東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

558 / 625


 

「どうぞ。私のよく見知ったお茶を再現したものですが」

「あらどうも。変わった香り」

 

 八雲紫は一口だけ茶を飲み、すぐに固まった。

 

「それと、変わった味」

「村人も皆そう言いますね」

 

 やはり妖怪目線で見てもあまり歓迎できない味らしい。

 エソテリアのお店で飲んだ味を思い出しながら香草を混ぜて作ってみたお茶は、自分でもそれらしいものになったと思う。しかしその味がほとんど全ての人から歓迎されていないとなると……やっぱりあの店は美味しくなかったんだなぁ。

 

「最初は人に取り入る奇妙な妖怪かと思っていましたが……」

「ん、それは私のことですか」

「ええ。しかし巫女に選ばれたり、村人に慕われているものですから。すぐにそのような疑念も晴れました」

「貴女は誰なんです?」

 

 私は率直に訊いた。

 目の前にいるこの金髪の妖怪が何者なのかがわからない。

 まずははっきり言ってもらわないと世間話もできないだろう。ずっとはぐらかされてばかりいる。

 

「管理者です。この幻想郷全域の」

「……管理者」

「人と妖怪が調和する場所。幻想の最後の楽園。その守り人と考えていただければ」

 

 美味しくもないであろうお茶の二口目を飲みながら彼女は語る。

 

「あなたは天狗に囚われた人間から三人だけに手を差し伸べ、救い上げましたね」

「……見ていたんですか」

「ええ。鼻高天狗に対する大立ち回りも全て。……しかしこの幻想郷にとって重要だったのは強さではない。あなたの人間達に対する慈悲の向け方です。私の掲げる理念は、あなたの行った取捨選択に近い感性を持っています。私はそれに惹かれました」

 

 慈悲の向け方。取捨選択。感性。

 ……なるほど、悪いようには思われていないらしい。

 

「惹かれて、どうしますか。私を」

「いえいえ、どうもしません。私は感謝しているのです。本当ですよ? お礼が必要ならば相応のものを用意したいくらいなのですから」

 

 三口目のお茶を飲もうとして、思いとどまったらしい。

 そのまま湯呑を置いて、穏やかそうに微笑んだ。

 

「ここしばらくは妖怪たちの勢力を調整するのに苦労していまして。人間達の方にまで手が回らなかったというのが正直なところだったのです。そこに、あなたが来てくれた」

「……好きで居着いているわけでもないんですけどね」

「といいますと?」

「だから、これですよ」

 

 私は懐に仕舞い込んでいた小さな陰陽玉を取り出し、もとの大きさに戻してみせた。

 紫はそれを見て僅かに目を見張り、……言葉に窮しているように見える。

 

「幻想郷の管理者であれば、どうにかならないでしょうか。確かに私は神社に祀られている神に対する敬意はあるのですが……巫女としてこの土地に拘束されるのはちょっと、本意ではないのです。陰陽玉はこの土地に必要なものでしょうから、残したいのですが……離れないんですよねこれ」

「……ああ……陰陽玉は譲渡ができませんからね」

 

 紫は難しそうな顔をして机にもたれ掛かった。

 

「……難しい問題です。実を言いますと、陰陽玉についてはほとんど何も解明できていないのです。継承についてもまだまだ解明できていない部分が多くて……」

「今ここに住まわせている靈威に継承しようと思っているのですが、どうなんですか。陰陽玉って受け継がせることは可能なんでしょうか」

「うーん……」

 

 二人揃って頭を悩ませている。

 向こうも親身になって考えてくれているようでありがたい。

 

「……仕様……としては、霊力の大きさで決まるそうなのですが。これはどうも人間に限った話ではないそうで。紅さんの先代、といっても初代の方ですが。その方は半妖でしたね」

「ああ、確か玉緒さんっていうんでしたっけ。妖怪にしか扱えないとかあるんじゃないですか」

「ないとは思いたいのですが……今の所まだ人間が扱った前例が無いのですよね」

 

 困ったな……私は旅に出たいのに。

 

 私と紫はお互いに頭を悩ませながら、しばらく沈黙した。

 

「……幻想郷を司るこちらとしましても、陰陽玉はできる限り人間に扱ってもらいたいというのが本音です」

「ええ。彼らの時代なんですから、それは当然です」

「今紅さんがお世話している靈威さんでしたか。そうですね……彼女の霊力を伸ばすための養育について、私の方でも協力させていただけませんか?」

「え。いいんですか。助かりますけど」

 

 正直に言って私はあまり術というものに明るくない。

 賢そうな彼女の手を借りられるのであれば願ったりだった。

 

「も、戻りましたー」

 

 そんな話をしているうちに外から靈威の声が聞こえてきた。

 日課が終わったのだろう。調度いいところに。

 

「靈威。お客様がいらっしゃるので、手足を清めたら急いで中に入りなさいね」

「え……は、はい」

 

 中に客人を呼ぶことは珍しい。それに靈威は人見知りするので、ちょっと困惑しているようだ。

 けど、これからは慣れていかなければなるまい。

 

「……私はこのままで?」

「ええもちろん。あ、お茶のおかわりいりますか」

「結構です」

 

 そうこう話しているうちに、慌ただしく靈威が戻ってきた。

 靈威は私の対面にいる紫さんの姿を認めると、少し怯えたように身をすくませて、私の真後ろで膝をついた。

 ……それじゃあ相手が見えないでしょうに。

 

「靈威、この方は八雲紫さんです」

「はじめまして、靈威さん。見ての通り、妖怪ですわ」

「……妖怪は……」

「彼女は敵だと思わなくても大丈夫ですよ。悪い氣は無さそうなので」

 

 靈威は訝しげな表情を私の横から恐る恐る出して、紫さんを観察している。

 ま、少し怪しげな雰囲気はあるから警戒する気持ちもわかる。

 私は警戒してもどうしようもない力量差を察しているので、半分諦めているからこそ懐を開いているだけだ。

 

「紅さんをよく慕っているのですね」

「懐いているのです。まだまだ幼いのですから、拾えばそうもなるでしょう」

「突き放すような言葉を使うものではありませんよ。……なるほど、こうして間近で見ると確かに、霊力の才能はあるようです」

 

 紫さんがどこからともなく扇を取り出し、口元を隠す。

 靈威は彼女の一挙手一投足に過剰なほど怯えているが、目だけはそらしていない。

 

 私が、そう教えたから。

 

「……そうですね。巫女としての技能について、一日につき何刻ほどか……私の方で教えることにしましょう。ゆくゆくは陰陽玉に選ばれるかもしれません」

「本当ですか。それはありがたい」

「あ、あのっ。何の……話を、されているのですか……」

 

 ああ、彼女抜きで話をするものでもないわね。

 

「靈威。私では霊力の大雑把な扱いしか教えることができません。また、巫女としての仕事もありますから常に貴女を見てやることもできません。なのでその間、紫さんから技術を学ぶようになさい」

「……」

 

 返事はない。やはり不安か。氣が迷っている。

 

「突然言われて思うところはあるでしょうが、一度もやらずに断る理由もないでしょう。しばらく師事しなさい。もし靈威が不満を持ったならば、それは後で聞きます。……大丈夫ね?」

「……はい」

 

 靈威は頷いた。素直でよろしい。

 

「ふふ。親から離れ、他の人に従う経験がないのでしょう。その子の抱える不安も理解できますわ。安心してくださいな。最初は少しずつやっていきましょう。お互いに信頼関係を築く意味でも……ね?」

 

 不安を取り除こうと言ったのだろうけど、かえって靈威が怯えているように見える。

 

「……では、ひとまず私はこれにて。靈威さんの件は明日から始めていきましょう。ああ、くれぐれも私がここに来たことは、里の方々には内密に。いらぬ不安を与えかねませんから」

 

 そう言って、紫さんは空間に開けた裂け目に身を滑らせ、消えていった。

 うん。やっぱり尋常でない能力だ。こんなにも容易く、気配もなく異界を切り開くだなんて。

 

「……怖かった」

 

 完全に紫さんの気配が消え去ると、靈威は疲れ果てたようにその場に座り込んでしまった。

 魔力を感じ取る訓練で鍛えた分、かえって妖怪の放つ気配に当てられてしまったかしら。

 

「まあ、そう怖がる必要もないわよ。靈威」

「……紅さんは、恐ろしくはないのですか……?」

「そんなことはないわ。ただ、過剰に怯える必要もないということよ」

 

 少なくとも話の通じる相手ならば、全身に力を入れることもない。

 力量差があるならば尚更だ。

 

「強い相手と遭遇しても、慌てない。靈威にはそんな訓練も必要かもしれないわね」

「……お許しください……」

「ふふ、冗談よ」

 

 実はちょっとありかなと思ってるけどね。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。