東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 魅魔は星魔法の使い手だ。

 星魔法について、神主と玉緒はある程度知っている。幸いにも二人は彼女を師として、ある程度の魔法を学んでいたからだ。

 なので魅魔の放ってくる術については、自ら扱えるものはないにせよ、理解はあった。

 

 はずであった。

 

「“魔素の地平面”……」

 

 その認識が、覆されてゆく。

 

 魅魔の背後に莫大な魔力の球体が生成され、浮かび上がる。

 球体は周囲に漂う様々な星魔力や魔力の残滓を巻き込み、渦を形成している。

 怨霊の端切れを巻き込みながら静かに膨張してゆくそれは、星の誕生を早回しで見ているかのようだった。

 

「これ、は」

「知りません……私、こんなのは……」

 

 神主も玉緒も知らない魔法。

 それもそのはずであろう。

 ミマがこれほどの危険な魔法を扱うことなどあり得ないからだ。

 

 知ってはいたが、使うことのなかった魔法。

 “星界の書”の上級魔法は今宵、悪意と共に解禁された。

 

「“魔素の地平面”は……全てを星魔力へと変換する力の渦。お前たちが扱う霊力も妖力も、全てを星魔力に変え、滅ぼしてあげる」

 

 球体の渦は辺りの環境を一変させた。

 木々が放つ微弱な生命力や、人が放つ法力や霊力さえも表面を削るように浚い、奪っていく。

 剥がされた魔力は速やかに星魔力に類するそれに変換され、光の粒子となって渦に引き込まれる。

 粒子を飲み込むほどに、球体は膨張し続けているように見えた。

 

 

 ――あれを放置しては不味い

 

 

 神主と玉緒は直感的にそれを悟った。

 本能的にと言い換えても良いだろう。なにせ、神主の練り上げた霊術が急速に霧散し始め、玉緒の操る陰陽玉の制御にまで僅かに干渉してきたのだ。

 二人の高い練度にすぐさま影響を及ぼした大規模魔術。それが安全であるはずもない。

 

「“轄針・割”!」

 

 神主の動きは特に迅速だった。

 術式構築破壊と速度に重きをおいた針術を発動し、解き放つ。

 

 網膜を焼く銀の閃きはほんの一瞬だけ夜を暴き、人工天体目掛けて疾走する。

 

「無駄さ」

「なにっ」

 

 到達は一瞬。破壊も一瞬のはずであった。

 だが針は術を破壊した様子もなく、“消滅した”。

 

「封印……いえ、違う。今は……今は相手の使っている術の無力化……!? えと、操作は……お願い陰陽玉、私に力を……きゃっ!?」

 

 玉緒も負けじと陰陽玉を操るが、それはかつての赤い宝玉と同じ操作を受け付けない。

 人工天体が発する魔力の乱気流とも呼ぶべき不安定さの中では、無造作に宙を舞う攻撃を避けるだけで精一杯だった。

 

「玉緒! 回避に専念しろ!」

「ッ……はい!」

 

 人工天体は外側からエネルギーを吸収し、膨張し続ける。

 吸い寄せられるエネルギーは環帯を形成し、天球儀のように縦横無尽に回転する。

 それは強力な防御兼攻撃の結界魔術のようですらあった。

 

「ぎゃっ」

「ぐえっ……」

 

 ゆっくりと、しかし障害物の抵抗など一切を無視するかのように滑らかに切断して回り続ける天球儀。

 そのものが放つ光は夜闇の中で目立っていたが、あらゆるものを引き裂く動きをする以上、環状の凶刃は足元、地面からも容赦なく襲いかかってくる。

 地に足をつけて戦っていた運のない退魔師たちは、それを知る前にズタズタに引き裂かれて死んでいった。

 

「久! くっ……何故だ!? 轄針が効かぬとなれば、どうすれば……!」

「神主! お仲間のことを気にしている場合かしら!?」

 

 魅魔が杖を掲げ、人工天体へ強引に魔力を注ぎ込む。それだけで球体は更に膨れ上がり、天球儀の環は更に相対速度を増す。

 辺りの樹木は既に根本から幾重にも切断され、下草すらも残っていない。

 そして僅かに転がっていた大きな岩の中すら通り過ぎて切断してゆく円環を前にしては、人体の強度さえ意味を成さなかった。

 

「皆……ああ、なんという……!」

「あはっ、はは、ははははははっ!」

 

 神主は愕然とし、魅魔は嬌笑を上げる。

 もはや地上に安全な場所はない。“魔素の地平面”による円環は、宙に浮かべない全ての人間を無残に切り刻んでいた。

 回転し続ける天球儀は、体を両断され即死した死体をも無感情に刻んでゆく。

 

 その光景は、親しい者達が無為に傷つけられてゆく惨劇は、未だ精神的に未熟な玉緒にとっては衝撃的すぎたのだろう。

 

「あ、いや、そんなぁっ……!」

「玉緒! 飛べ! お前ならばできる!」

 

 飛ぶ訓練は幾度も重ねた。陰陽玉の補助もある。

 それでも玉緒は心を大きく乱し、呼吸すらままならない状態だった。

 どうにかある程度安全な空中に浮かび上がろうと霊力を練ってはいるものの、襲いくる嘔吐感と絶望が普段の精密なそれを許さなかった。

 

「飛べっ! 玉緒! 地上に居てはならんっ! 飛ぶのだぁッ!」

「あっ……!?」

 

 不格好に低空から墜落する。その刹那、暖かな光の帯が玉緒の手を取り、空中へと引き上げた。

 光の精霊。それは今や名もなき流派に属する使役術の一種であろうか。少なくともそれは、辺鄙な村で独自に見いだされた生半可な術ではないだろう。

 

「村長ッ……!」

「あとは任せたぞ……!」

 

 不定形の光の精は、玉緒を安全地帯まで優しく引き上げた。

 地上に、唯一生き残っていた村長だけを残して。

 

「……っ!」

 

 そして村長もまた、天球儀の円環になぞられて命を失った。

 

「玉緒、しっかりしろ!」

「……どうして、どうしてこんな……!」

 

 もはや残っているのは、辛うじて空中に退避できた神主と玉緒の二人のみ。

 しかし玉緒は心身ともに衰弱し、神主の支えがなくては未だ自力で浮かぶこともできない状態だ。

 空中が安全とはいえ、それは天球儀の環の動きが見えるから避けやすいという一点の優位性があるだけであり、その場で悠々とホバリングしていては危険度は地上と変わりない。

 神主は一人の少女を抱えたまま、未だ必死の回避を余儀なくされている。

 

「ハハハ……なんて無様な姿だろうねぇ。足手まといの小娘を抱えて、避けるだけで精一杯……足元は死体の山……うふふ……」

「やめろ……!」

「安心しなよぉ……たったこれだけで終わらせないもの。アタシはもっともっと、大勢の人を殺して……ゴミ溜めの底に叩き落としてやるんだからさぁ」

「やめろッ! ミマ様の顔で、そのようなことを語るな!」

 

 袖の中に隠した大量の札が雲霞の如く舞い上がり、吸い寄せられるように魅魔を襲う。

 

「おっと! あはははっ! 片手でよくもまぁ頑張るねぇ!?」

 

 だが玉緒を支えながらの術の行使では満足な成果も得られない。

 人工天体の及ぼす力によって威力も減衰され、札の猛攻は数枚が魅魔の肌を焼く程度だった。

 

「させはしない……これ以上、お前に人を殺させはしないからな……!」

「無駄だよ。殺してやる。玉緒もアンタも村の女子供も。いや……全人類を! このちっぽけな星にへばりつく生けとし生ける全ての人間を殺してやる……!」

 

 怨霊の総意は復讐。それは些細な色恋や一地域に留まれるものではない。

 増幅し続ける怨念は、依代となったミマの人格の枷など最初から壊しきっていた。

 

「まずは……あの忌々しい大結界に封じられた“膿溜まり”を取り戻してやろう。それからこの世を火に焚べてやる。誰も彼も生きたまま、苦しみ叫んで死んでゆくようにね」

 

 これほどの魔術を行使できても尚、魅魔はまだ万全ではない。

 彼女の半身たる“怨霊の膿”は、未だ八雲紫によって施された結界の中に封じられている。

 魅魔そのものは結界から抜け出すことができたが、膿まで一緒に連れ出すことはできなかったのである。

 

 だが取り戻す手段はある。簡単だ。このまま“魔素の地平面”を巨大化させ続けていけば、八雲紫の強固な結界すら削り、呑み込めるというのが魅魔の試算であった。

 

「そう、それで良い……それが私の望、み…………?」

 

 順調だ。このままやれば自分が勝つ。

 しかし魅魔は、自分の頬に僅かな異常を感じ取った。

 

「……?」

 

 それは神主の放った札がつけた小さな火傷である。

 清浄かつ強い霊力によって組み上げられた封魔の力は、魅魔の肌に傷をつけたらしい。

 それは特に問題ではなかった。札としての効果にも特筆すべきものはない。

 

 ただ、その僅かな傷口から漏れ出る己の怨念の動きが僅かに気がかりだったのだ。

 

 

 ――これは……“魔素の地平面”によって、分解されている?

 

 

 依代となったミマは豊富な知識を有している。そのため、魅魔には己の肌に起こった現象について、瞬時に把握することができた。

 

 封魔の札による傷は治りが遅い。

 そこから漏れる怨念は、人間で言う出血のようなものだ。

 塞ごうと思ってもどうにかなるものではない。

 だが、いくら清浄な力によって傷ついたとはいえども、流れ出た血を掴み取って再吸収することは訳ないはずであった。

 

 それが、他ならぬ魅魔によって作り出された“魔素の地平面”によって阻害されている。

 魅魔の支配下を離れて空中に流れ出た怨念が強制的に星魔力に組み替えられ、魅魔が再吸収できないものに変容させられていたのである。

 

 今はまだほんのかすり傷から零れた怨念が失われているのみなので問題はないが、より大きな傷を負った場合には、被害も相応に拡大するのであろう。

 

「……ふん。使い勝手も、万能ではないということか」

 

 あるいは、元より魅魔のような不安定な悪霊が使用することを想定していない魔法だったのか。

 だが“魔素の地平面”が強力であることには変わりない。魔法という力は、ただ怨念を振り撒くよりもずっと簡単に結果を引き寄せてくれる。

 何より、魔法を抜きに神主や玉緒の陰陽玉を相手にするのは難しく思われた。

 今更術を消すわけにはいかない。

 

「このまま油断せず、あんたらを潰してやればいいだけのことよ」

 

 杖を差し向け、邪悪な笑みを浮かべる。

 そこにかつての面影はない。わかっていても、神主にはどうしても、それがミマと重なってしまう。

 

 この期に及んで私情を交え、及び腰になっているわけではない。

 しかしつい先程、魅魔がふと正気に戻ったかのように見えた顔を見て……つい思ってしまったのだ。

 

 まだ、ミマを呼び起こす術は残っているのはないか、と。

 

「さあ……博麗の神主。そして博麗の巫女。あんたら二人を最期に、大宿直の短い歴史は闇に消え――!」

「――私を仲間はずれにしてもらっては困りますね」

「ッ!?」

 

 差し向けた魅魔の杖が強かに弾かれる。

 いや、中程から斬り落とされている。

 

 一瞬のことだ。そして、これほど目にも留まらぬ速さの切断を実現できる存在を、魅魔は知っていた。

 いつの間にか、一瞬の内に、既に目の前にいる。

 男装の麗人。半妖の侍。

 

「貴様、明羅ッ……!?」

「やはりお前はミマ様ではない」

 

 ミマの付き人、明羅。

 彼女は魅魔が何かをする前に、素早い蹴りを叩き込んでいた。

 

「ぐあっ……!?」

 

 妖術の雷を込めた神速の蹴り。

 それは魅魔の体をくの字に曲げ、大きく吹き飛ばすことに成功した。

 

「明羅殿!」

「め、明羅さん……!?」

「遅れてすまない。そして、すまなかった。だがもう心配はいらない」

 

 雷気を帯びる刀を構え、睨む。

 魅魔はどうにか空中で体勢を立て直し、緑に濁った瞳で明羅を睨み返している。

 

「奴は……ミマ様の敵だ」

「……たった一人。剣術しか扱えない半妖が湧いたところで何になる? こちらに来な、明羅。お前はアタシの手足として動いていたはずだよ」

「それ以上口を開くな。私はミマ様の近侍。貴様のような紛い物の手先ではない」

 

 魅魔が額に青筋を浮かべるのと同時に、玉緒の足元から扁平な影が現れる。

 

「わっ、きゃっ……!? う、海亀……!?」

「乗りなされ、玉緒殿。今は何も言わずに。この老体が、貴女の足場になりましょう」

「……!」

 

 それは仙術によって浮かび上がった仙亀、玄爺であった。

 彼は自ら玉緒の下に潜り込み、自ら足場を買って出た。

 

「玄爺、助かる。玉緒が己の術にのみ集中できるよう、支えてやってくれ」

「ええ、任されましたとも。……ワシも、ミマ様のあのような姿……ええ、あまり見ていたくはありませんからな」

 

 神主、玉緒、明羅、玄爺。

 いつの間にか魅魔の眼下には、四人が立ちはだかっていた。

 その誰もが異なる種族。異なる生い立ちを持っている。だがそれぞれが志を同じくし、魅魔に立ち向かっている。

 

「ああ、不愉快だわ……不愉快……不愉快ッ!」

 

 大悪霊が邪悪な形相で吠える。

 だが今やそれに臆する者は残っていない。

 

「ゆくぞ魅魔! 貴様を封じ、この世を守る!」

 

 


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