「ふーむ」
私は今、魔都パンデモニウムにいる。
新しく一等地に居を構えたという臙脂学派の学舎も気にはなるのだが、ひとまず後回し。
それより先にである。旧紅魔館の施設であった、今は独立している時計塔の地下に用がある。
「充填量は申し分ないんだけど、はてさて。引き出し機構にちょっと難有りなんだよなこれ……いや、けどいじりようが無い結論に落ち着いたからなぁ。うーん」
時計塔地下の魔石貯蔵庫には、並行連結された巨大球体魔石がぼんやりとした輝きを放っている。
単純な魔力とはいえ、防護なしでこの地下室を歩くのは非常に危険だ。部屋に据え置きしている動力源を抜いてあるカートリッジ式魔石ランプが空間の魔力余波だけで規格外の光を放っている時点で明らかにまともな環境ではない。
異界化してないのは外壁に敷設された魔法が効率よく魔力を循環・消耗させる結界を張っているからだ。魔都に流れ込む魔力を貯蓄するのが目的の施設なのに自己消化させるなんて効率が悪いようにも思えるが、規模が大きくなるとどうしても必要になってしまうのだから仕方がない。
一部は魔都の都市エネルギーへと変換されているものの、この施設から発せられるエネルギーを当てに都市計画を作られでもしたら後が大変なので極力外への放出はしていない。エコからは限りなく遠く離れた建築物だが、将来的にはちゃんと仕事をするだろうし我慢だ。我慢。
「……何度かテストしてみる必要はあるか」
確認してみたところ、貯蔵量は十分。後々供給量は減るだろうが、それでも現時点で十二分なだけの量があるだろう。
なので私は今のうちに、起動テストを行ってみることにした。
大掛かりな“月時計”によって正確な予測は既に出来ているので、これはあくまでも簡単な実験だ。
「あらかじめ魔都の各所に連絡だけ入れておこう……」
報告連絡相談。とても大事。これを怠る私ではない。
そうと決まれば神綺やサリエルに通達を出すことにしよう。
「というわけで時計塔の起動実験をすることになりました」
「……脈絡がないな」
最初に、堕ちたる神殿で魔界全域を監視中のサリエルのもとにやってきた。
彼女は八意と会ってイチャイチャしてからはより一層職務に励んでいるようで、時々魔界に流れてくる無法者に対してわざわざ説教をくれてやるといった事案が発生しているらしい。
外からの無法者も少しくらいはいい刺激になるしそう厳しく取り締まることもないのだが、サリエルの性分と言ってしまえばそれまでだろう。職務に忠実なのは良いことだ。
「実験によって、魔都の中心部を起点とした強力な魔力波が発生する予定でね。その間周辺地域では魔道具の使用を制限するか封印を施すようにしてほしいんだ」
「……魔都パンデモニウムは私の管轄ではないが、お前がそれを私に言うということは、大規模なのか」
「影響範囲は魔都の三分の一で、結構広いんだ。呼びかけをするにあたって、神綺やサリエルのような説得力のありそうな人たちに協力してもらえると助かる」
「ふむ、その程度の呼びかけであれば構わないが……魔道具に影響を及ぼすとなると、どうなるのだ」
「暴発するかもしれないね。物によっては非常に危険だ」
魔導コンロには火柱が上がり、魔導シャワーからは湯水が溢れ、魔導炸薬は大爆発。
もちろんそうなっては困るので、時間限定の封印が求められるのだが。
サリエルは悩むように口元を抑え、眉間の皺を深めた。
「……その実験の目的は何だ? どうしてそのような面倒なことを……」
「秘密、と言っても良いんだけど、多分言ってもわからないと思う。とりあえず数年後を目安に実施したいんだけど、呼びかけはやってもらえるかな」
「……もちろん構わない。だが、事故を防げるかどうかは魔都の個人次第だ。小火騒ぎが起こっても、私を責めてくれるなよ? ライオネル」
「もちろんだとも。ありがとう、サリエル」
ひとまず説得力の強そうな堕天使が動いてくれたのでなによりだ。
次は神綺さんの番である。
「やあ」
「あ、ライオネル。どうしました?」
瞬間移動で世界の果てまで移動すると、そこには闇の中にぽつりと浮かぶ神綺がいた。
陽は丁度正反対の壁面を登っている頃合いで、ここは夜中である。
原初の力で仄かに輝く神綺の姿は、言葉そのままに神々しかった。
「また今度魔都に看板を建てて布告を出したいんだけど、手伝ってもらっていいかな?」
「もちろん良いですよー。看板は私が書きます?」
「うん、お願いしたいところかな。地域別に何枚か、同じ内容のものを用意しておきたいね。それとは別に、姿を出して呼びかけもやってくれると嬉しいんだけど」
「入念ですね? お安い御用ですけど……あっ、時計塔で実験をやるんでしたっけ」
「そうそう。サリエルも呼びかけの手伝いをしてくれるから、声掛けの時は彼女と打ち合わせしてくれる?」
「はーい。仕事の後には何がでますか?」
「え?」
「おやつとかお酒とかケーキ……」
「……よし、じゃあ私がガトーショコラを作ってあげよう」
「チーズケーキでいいですよ。ありがとうございます!」
そういうことで、私はチーズケーキを作ることになりました。
ガトーショコラも悪くないじゃないか……。
「……大和から持ってきた牛、乳出るかなぁ」
「ヤギのが良いです」
「はい」
そういうことで、私はヤギの乳搾りを始めることになりました。
渓谷エリアで勝手に増えていたヤギから乳を拝借し、あえて原始的な道具で自力でチーズを作り、チーズケーキを何個も焼いて、幾つかをサリエルと神綺に振る舞ってそこそこの感謝を受け取り、せっかくなので魔都の小さな敷地でチーズケーキ屋さんを開いてみたら他店の妨害を受けて一月も経たずに閑古鳥が鳴いてあっさり撤退したりと、色々あった。
サリエルと神綺は魔都に姿を現し、数年後に実験が行われるという布告を流している。
さすがの悪魔たちもサリエルと神綺の二人からの布告ともなれば聞く耳を持つし、内容並みの危機感は抱いてくれる。
魔都の住民は普段はほとんど省みることもない暮らしの中の魔道具を再点検し、ゆったりと備えをはじめた。
実験が行われる日までに簡易封印装置の売上が少し上がったらしいが、日用品レベルであれば魔力を遮断するのも難しくはない、ほどほどで落ち着いたようである。
「これより実験をはじめます。ということを神綺さん、表に伝えてもらえますかね」
「はーい。“それじゃあ今から実験を始めるわねー”」
原初の力によって魔都全域に神綺ののほほんとした声が響き渡る。
果たしてその声で彼らの危機感が動くのだろうかと思わないでもないが、今の私には特に関係ない。呼びかけが行われたのだから、さっさと実験を始めてしまおう。
観測地点は魔都の一定間隔に設けてある。上空にはサリエルが監視役として控えている。さて、結果はどうなることやら。
「“起動テスト”」
この日のために構築しておいた魔法を時計塔の魔導ゼンマイに流し込み、起動させる。
すると地下に溜め込まれた魔石から一部の魔力が引き上げられ、軸を通って勢いよく上へと上り詰めてゆく。
――ゴーン、ゴーン
普段は物静かな時計塔が、重厚な鐘の音を響かせた。
それと同時に時計塔を中心に魔力波が放出され、景色を虹色に歪めながら広がってゆく。
「展開速度も問題なし、範囲も……まぁこんなもんだろうな」
時計塔の外に出ると、前もって伝えられていた実験であるにも関わらず、通りのそこら中から混乱や困惑の声が上がっている。
遠くからは爆発音や炸裂音まで断続的に上がっている。何らかの不始末があったのだろう。原因は私だけど、ご愁傷さまとしか言えない。
「どうですか、ライオネル」
「うん」
私のすぐ隣に神綺がやってきて、無表情でそう訊ねてきた。
私は一度だけ頷いて、段々と顕界の色を増し始めた魔都を眺め、もう一度だけ頷いた。
「なんというか……沢山の魔力を使った実験って……いつやっても面白いよなあって……」
「ええ、それだけですかぁ」
「ははは」
遠くの方で再び轟いた原因不明の爆発音を背景に、私と神綺はしばらく笑いあったのだった。
あ、ちなみに実験は成功でした。魔都の被害も軽微です。良かった良かった。