東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 ――なるほど。紅は、外へ出ることにしたんだね。

 

 

 クイズ大会。全ての日程が終了し、いざ帰ろうという時のこと。

 外界への旅立ちを決意した私は、金色の飾りを揺らして歩くライオネル様にその旨を話した。

 ライオネル様は私の話を聞いて、何度か頷いた後、語ってくださった。その時の言葉が蘇る。

 

 

 ――アマノの元へと向かうのであれば、近い門がある。そこを利用するのが一番だろう。ただ、向こうには人間が魔界からの流入や流出を警戒してかいくつかの結界が施されている。それを無力化して抜けなければならないのだ。

 

 

 そう言って、ライオネル様は一つの鈴を私に差し出した。

 二個一組の、地味な鈍色の鈴だ。

 

 

 ――この鈴を鳴らしながら結界を潜りなさい。そうすれば、貴女は何事もなく抜けられるだろう。アマノは神社にいるだろうから、顔を出してあげるといい。

 

 

 

 

 私の手には今、その鈴がある。

 目の前には暗闇が渦を巻く大きな魔界の門。

 

「……行きますか」

 

 いよいよである。けれど、足踏みする必要などない。

 私は少しも躊躇することなく、久方ぶりの地上へと旅立っていった。

 

 

 

 門の中は暗く、長い。ところどころ地面も曖昧で、平衡感覚が失われそうになる。

 神力とも妖魔力とも違う不可思議な力によって支えられ、いや、穿たれているこの空間は、不可思議な揺れを感じる割に危険を感じない。

 

「……あら?」

 

 道中で、立て看板を見つけた。どうも古い魔界語で書かれているそれは、神綺様によって立てられたものらしい。

 魔界の旅の中でいくつか文字を習った経験もあるので、意味はなんとなくわかる。

 

「“門番さんを募集しています。経験者歓迎。詳しくは神綺へどおぞ。”……ですか」

 

 門番さん……なんとも言えない、神綺様らしい表現だ。

 地上と魔界を繋ぐ重要な施設の警備を公募するとは……。

 

「じっとしている仕事なら私も向いているかもしれないけど……」

 

 今の私は旅人だ。仕事は他の人がやればいいだろう。

 

「出口だ」

 

 そうこうしている内に、狭間の移動は終わりそうであった。

 

 

 

 暗闇から脱すると、そこはそれまで居た異界と似たり寄ったりの暗さの洞窟内だった。

 鍾乳洞。錐状に垂れ下がる鍾乳石の長さは、この洞窟ができた年代の古さを表している。

 そして鍾乳洞のあちこちに結界が張られ、ゆく者や来る者を拒んでいた。

 

 私はそんな中を、鈴を鳴らしながら歩いていく。

 結界に触れる瞬間はさすがに体も強張ったが、鈴の音色を響かせていると体は結界の表面をするりとすり抜け、何事もなかったように進めてしまう。

 あらゆる種類の結界を問答無用で通り抜けられるという意味不明なすり抜けだ。けど、この鈴もライオネル様が作ったものであれば驚くべきことでもない。法界という究極の封印を目にしているのだ。封印を無力化する術など、いくらでも持っていらっしゃるのだろう。

 

 しかし、私が母のもとへ向かおうと伝えた際、ライオネル様も誘ってはみたのだけれど、あの方の返事は色よいものではなかった。

 “私はまだ地上はだめだ……私はまだ駄目なのだ……”とかなんとか三点倒立しながら呟いてらした。意味はわからなかったけど、そういうことであれば仕方ないのだろう。多分。

 

「……外」

 

 洞窟を抜けると、もう結界はなかった。

 外は森。いえ、山か。私のいた洞窟の入り口は深い自然に埋没するようにあったらしく、周囲は鬱蒼とした木々と様々な小動物の気配に満ちていた。

 

 魔界にある自然とは異なる、どこか真新しい、洗練された森。

 見上げれば懐かしき青空の上には白くさえ見える太陽が輝き、小さな小鳥が横切っている。

 

 鳥。我々の末裔にして、地上の空を住処とした者。

 

 たった一歩外に出ただけで、世界はあまりにも目新しく、鮮烈だ。

 

「懐かしいなぁ……」

 

 私は強い熱光を放つ太陽に微笑みながら、歩き始めた。

 

 さて、まずはアマノの。母のいる神社とやらに向かう必要がある。

 名前は博麗神社。着いたら、何の唄を歌おうかしら。

 

 

 

 歩いてしばらくすると、ある程度使われているらしき道を見つけた。

 そこを辿っていけば、すぐに村と呼べるものが見えてくる。

 いくつかの小屋が並び、畑と水田が連なるそれは、確かに村だ。規模は小さいけれど間違いなく村であり、そこには白蓮と同じような人間たちが腰を屈めて作業に没頭している。

 

 土の染みで汚れた服に、作業を手伝う女子供。

 子供を見るのは好きだ。私はその人間たちについて何も知らなかったが、子供がはしゃいでいるのを見るのは好きだった。

 

 私が目立つところで立ち止まっていたからか、畑にいた女がこちらに気付いた。

 彼女は私を見つけると少し驚いたような顔をしてみせ、……すぐに子供を後ろに隠した。

 

 なるほど警戒されている。人間は脆いと聞くし、人間と妖怪の話については白蓮からも聞いていたが、いかにも露骨な反応だ。

 白蓮はそこそこ強かったけれど、ほとんどの人間は妖魔に無力なのだという。その結果が、真っ先に逃げを考えるあの反応というわけだ。

 

 しかし私は敵ではない。面倒事を持ってきたわけでもない。

 旅の経験はあるし、その中ではこうして警戒されることだって少なくなかった。

 なのでひとまず私は笑みを浮かべ、手を大きく振ることにした。

 

「旅のものですがー、道をお尋ねしてもー?」

 

 こういう時の鉄則は、正直であることだ。

 己に邪なものがないことを示すには、誠実であることが一番。

 そもそも、私は嘘が得意ではない。策を弄するよりも、こうして懐を晒すのが手っ取り早いことを知っている。

 

 

 

 女は子供をひとまず家に返したようだけど、声をかけた私と受け答えはしてくれた。

 恐る恐るといった様子で近づいてきた彼女は最初こそ私の存在を訝しんでいたけれど、私が旅をしている者であることを伝えるとある程度は信用してくれたらしい。

 

「髪の色があまりにも……綺麗な紅色だったものですから。以前、村にいた妖の子が同じような髪だったので、まさかと思いまして……」

 

 どうやら私の髪の色を見て、ちょっとした思い出を呼び覚ましたらしい。

 聞くところによれば少し前に“玉緒”という半妖の子が村にいたのだそうだ。良い子だったけれど、今は行方が知れず……おそらく死んでいるだろうとの話であった。

 

「……本当に玉緒さんとは、関わりがないのですね」

「ええ。私の名は紅。半妖ではなく、れっきとした魔族……妖怪ですよ」

「……玉緒さんのお母様というわけでも……」

「無いです」

 

 母を探しにきたというのに、何故私が母にされねばならぬというのか……。

 残念そうにされても、私は玉緒という者とは縁のないただの紅だ。

 

「私はこの土地へ、神社を。博麗神社という神社を訪ねにやってきたのです。そこで一度、神に祈らせていただきたく……あの、なんですかその顔は」

「博麗神社へ行くのに……あの、やはり玉緒さんと何か」

「いやいや、だから無いですってば」

 

 よそ者への警戒心が強かったり、かと思えば誰かの身内に仕立てあげようとしたり、いまいち距離感の掴めない村であった。

 

 

 

「……玉緒ちゃん? 玉緒ちゃんなのかい?」

 

 しかしどうも、それはこの女性だけの勘違いというわけでもないらしく。

 

「妖怪の方か? 玉緒ちゃんと関係があったり……?」

 

 私は案内される道すがら、寄ってきた村人たちからそのような声を度々かけられることになった。

 別に顔立ちが似ているというわけではないらしい。しかし私の紅い髪の色はどうにもその子のことを想起させるらしく。

 

「玉緒姉ちゃん! 生きてたんだ! 良かった……!」

 

 中にはそう言って抱きついてくるような子までいる始末。

 否定したり宥めたり剥がしたりと、まぁなんとも忙しい。

 

 結局村の小さな範囲を軽くぐるりと回っただけで、何人かの人間が一緒についてくることになってしまった。

 場所がわからず結果的に遠回りしてしまった私のせいではあるのだけど、どうしてこうも人間たちは私に付き纏うのか。

 

「この先です。この石段を上がった先に神社があります」

「今は神主も……巫女も不在ですが。境内の管理だけは、欠かしておりません。……参拝者が来るとは思いもよりませんで……本当に玉緒ちゃんの親戚ではないのです?」

 

 玉緒という子は博麗神社の巫女を務めていたそうだ。

 しかし数年前にある大妖怪が村を襲った。

 村には多くの退魔師がおり、総出で討伐に当たったものの……結果は相打ち。どうにか大妖怪は封じ込めたものの、玉緒はその時から見つかっていないという。

 

 村は今、その時の傷を治そうと必死になっている。

 失われた退魔の技術を蘇らせようと、損なわれた人手を取り返そうと、藻掻いているのだ。

 

 ……今は村にとって、彼らにとっての冬なのだろう。

 越冬は厳しいものだ。どうにか乗り越えられたらいいなと、外様ながらに思う。

 

 

 

「こちらが博麗神社です」

 

 言われずとも、その神社を見た瞬間から私は“これだ”と確信していた。

 木造の建築から静かに、緩やかに発せられる無味無臭の極めて純粋な神気が……私の心に深く染み入る。

 

 私はここまでついてきた何人かのお節介な村人たちをよそに、境内を進んでいった。

 

「あの、拝殿までで……」

「奥へは、その!」

 

 制止はあったが、止められる筋合いはなかった。

 私は奥にある本殿と呼ばれるらしいそこへと進み……目的のものを見つけると、溜息がこぼれた。

 

 本殿。その奥に鎮座する球体。その球体の名は知らなかったが、そこより感じる強い気配を間違える私ではない。

 

「……紅さん?」

「あの……そういったしきたりがあるわけでは……」

 

 私はその場に傅き、瞑目し、文字通りの玉体に祈りを捧げた。

 言葉に出せない様々な想いをただ祈りに込めて、捧げる。

 法界での瞑想とは違う、はっきりと“伝わっている”という感覚がたまらなく愛おしい。

 

 ああ。私は長らく、この日を待っていたのだ。

 

「ちょ、ちょっとあれ!?」

「動いてる……まさか!」

 

 これまで溜め込んでいた祈りを捧げるほどに、アマノの気配がこちらへ近づくよう。

 ……ん? いえ、錯覚ではない。確かに気配が、私の直ぐ側まで近づいているような……。

 

「あら……」

 

 目を開けると、傅いた私の足元に紅白の鮮やかな球体が転がり込んでいた。

 ……私の念や氣が動かしてしまったのだろうか。無意識だったとしたら少し申し訳ない。

 

 私はアマノの骨が使われているであろうその球体を両手に持って、振り向いた。

 村の人間たちはそんな私を見て、ひどく驚いたような顔をしている。

 

「あの、これを奥に戻したいのですが……」

「み、み、巫女だ!?」

「新しい巫女さまだ!」

「え?」

 

 巫女さま、とは。

 

「あああ、あ、あなた! やはり玉緒さまの姉上か母上なのでは!?」

 

 ……私は今日、その言葉を何度否定すればいいのだろう?

 

「しかし博霊の巫女が外から来てくださるとは……! 誰か! 村長に連絡をっ!」

 

 …………そして現状が酷く厄介そうな方向に進んでいるように思えるのは、私の気のせいなのだろうか?

 


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