東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「紅様! また今度、お願いします!」

「ええ、暇な時ならまた」

 

 村人たち相手の鍛錬が終わる頃には、既に夕闇が山に迫っていた。

 霊術に才がなくともせめて体術は。そんな彼らの希望から、時折彼らの稽古に付き合っている。

 この村は常に妖怪の脅威に晒されているが、時々山を越えて無法者がやってくることもある。長物による修練は妖怪というよりも、人間相手の備えという向きが強かった。

 

 先程手を振って去っていった命之助は、村一番の力持ちだ。

 妖怪に対する知識は豊富で、この地域のものでいうならば彼の方が万全な備えを敷けるほどには詳しい。いい歳なのでそろそろ嫁をもらえとせっつかれているらしいが、彼の心はまだまだ妖怪へと向けられているようだ。

 

「……馴染んじゃったなぁ、私も」

 

 大宿直村。あるいは幻想郷に来てから、既に数年が経っている。

 年老いた者たちの何人かは病に斃れ死に、子の何人かは大きくなり、新たな生命もそこそこに生まれた。外からやってきて、新たに加わった物好きたちもいる。もはや私は一番の新参というわけでもなくなってしまった。

 

 人間の暮らす世界というものはなんとも時間の流れが早く、目まぐるしい。

 彼らは早熟だけど、すぐに老いて死んでしまう。嫌いな生き物というわけでは決してないけれど、側にいると疲れるなとは、度々思う。

 

 相変わらず、私の側には常に陰陽玉が付き纏っている。

 念じれば小さくなるし姿を消すこともできるので、邪魔ではないけれど……早くこの陰陽玉を他の人間に託したいというのが本音だ。

 

「母よ。惜しくもあるのですが、私はまだこの地上を旅したいのです」

 

 夕日に照らされた陰陽玉が、私の顔と同じくらいの高さまで浮かび上がる。

 目線が合う程度の位置。魔道具に目はない。それでも、私の声は母に届いているような気がした。

 

「次代の博麗の巫女が、現れるといいのですけどね……」

 

 残念ながら、未だ巫女としての素質を持った者は現れない。

 

 

 

 私は村の巫女だが、日中は適当に里を出て過ごしていることも多い。

 沢の近くで小魚を取って焼き物にして食べることもあれば、瘴気の森という、魔界にもあったような独特な森で恵みを拾うこともある。

 私は必要に駆られない限りはほとんど寝食が必要ではないけれど、生活の作法を人間に合わせていくことをひとつの趣味としていた。

 

 生い先短い儚い彼らの生き方を、少しでも理解してみようと始めたことではあるけど、これがなかなか悪いものではない。

 

「わ、釣れた」

 

 人間は日になんども食い、長く眠らなければならない生き物だ。

 だから彼らの活動はほとんどが食うためのもので、その疲れのために眠り、一日を終えるということを繰り返している。

 最初は私も不毛な日々に同情したものだけど、毎日少しずつ変わったことをして、変わったものを食べて暮らしていると、それなりの楽しみを見出すことはできた。

 

 私が今湖でやっている魚釣りなどはその最たるものだろう。

 

 普通は魚など、水に適当な魔弾を叩き込めばそれだけで済むことだ。

 しかし人間は撚った糸の先に針などを付けて、水辺に垂らし魚を釣り上げるといった取り方を編み出した。

 針につけた餌にかかるまでひたすら待つという焦れったい狩り。実際、村人もよほど時間がある時にしかやらないらしく、人気のない方法だ。

 

 けど私はこの穏やかに魚を待つ時間が好きで、玄武の沢だとか、時には霧の深いこの湖にまで出てきて釣りをすることが多かった。

 

「もうちょっと釣っていこうかな」

 

 私自身は魚を食べること自体はそんなに趣味じゃないけど、里に持って帰ると喜ばれる。猪や鹿の方が食いでがあるじゃないかと言ったことはあるけど、魚の方が滅多に食べられないのだとか。

 多分、大きな魚は湖近辺でしかまともに取れないせいもあるのだろう。川辺は妖怪が出没しやすいことも無関係ではないはずだ。

 

 求められているのなら、応じるのもやぶさかではない。

 魚の味を恋しく思う老人や子供たちのためにも、さて、あと一匹ほど釣っていきましょうか。

 

「あ、釣りやってる」

「……あら?」

 

 意気込んで餌付きの釣り糸を湖に垂らした直後、幼気な少女の声が聞こえた。

 霧でぼやけた湖の向こう側から、どうやら舟らしきものに乗った妖怪……いや、妖精がやってきたらしい。

 

 ……よくよく見ると舟じゃないようだ。あの冷気。あの透明感。

 

「ちょっとちょっと、あんまり水が冷えると魚が逃げるでしょうが」

「あー、そうだっけ? ごめーん」

 

 少女はあまり悪びれた様子もなく、そのまま足場にしていた氷の舟を沈めて空を飛んだ。

 ……氷を沈められたらなおのこと魚が逃げちゃうんですけど。

 

「ねえねえ、釣れてるー?」

「たった今釣れなくなりそうになってるわ。ちょっと横に移動しなくちゃ」

「ごめんってば。あたいチルノ。あんた誰? 見ない顔だね」

「私は紅。見ての通り、巫女ですよ」

 

 私は湖沿いに歩きながら、だぼついた袖を掲げて見せた。

 この服も着慣れたけど、汚れやすい色合いだから不便なのよね。

 

「巫女。なんだっけそれ。お寺の?」

「さあ? お寺じゃなくて神社だそうだけど。私も詳しくないからわからないわ」

「詳しくないのに巫女っていうのやってるんだ」

「おかしいでしょ」

「おかしい」

 

 チルノと名乗った妖精は私の隣に並ぶように浮かんで、にまにまと笑っている。

 私もだけど、この子もなかなか暇そうだ。話し相手にするには調度いい。

 

 再び糸を水面に投げて、座り込む。

 チルノはしばらく遠くで浮き沈みする糸を眺めていたけれど、すぐに私と同じように座り込んだ。

 

「魚釣って食べるの?」

「私は食べない。里に持って帰って、人間たちにあげようと思ってね」

「へー……食べちゃえばいいのに」

「それでも別に良いんだけど……もしかしてチルノ。貴女、魚食べたいの?」

「焼いてくれるなら食べたいけど、別にー」

 

 チルノは釣れた後の魚についてはどうでもいいようだ。私と同じで、釣りの過程や流れる時間の方に価値を見出す性格なのだろう。

 

「釣りかぁ……」

 

 チルノは水に足を突っ込んで、時々ばたつかせて私の邪魔をしつつ、それでも数時間は飽きることもなくずっと一緒にいた。

 脳天気な連中ばかりの妖精にしては彼女はそこそこ落ち着いた雰囲気があって、たまに湖面の奥の方をぼんやりと眺めながら、何か物思いに耽っている姿が印象的だった。

 

「ねえ、紅。魚冷やしてあげよっか?」

「え? ああ、チルノの氷で? それは嬉しいけど……今はちょっと返せるもの無いわね」

「ううん、いいの。遊んでもらったお礼」

 

 チルノは子供らしくにこりと微笑んだ。

 

 私は特に遊んでやったわけでもないんだけど、この日は分厚い氷でよく冷えた、日持ちする魚が手に入った。

 村人は新鮮な魚を喜んでいた。

 

 彼女には今度なにか、お礼をしなくちゃいけないな。

 


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