東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 高度な魔法の問題を解くためには、己の持てる知識を総動員せねばならない。

 受け継いだ常識。持ち合わせの閃き。そしてそれらは一口に言い表せるほど単純なものではなく、人によって常識が異なっていれば、閃きや発想だって異なっている。

 答えを求めるための腕の藻掻き方、たどり着くまでの歩み寄り。全ては千差万別だ。

 

 だからこそ、これは見ていて面白い。

 誰がより多く点数を取ったのか。それは当事者たちには悪いが、私からすれば二の次や三の次だ。

 重要なのは過程である。答えにたどり着くまでにどう考えたか。どう葛藤したか。どう呻いたか。

 苦悩の末に導き出した呟きの中にこそ、積み上げてきたものの本質が垣間見えるのだ。

 私は魔法について思案する彼らの苦悩の蠢きを愛している。

 

 逆に言うと、何も考えていないのに何故か答えだけがパッと浮かんでパッと記入できる。

 そういうのは全く愛していないということだ。

 

「判定は緩くしてあったが、目立つ真似をされたものだ。ついに引っかかったぞ。不正者だ」

 

 赤肌は面白くもつまらなくもなさそうな面持ちで、私にそう伝えた。

 不正者。今回について言えば、それはカンニングに近い行為であろう。

 

「四人組のうちの一人だな。協力者名を併記せずに仲間内で出された答えを記入したようだ。一問だけならばともかく、十数問近くをそうしている。他の三名が真面目に協力者名を併記しているというのに、それを怠っている……故意かどうかを判ずる必要はないが、なんともまぁ」

 

 誰かと共同で問題解決にあたった場合、必ず協力者の名を併記する必要がある。

 併記することで点数が分散し、適正な得点が得られるのだ。

 このクイズ大会の中では最もズルしやすい仕組みのひとつだったのでどうなるかなーと思っていたポイントのひとつである。

 

 しかし、私としては……。

 

「終わり際になってやっと出たんだ……」

「本当にな」

 

 そんな心地だ。

 もう既に大会も残すところあと一日。まさかここまで不正者が少ないとは思わなかった。

 

「目次に規則は全て書いてある。口頭で注意を促す必要もあるまい。それで構わないな?」

「うん、私は良いと思う。けれど、わざわざ私の確認を取る必要はないのでは」

「いいや。お前は不正のない解答欄を見たかったのではないかと思ってな。お前がこの大会期間中に個人的に注意を促したいのであれば、言わずにおくのも失礼だろう」

 

 悪魔らしい笑みを浮かべ、赤肌が手の向こうで口を歪める。

 

「だが、特別興味は無かったか」

「うん。不正は不正だからね。決まり通りに処理してしまえばいいと思うよ」

「わかった。そのように取り図ろう」

 

 赤肌はそう言うと本を閉じ、ゆらゆらと歩き去っていく。

 しかし私はその後ろ姿を見て、ほんの少し思うところがあった。

 

「赤肌」

「なんだ」

「いや、私の勘違いだったら悪いんだけども。最近の私はそういう気遣いだとか、気の回し方とかに自信がなくてね。だから聞いちゃうんだけど」

「ふむ」

 

 こういうのを直接訊ねるのはそんなに好きではないのだが。

 

「私に何か、恩を売ろうとしているのかな」

 

 しかし思い切って訊いてみると、彼の返答はすぐに帰ってこなかった。

 あまりにも意外な問いかけだったのか、それとも。

 

「いや、随分と私のために色々と工面してくれているようだから、気になってね」

「ふむ……不愉快だったか?」

 

 赤肌の言葉に、私は首を振った。

 

「いいや、全く。むしろ心からありがたく思っているよ。私の求めていたものの多くが、この大会で手に入っているからね」

「そうか。ならば良い。そうか、少々露骨だったか。悪魔らしい自然な取り入り方など、捨て去って久しいからな。正直なところを打ち明けると、私はお前の力に興味があるのだ」

「ほほう、力。つまり魔法に興味があると?」

「前のめりになるな。この場合、知識とは少し違うものでな」

 

 赤肌は周囲を見回し、砂時計の上に時間問題が発表されるのを確認すると、そこから離れた所にあるテーブル席を指差した。

 

「誰にも話したことのないような、つまらない昔話を交えねばならん。訊かれて面白いことはない。向こうへ移動しないか」

「ふむ」

 

 そうして私と赤肌は、皆が中央の砂時計に注目する中、ひっそりと片隅のテーブルへと腰を落ち着けた。

 

 

 

「さて、何から話したものかな」

 

 赤肌は皿の上の丸いチーズをじっと見つめながら、考え込んでいる。

 私は砂時計の周囲が難問の発表に騒々しくなる中、彼の言葉を待った。

 

「今でこそ私は、落ち着いてはいる。分もわきまえたし、納得もしているのだが。昔はそれなりに、力に執着していた口でな」

「ほー、意外だ」

「力を手にするためならば、何にでも手を出したものだ。戦闘術を磨くなり、強力な魔法を磨くなり……やっていくうちに肉体的な部分においては限界を感じ、魔法の方に走ったのだがね」

「おお、それは賢明な判断だ」

「いや、何を期待させているのかはだいたいわかってはいるのだが。それを少々裏切る話になってくるのでな。あまりはしゃがないでもらおうか」

 

 そうか……。

 

「その魔法にも、限界を感じたのだよ。当時は己に扱える魔法にも限りはあったしな。伝説じみた噂によれば十三冊の魔導書というものには強力な魔法が書き記されているというから、探してはみたのだが。これがなかなか、いくら探してみても気配すら感じられん」

 

 自分から私の魔導書を探していたのか。それは随分と珍しいように思える。

 ふむ、力を求めて私の魔導書を……。

 

「探しようもないのでな、魔法も諦めたのだ」

「なんと」

「珍しいことでもない。我々悪魔や妖魔は、魔法よりも己の種族としての力を磨いた方がずっと強力なのだ。故に魔法はある一定のところで研究されることなく、頭打ちになる。伸び悩む。それだけのことだ。実際、当時の私にもその限界は最初から見えていた」

 

 赤肌は口元を手で覆い、小さなため息を閉じ込めた。

 

「……しかし、私の……種族。生まれ持っての種の力というものは、貧弱でな。とてもではないが、その能力を主軸に伸ばそうだとか、そのようなことは考えられもしないものでな。まあそれも、そう思い込む私の精神構造も影響しているのだろうが……そちらも諦めた」

「随分と諦めが多いね」

「現実的に強さを模索すると、そうなるのさ。今にして思えばどれも横着なだけだったのだが。当時の私は……力を急いでいた。意味もなくな」

 

 赤肌は皿の上の丸いチーズを三等分に切り分けた。

 

「だから私は、己を“強い者である”とすることにした」

「……強いものである、とする?」

 

 プラシーボかな?

 

「己の存在を作り変えたのだ。姿を変え、名を変え……時に強者とすり替わり、強者と成り代わり。その時、私の名はヘルメス・トリスメギストスとなったのだ。他者を騙り、信仰や畏敬からくる力を掠め取る。恥知らずの所業だよ」

「……信仰と畏敬」

「人間から齎される感情の力は凄まじい。それを上手く掌握できる者こそが絶対の強者であると、私は考えた。実際、当時も……いや今でさえ。地上では人間の畏れや信仰を獲得するために争いが繰り広げられている。神も悪魔もな」

 

 赤肌はチーズのひとかけらをつまみ上げ、食べた。

 

「様々な名を騙り、力を得た。凄まじいものだったな、あれは。信仰に躍起になる連中の思いも理解できる。あれは凄まじい力だった。……知らぬ内に、己そのものを見失いそうになるほどにな」

 

 二つ目のチーズを食べると、残されたかけらはひとつだけになった。

 

「……単純な話さ。私のやってきたことは失敗だった。弱い私が強い者そのものに成り変われるはずなどなく、逆に“向こう側”へと引っ張られる始末だったのさ。私は一時的な力を得たが、それを保持し続けるにはあまりにも……いや、妥当な代償だったのだろうな。身の丈に合わぬものを欲した結果、私は自我と呼べるものの多くを傷つけてしまった。大いなる神々にも伝説的な大悪魔にもなれず、辛うじて切り離せたのは未熟な悪魔としての側面のみ。笑えるだろう?」

 

 赤肌はビールを片手に、もう片方の手で口元を抑えて笑う。

 

「そんな私が今こうして、筆記試験の不正者を見咎める立場にあるのだからわからないものだよな。いや、ほとんど全てを失った後にお前と出会えたことそのものが奇跡ではあったのかな」

「……色々あったんだね」

「長く生きていれば、それなりにはな」

 

 彼は自分をヘルメス・トリスメギストスと名乗った。しかし今、彼にその名に相応しい力は残されていないのだろう。

 だから彼は己を赤肌と呼ばせたいのだ。おそらく、それこそが彼の数少ない、真っ当な名前だろうから。

 

「……このような身の上話など、もっと後ですると思っていた。停滞する時は何百年だが、進む時は数年や数ヶ月。生とは実に摩訶不思議だ」

「わかるよ」

「だろうな。ライオネル・ブラックモア。お前はわかってくれそうだと思っていた」

 

 赤肌は私の眼窩をじっと見つめた。

 

「……なあ、ライオネル・ブラックモア。引き剥がされた己の魂は、お前の魔法であっても……二度と戻ることはないのだろうか」

 

 それは、きっと彼にとって一世一代の問答であったのだろう。

 きっとその問いかけのために、その答えを欲していたがために、私に色々と便宜を図ってくれたのだろう。

 

 無責任に勇気づけてやることはできる。

 だが問いかけには正しく返さねばならない。それが少しでも魔法に関わるのであれば尚のこと。

 

「私の力を持ってしても、非常に難しいだろう」

 

 それは現時点での私の答えだ。

 

「神族や魔族の習合や合一は、霊魂の極めて複雑な、深部の癒着だ。私は大雑把に霊魂の特性を切断し弾き飛ばすことはできるが、一度離れたものを別の個体に取り込み直すのは……不確定要素があまりにも多い。そもそも、赤肌の因子を狙って切除することが難しい」

 

 答える間、赤肌はずっと真剣な目を私に向けていた。

 

「仮にヘルメス・トリスメギストスに由来する神々たちの許可を取り付けて切除作業を行えたとしても。霊魂の切除箇所が適切だったとしても。無事に取り込めたとしても。時が経って赤肌の因子は既に変容しているだろうから、正しく“戻った”とは言えない……そんな結果が待っているだけだと思う」

 

 できるわけがないとわかっているだけに、ある意味それは一から霊魂を創造するというアリスの野望よりもずっと難事であるように思える。

 

「……そう、か。やはり、そうだったか……」

 

 赤肌はうなだれ、ビールの残りを飲み干した。

 そしてクククと低い笑い声を出し、顔を上げた。

 

「……戻らないか。あの時の力は」

「残念だが」

「そうか……」

 

 赤肌は賑やかな砂時計の方を見やり、椅子の背もたれに体重を預けた。

 

「……ま、それでもいいさ。今の私は……大いに懲りた。二度と魂を引き裂かれたくもない。地道に魔法を学び、地道に力をつけ、当時とは違う方法で強くなる。それこそが、一番さ」

 

 そう言って赤肌はニヤリと笑い、私に顔を向けた。

 

「今の答え、なかなか印象が良いだろう?」

 

 私はうなずいた。

 

「完璧だ。地道に魔法を学ぶことこそ、私がおすすめする一番の道だよ」

「フッ……だろうな」

 

 最後のチーズを食べて、そこで赤肌は既にビールを飲み干し終えたことに気づき、苦笑した。

 

「横着は良いことがないからな」

 

 

 


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