東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 一人の母親と二人の子供を里に連れ帰ると、村人たちはまずは彼ら三人のために湯を沸かした。

 ここは侘しい里だが、決して貧しい村ではない。人の少なさの割には実りは豊かで、食うに困る場所ではないのだ。

 

「美味しい!」

「そうねえ、ぼうや。……本当に、ありがとうございます。なんとお礼を言ったら良いのか……」

「いやいや、俺らの村は食い詰めているわけでもない。気にせずたんと食っておくれ。ここにはいくらでも仕事があるからな」

 

 出された雑穀粥は僅かな塩味が効いている。私としてはそこまで好きな味でもないのだけど、親子はとても美味しそうに啜っていた。ここまでの道中で腹を空かせていたのだろう。

 

「……」

 

 無口な彼女は、少し距離を置いた場所で食事を取っている。

 人の近くが落ち着かないらしく、食事中はずっと周囲を警戒している。まるで獣のような習性だ。彼女の短い人生の中では、それが必要だったのだろうけど。

 

「村長。この子供は私が預かっても良い?」

「え……え? 紅さんがですか」

 

 今までそんな提案をしたこともなかったので、少し驚いているらしい。

 里のまだ若い村長は少し考える素振りを見せたが、時間はかからなかった。

 

「もちろん、お願いできるのであればそうしてもらえると助かります。しかし、よろしいので。紅さんも普段忙しくされているはずじゃあ……」

「なに、負担になどなりませんよ。こう見えて私も、子育ては初めてじゃありませんからね」

「えっ!?」

 

 そういう流れで、新たな村人たちの処遇は決まった。

 親子の二人は空いていた小さな屋敷に住むことになり、もうひとりの無口な子供は私が神社で引き取ることになった。

 

「これからよろしくね」

「……はい」

 

 子供は嬉しいとも不満だとも顔に出さず、そう返事をするのだった。

 

 

 

 子供に名前は無い。ただ、あばら家の霊と呼ばれていたのだという。

 親も兄弟もなく、人間の社会から身を隠すようにして暮らしていたそうだ。

 

 彼女が生きる上で人間と同じ作法は必要ではなかった。狩猟と採取、時々盗み。それだけが必要な技術で、他は無用な贅肉だったのだろう。

 それでも今こうして人並みに無口な少女としていられているのは、やはり同じ人間と関わっているうちに身についた作法なのだろう。

 

 物覚えは悪くない子だと思う。

 だから、今からでも遅くはあるまい。

 

「これより私は、貴女の母代わりとなります」

「……お母さん?」

「もちろん実の母ではありません。しかしこれからは人間でいう母と子のように、貴女と接するつもりです」

 

 母屋には来客用の茣蓙を敷き、彼女を座らせている。

 既に一通り身体を清め終わったので汚らしくもない。拭ってみればなかなか怜悧で綺麗な素顔をしているものだから驚いた。きっと将来は番をもてるだろう。しかしそれにはまだまだ学ぶべきことは多い。そのためにも、まずは。

 

「私はこれより、貴女の霊力の才を磨きます」

「……?」

「今はまだ口で言っても伝わらないでしょうが、覚えておいてください。ま、そのうちですよ。そのうち」

 

 私は囲炉裏の上に吊るされた干し肉をむしり取り、それを細かく割いて彼女に差し出した。

 どんな味がするのかはわからないだろうけど、肉であることは一目でわかる。彼女の目の奥が輝いたのを、私は見逃さなかった。

 

「今はまだ、お腹いっぱいになるまで食べなさい。人間は脆弱なのだから、とにかく身体を作り整えるのが先決よ」

「……」

「取りはしない。さっさと食べなさい」

 

 そう言ってようやく、彼女は硬い肉にかぶりつき始めた。

 人間の顎では少々硬い肉も、彼女はじっくり美味しそうにしゃぶっている。

 

 まずは飢えを満たすところから始めなければね。

 人間は食い詰めるとろくなことをしないのは、さっき知ったばかりだから。

 

 

 

 それから私と子供の共同生活が始まった。

 やることは決まった時間に起きて、腹を満たして、決まった場所で決まったことをすることの徹底。生活の規律を定めてそれに従わせることである。

 

 彼女は最初、飲み水と洗う水の区別もどこか曖昧だった。人間の里で生活する以上、そこはしっかりしなければ大変だ。私だからまだ問題無しで通っているだけで、他の里の人間に対してそんな真似をすればいい顔はされないだろう。

 

 だから私はじっくりと、この人間の里における常識を彼女に学ばせた。

 

 幸い、物分りの良い子供である。頭も悪くない。教えたことはすぐに理解し、受け止める素直さもある。

 彼女が村に出て恥ずかしくない程度の常識を備えるのに、私が思っていたほどの手間や時間はかからなかった。

 

 

 

「……あの、紅様」

「なにかしら?」

 

 二月もこんな生活をすれば慣れてきたのか、彼女はたまにぽつりと話しかけるようにもなった。とはいえ、そのほとんどは生活に関わることなんだけど。

 

「あの。紅様が、私を呼ぶときの名前。気になって……」

 

 しかしこのような要件を切り出されるのは初めてのことだった。

 

「名前……? それがどうしたの?」

「いえ……あの……私、里で。おつかいに行った時……女の人に、名前を聞かれて。それで……答えられなくて……紅さんがどう呼んでるのかってことも、言えなくて……」

「ああ……」

 

 名前か。そうね、名前。忘れていた。

 私自身頓着しない性格だったからすっかり抜け落ちていたけど、まだ彼女には名前がなかったか。

 しかしそれと似たようなものはあったと聞いたけど。

 

「霊は嫌? そう呼ばれていたそうだけど」

「……あれは。私が小さくて、馬鹿で。汚くて……弱くて……だから、幽霊だって。言われてただけ、だから……」

「それは嫌いな名前なのね」

 

 彼女は頷いた。

 弱かったときの名前は嫌らしい。まあ、そういうものか。

 私の場合は赤っぽいから紅だって名付けられたんだけどね。

 

「じゃあ、強くなりましょう。弱き霊と呼ばれていたならば、そんな彼ら全てを一睨みで萎縮させられるくらい強くなりなさい。貴女は今日から……そうね。靈威(れいい)と名乗ると良いでしょう」

「……靈威」

「丁度、そろそろあなたに霊力の指南を始めようと考えていたの。この名にふさわしい霊術使いになれるよう、励んでもらいますからね。良いですね、靈威」

「……は、はいっ」

 

 こうして私は靈威の育ての親として、本格的な指導を始めることになった。

 もちろん、霊力だけではなく人の常識も教え込まなければならない。

 

 忙しくなりそうだわ。

 

 


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