない!」

「チッ、うるさいね」

 

 今にも泣きそうな顔から一変、ミマの表情が怒りに染まる。

 それまでの弱々しい演技をかなぐり捨てて、ミマは杖を神主に差し向けていた。

 

「“雨粒”」

「“護法陣・備”!」

 

 杖が蒼い輝きを放ち、空間に生じた壁に炸裂する。

 どちらも一瞬のうちに構築された術であったが、神主が咄嗟に出した守りは瞬時に破壊され、衝撃が神主と玉緒の二人を土の上に転がした。

 

「……ミマ、様……じゃ、ない……!」

 

 玉緒は結界越しに殺意の込められた魔法と、何よりもミマの凶相を見た。

 人を人と思わない目。妖怪と同じく、悪を悪と感じない目。

 

「あなたは、ミマ様じゃないッ!」

 

 玉緒が立ち上がり、陰陽玉を構える。震えはない。今この時ようやく、玉緒は目の前にいる存在が極めて異質で、邪悪なものであることを悟った。

 

「どうして? 玉緒、どうして信じてくれないの……? わかるでしょ、あたしだよ。ミマだよ。どうしてあたしに酷いことをするの……? ねえ、助けてよ……」

「わかるか、玉緒。奴の醜さが」

「お願い、信じてよぉ、玉緒……」

 

 神主の立ち上がり、狩衣の土を払って札を差し向ける。

 

「ミマ様は決して、あのように情けなさを表には出したりはしない。絶対にだ。……いいや、あの方はいつだって無理をしてきた。内心、ずっと傷ついてきたのだろうよ。私の、私達のせいでな……しかし」

「……玉緒……」

「それでも、あのお人は不器用だから。とんでもなく、高潔で、強くて、不器用だから。絶対に、あんな風に弱さを見せびらかしたりなどしないのだ」

 

 神主の言葉に、ミマの演技が止まる。

 

「やるぞ」

「……はい」

 

 神主と玉緒が互いに頷き、霊力を高める。

 ミマの周囲に散開していた退魔師が、複数による結界術を構築し始める。

 

「なぁんだ、つまらないの。そのまま騙されていりゃあ……あんたらの戸惑いながら死にゆく顔が見れたってのにさぁ!」

 

 内に覆い隠した邪悪な気配を解き放ち、ミマはその本性を顕わにした。

 

 それは研ぎ澄まされた悪意。

 ミマの人格を塗り替えて余りある、無数の悪霊による負の総意であった。

 

 

 


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