自分で言うのは少々気は引けるが、臙脂学派の学長ナハテラといえば、実際、それなりに名の通った魔法学者として有名であろう。
特に魔石、エンチャントに関する分野においては引けを取らないものであるはずだ。少なくとも魔都において、私は二か三を争うだけの知識を有していることは間違いあるまい。
なので私が今回行われた魔法クイズ大会という催しにおいて最優秀成績を残すことになったのも、ある意味で必然と言えた。時折私の意表を突く奇抜な出題も多かったが、他の参加者の中に外界からの有力者が少なかったこともあり、最終的には余裕のある得点差を付けられたと思う。
「おめでとうございます、ナハテラ学長」
「さすがは学長だ。あの難問さえ解けてしまうとは……」
「一等地で講義できるともなれば、我々の勢力はより一層厚みを増すでしょうな」
同じ臙脂学派の仲間たちは私の受賞を心より喜んでいる。
中には内心で嫉妬している者もいるかもしれないが、自分たちの使う施設がより良い場所に移るともなれば無駄なことはしないだろう。私自身、仲間達の中にそのような俗物が混じっていないことを祈りたい。
……いや。理解量への嫉妬か。
他人事ではないな。なにせ、私は大会期間中に一度、柄にもなく嫉妬の炎を滾らせたのだ。
それは900問以降に連続する超難問の数々。その一つ一つから発せられる、裏打ちされたかのような知の深み……。
私は、私を遥かに凌ぐ魔法学の知恵者に対し、普段は剥き出しにすることはない牙を剥いた。この問題たちは間違っている。証明されていないもの、定理として認められていないもの……指摘の矢弾はいくらでもある。
食って掛かった先は謎多き謀略の悪魔“赤肌”だ。振興会の責任者たる奴にならば、多少は話も通じるだろうと考えたのだ。
しかし、私の牙はすげなく折られた。
そもそもの話として、ルール上、出題されているクイズが示す定理は正しいものであるとするという正論。何より……。
――そして、これは論理的な話ではないが。お前、本気で正しくないと思っているのかね。この問題集を。瑕疵があると。
赤膚より投げかけられたその言葉が最も効いた。
奴は訊ね返してきたのだ。“認めたくないだけではないか”と。
……ああ。その通りであった。確かに突こうと思えば、たとえば我々が日頃登壇する場にその問題を掲げれば、指摘は指摘として通っていたかもしれない。
だが……この数々。クイズと呼ぶには、あまりにも未知に溢れた……しかし精査してみれば、納得せざるを得ない完成された美の数々は、私の指摘が苦し紛れの癇癪であることを厳かに窘めているのだ。
私はこの大会で最優秀成績を収めた。第一回の覇者であることは誇りだ。
しかし、一番ではない。
出題者“ライオネル・ブラックモア”。
……それは魔界における文筆家にして、噂によれば外界における“触れ得ざる者”として知られる謎多き存在。
少なくとも私の理解は、その者の下に位置することは間違いないだろう。
「学長、それは? ああ、確か賞品でしたか。何らかの力が込められたアーティファクトだとか?」
「うむ」
大会が終わりしばらくの間、私は出題されていた難問の精査と、賞品の調査に没頭していた。
難問の精査は言うまでもない。あの数々の知識には我々の研究にとって有用なものが数多くあるはずだ。中には意図不明な実験や数式もあったが、幸いにして足がかりとなり得る取っ掛かりの問題もいくつかある。古文を紐解く考古学者の如き遠回りを感じるが、背丈の高い者の肩へとよじ登っていく一歩一歩に不快感はない。少なくとも、当たるか外れるかの博打に近い闇雲な研究に財源を擲つよりは前向きになれた。
私はといえば、個人的にこの赤金色の栞の開封にかける時間が多くなった。
これは何らかの呪いか魔法を封じたものであるようで、封印を解除することでその中身が読み解けるという仕組みであるようだ。
だがこの封印が実に呆れるほど堅牢なものであり、繊細な魔力の流し方を要求されている。力押しで開封できないこの封印は、それだけで魔都の最高級金庫にも匹敵する代物であるかのように思われた。
つまりはパズルに近い。
魔力を流し、筋道を選択し、正しき回路を呼び起こす。その連続。
封印の内容がどこか私の研究内容である魔石に近い装いを意識していることもなかなか憎らしい。この代物がおそらくライオネル・ブラックモアの用意した品であろうことは、私にもなんとなくわかった。
……ふむ。しかし、私は大会中はその意識をライオネル・ブラックモアに向けていた故に、あの問題に彼の名を書き記したのだが……意外と、彼の名を挙げたものはいなかったようだな。
“この世界において最も有名であろう魔法使いについて予想し、上位5名の名を書きなさい。”
“なお、この問題の解答は参加者全員が書き記した名前の中から最も多い順に正解とし、知名度が高い魔法使いほど配点は高いものとする。”
“このクイズに関しては一切の協力が認められていないので、注意すること。”
振り返ってみれば、あの奇妙な問題において多かった答えは、“魔法を扱える有名人”といった様相を呈していた。
少し頭を捻ればもっと腕の立つ魔法使いはいるだろうに、無難というべきか、どこか周りの感性や知識を伺う答えが多かったように思う。
特に上位三位に食い込んだ最上位魔王たる“小悪魔”、彼女が多大な権限と支配力を手にしていることはあまりに有名だが、魔法の使い手としての名声などは寡聞にして一切聞いていないのだが。
「まぁ、“マーリン”などの名声は地上においても広まっているし、そういった有名人が上位に食い込むことには納得するが……む?」
考え事をしながら魔力を流しているうち、栞の封印がようやく解けた。
栞に走る金色の魔線に穏やかな光が走査し、内部に秘められた呪いとして保存された知識が顕わになる。
少々手間取ったが、なかなか洒落た容れ物であった。ライオネル・ブラックモア、なかなか楽しませてくれるではないか。
さて、早速中身を拝見しようか。まさか呪いを受け入れた途端、食い殺される類のものでもあるまい。
私は栞の中で朱く輝く呪いをティーカップに移し、それを一息に飲み干した。
「……」
次の瞬間に脳裏を駆け巡るのは、新たな知識。
“血の書”における特別閲覧の限定権限。
「……これは……」
魔法の知識。そう、それはまさに力ある魔法の真髄であろう。
ひとたび振るえば、いかに堅牢な守りであろうとも貫くことは難しくはない……。
それこそ、魔都に巣食う悪魔の頂点に立てるほどには。
「これは、駄目だ」
私は思わず立ち上がり、首を振った。
ティーカップがデスクから転げ落ち、乾いた音を立てて砕け散る。
幸い、周りには誰も居ない。私の奇行を目にした者は居なかった。
「……」
嫌な汗が頬を伝う。口の中が嫌に乾く。……過ぎたる力はなんとやら、だな。
私はどうやら、仲間たちにも知られてはいけない秘密を抱え込んでしまったようだ。
「……ああ、厳重に封じねばなるまい。この栞を、何重にも、より堅牢に……」
この魔法の研究は他人に任せることはできない。
私一人で行わなければ駄目だ。そうしなければ……穏やかな均衡を保っていた魔都の力関係が、崩れかねんからな。
「ライオネル・ブラックモア。確かにこれは望みの品ではあるが……私がこれを安全に使いこなせるようになるのは、随分と後のことになるぞ……」
私は栞を胸ポケットにしまい込み、肩を落とすしか無かった。