東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 法界に封じられた白蓮は、魔法クイズ大会に出るという紅を見送った。

 白蓮自身も魔法のクイズとやらに多少の興味はあったが、こうして法界に封じられている以上は気軽に出られないし、祭りのためだけに出ようという気分にもなれなかった。

 

 自分が封印されたことについて白蓮は未だ納得できていないが、そうするまでに至った人間たちの判断が軽挙であったとは思っていない。彼らなりに状況を重く見たがために封印に至ったのだと、それだけは理解している。

 ここから気安く抜け出すことは可能だろう。しかしそれは、自分を封じた人間達の思いをあまりにも軽々しく扱う行いではないだろうかと考えてしまうのだ。

 

 もとより、気が向かないのも事実。

 どうせ数日すれば紅も帰ってくるのだから、大したことではない。

 

「……良いのです。これで……」

 

 白蓮は自分の内に閉じこもるような気持ちで、久しぶりの孤独な時間を噛み締めていた。

 

 

 

 白蓮の法界における日常は穏やかなもので、毎日が単調な修行の繰り返しである。

 最初は身体を蝕んでいた法界の封印も今では修行に適した程よい枷であると感じるようにもなり、根が真面目な彼女はそんな中での研鑽に、黙々と励み続けていた。

 

「うわー、相変わらず酷い空間……」

 

 クイズ大会が始まった翌日、修行中の白蓮は、法界の空を飛ぶ一人の美しい女性を見つけた。

 法界には様々な妖魔が存在するし、そのいくつかと既に顔見知りにもなっていたが、その女性は初めて見る姿であった。

 

 赤い衣を身に纏い、背に六枚の黒い羽を生やし、銀糸のような髪を風に揺らす女神。

 

「あ……」

 

 紅との長い暮らしの中で、その特徴は白蓮も聞き及んでいた。

 魔界における創造神であり、紅にとっての恩人でもあるという女性。

 

 それが魔界の神、神綺であることは、ひと目でわかった。

 

「あら?」

 

 ふらふらと法界の空を漂っていた神綺は、こちらを見ていた白蓮に気づく。

 そのまま神綺はゆらゆらと羽を揺らしながら、彼女の正面に舞い降りた。

 

「貴女、人間なのね。地上でどんなに悪いことをしたら、こんな場所に封印されちゃうの?」

「え、ええ……」

 

 神綺と白蓮の邂逅。

 それは、わりとフランクで、かなり失礼なものであったという。

 

 

 

「はー、人間達に負けちゃったんだ。それは残念だったわね……」

「は、はい……いえ、それ自体は残念というわけでもないのですが……」

「そうなの?」

 

 暇そうな神綺に話をせがまれたので、白蓮は自分がこの法界に封じられることになった経緯を大雑把に話した。

 自分が信貴山を出奔し、妖怪たちを助ける旅を続け、そして人間たちによって封じられた。

 そこまでの経緯を仔細は省きつつ丁寧に説明したつもりではあったのだが、神綺の理解は大雑把であった。

 

「まぁ、生きてれば良いことあるわよ。落ち込まないで!」

「……ふふ、ありがとうございます」

 

 しかし悪い人ではない。

 魔神と聞くとさぞ恐ろしい神なのだろうと思っていたが、いざ話してみるとなかなか親身だし、少なくともこちらが礼節を重んじている間は穏やかであった。

 

「しかし、神綺様……でよろしいのでしょうか?」

「ええ、良いわよ。神綺って呼んで?」

「神綺様は、何故こちらに?」

「あー。ちょっと暇だったから、なんとなく? みんな魔法のクイズ大会にかかりきりで、つまらなかったから」

「そ、そうなのですね」

 

 全て事実である。

 魔法クイズ大会はライオネル・ブラックモアにとってはかなり興味の強い分野であったが、神綺はさほど魔法に興味がなかった。なので気まぐれに法界を訪れた。ただそれだけのことである。

 

「白蓮は魔法が使えるの?」

「はい。魔導書を読み、体得しました」

「あら、そうなんだ。ちょっと使ってみてくれる?」

「え、いえ、使う……ですか?」

「見せて見せて。本気の派手なやつ。人間の魔法、見てみたいわ」

 

 神綺はにこやかに笑っているが、白蓮はどう答えたものか迷っていた。

 

「……ええと、神綺様。私が本気で使う魔法というのは、かなりその、危ないのです」

「そう? 何の書を読んだの?」

「何の、とは……私は“棍棒の書”という魔導書を読みました。封印された際に地上に置き去りにされてしまったせいか、手元にはありませんが……」

「だったら平気よ。さ、ここに打ち込んでみて」

「ええっ?」

 

 神綺はどこか期待するような顔で、両手を前に構えている。

 そこにミットでもあればセコンドらしくもあるが、彼女は素手だ。全力の魔法をぶつけた際にどうなるかは想像に難くない。

 

「……神綺様に怪我をさせるわけには……」

「ふふ、人間はみんな自信たっぷりなのね? 気にしないでいいわ。平気よ」

 

 穏やかな口調。親身な微笑み。

 しかし、白蓮は気付かされた。その笑みはあくまで、人間である自分が無力であるからこその対応なのだと。

 

 無害な小動物に敵対心を抱く者などいないのだ。

 

「……確かに私は人間ですが、魔法使いです」

「ええ、知ってる」

 

 白蓮が法界の荒れ地を踏みしめ、武術の構えを取った。

 紅との手合わせを繰り返す内に身に着けたその型は攻撃偏重のものである。

 時に襲いかかってくる妖魔に痛打を与え撃退することもあるそれは、極めて実践的な戦闘術だ。

 

「思い出したわ。貴女、多分あれでしょう。“命蓮”っていう人間の親類なのでしょう?」

「……!」

「ええ、話に聞いたことはあるの。会ったことはないけど、楽しい人らしいわね」

 

 魔神が命蓮()を知っている。白蓮の瞳が揺れた。

 

「けど、命蓮はもう死んじゃったんでしょ?」

「――」

 

 その一言だけで、抑え込んでいた感情は解き放たれた。

 長年繰り返してきた型が最適な流れを組み上げ、必殺の一撃を作り上げる。

 

 正拳突き。単純なその技に十全な魔力が乗るだけで、あらゆるものを破砕する轟撃と化す。

 

「わあ、すごい」

 

 神綺はその一撃を、両手で完璧に受け止めていた。

 拳の先から滴り落ちる血は白蓮のもの。人智の及ばない防御を前に、人間の練り上げた拳は一矢報いることもなかった。

 しかし、白蓮はそれでもまだ自身の感情の高ぶりを抑えきれていない。

 

「あら? ふふ、頑張ったのね」

 

 二撃、三撃。型通りの堅実な連撃が神綺を襲う。

 だが至近距離であれば相手の思考を読み取れる彼女にとって、見慣れない武術でも受け切ることは難しくない。流れるような見事な技の全てを、たおやかな手は絡めるように受けきってゆく。

 

「はあ、はあ……」

 

 やがて三五ほどの打撃を繰り出して、白蓮の息が荒くなった。

 そのまま緩慢な動きで技が途絶え、沈黙する。

 神綺はうなだれるような白蓮の姿を見て、慈しむような笑みを浮かべていた。

 

「……どう? すっきりした?」

「……わかっています。わかっているのです。貴女は……命蓮をどうしたわけでもないのだと……ごめんなさい。神綺様。ごめんなさい……」

「いいのよ。大丈夫。平気よ、白蓮」

 

 白蓮はそのまま膝を付き、泣き崩れた。

 神綺は彼女の頭を抱き、優しく背中を擦っている。

 

 連撃を繰り出す最中に溢れた強い感情を、神綺は確かに受け止めていた。

 人間らしい幼い不安。淋しさ。喪失の悲しみ。

 抑え込んでいたそれらが思いが消えず溢れ、律儀であり続けた心を激情で覆い尽くしてしまったのだろう。

 

 白蓮は法界に封印された。

 修行は続けている。ここでの暮らしを受け入れている。

 

 だがそれは表面上のことに過ぎない。

 

 できるならば。許されるならば本当は――。

 

「会いたいのに……! どうして……!」

「……我慢しなくても良いのよ。淋しかったのよね」

「うう……うぁああ……!」

 

 その日、白蓮は久しぶりに声をあげて泣いた。

 

 最後にそのような泣き方をしたのがいつだったのか、彼女自身も覚えていない。

 

「それでも貴女は、一人じゃないのよ」

 

 神綺はしばらくの間、白蓮の背を優しく撫で続けていた。

 

 

 


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