東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 日に日に、隕石は巨大に見えてくる。

 私のサイズ計測は、不幸なことに正確だったらしいことは、肉眼でもはっきりとわかるようになってきた。

 直径数千キロ級の隕石を相手取る未来は、どうやら覆りそうにない。

 

 

 

 宇宙空間に魔力の風が渦巻く。

 青白く輝く地球の熱圏に立った私は、こちらに近づく巨大隕石を見上げていた。

 

 接近速度は、秒速五十から七十キロメートルといったところ。

 今更な懸念だけども、あれが私に直撃したとして、果たして私は無事でいられるのだろうか。

 地球をぶち壊すほどの衝撃だ。無事でいられる保証などどこにもない。

 

 私の背後で地球が粉々に砕け散るのは嫌だ。

 やはり、魔力は出し惜しみせず全力で立ち向かうのが得策か。うむ、それがいいだろう。

 

 

 

 私は灰色のローブを着こみ、右手には黒曜石から生み出した不滅の杖を握っている。

 熱圏の下、足元には魔力の渦が細長いパイプを作り、地上から力を巻き上げ、私の元まで届けている。

 

 “魔力の収奪”と“魔力の対流”を利用した魔力供給機構だ。

 この日のために全力をかけて準備したものであり、この渦の流れが、宇宙空間にいる私へ力を与えてくれる。

 ただし、これ以上宇宙空間に出てしまうと魔力が届かなくなったり、著しく減衰する恐れがあるので、今私の立っている位置が本当に、限界ギリギリのラインだ。

 

 天体からの魔力だけなら問題ないが、今回は万全を期して臨みたい。

 地上から抽出される属性の魔力も吸い上げて、総動員だ。

 

 

 

「……」

 

 自分の腹の中に魔力が圧縮されてゆくのを知覚しつつ、足元の地球を見る。

 

 地球では、白く輝く骨の塔が一際高くそびえ立ち、強い存在感を放っていた。

 

 

 

 唯一神アマノ。

 今日この日にかけて彼女も魔力を蓄積し続け、大気をより強固にするための力を溜め込んでいる。

 彼女は近頃、幻を見るとか、恐竜たちの声を聞いているとかで、上の空でいることも多いが……魔力の蓄積自体はしっかりやっているはず。

 

 私が全力を振り絞り、身を削って隕石を破壊すれば、アマノの力で、余波も防げるだろう。

 地上に影響が出なければいいのだが、そこは運否天賦といったところ。

 

「結局、全ては私次第というわけだ」

 

 高密度に圧縮された魔力が、私の中で昏い輝きを放つ。

 臨界に達した魔力が、魔界に接続を果たしたのだろう。

 汲み上げた魔力だけでこれだ。天体の魔力はまだ周囲で渦を巻き、余剰の力として存在し続けている。

 

「“魔力の全解放”」

 

 力の準備は整った。

 

 

 

 さあ、隕石が来るぞ。

 

 隕石は、既に巨大な姿をこちらに向け、視界の全てを覆い尽くさんとしている。

 

 秒速七十キロメートルの豪速で、地球を貫きにやってくるのだ。

 

 だが、そうはさせぬ。

 ここに私がいる限り、地球には指一本触れさせはしない。

 

 

 

 左手の魔導書、“血の書”を展開。

 朱い表紙が解き放たれ、周囲の魔力渦を魔界文字に変えてゆく。

 

 広域破壊魔術、“黄昏時”を選択。

 渦巻く魔力文字が散開し、私の周囲に魔法陣を構築する。

 

 的は巨大だ。わざわざ狙いを定めなくとも命中するだろう。

 

 “黄昏時”……陸地一つを消し去るほどの威力を持った、禁忌の魔術。

 暇を持て余した末に作ってしまったはいいが、実際に使うことなど、それこそこの世の終わりまでは無いだろうと思っていた。

 ……しかしまさか、本当にこの世の終わりに使うことになるとはね。

 

「“黄昏時”」

 

 杖を差し向け、渦巻く魔力を前方へと解き放つ。

 灰色の輝きは巨大なビームとなって宇宙を駆け、迫り来る隕石へと光速で到達し、その表面を照射した。

 

 その瞬間、隕石の表面に巨大な亀裂が走り、輝く。

 直後に大爆発が視界を青白く染め上げ、私は魔術の成功を確信した。

 

 “破滅の息吹”と“劈開”を織り交ぜた、多層構造の破壊魔術だ。

 “劈開”が硬い岩盤を切り開き、“破滅の息吹”が隙間を取って内部を砕く。それの繰り返し。

 魔力が尽きるまで、どのような固い物体にも効果的に浸透し、深部まで徹底的に破壊し尽くす、恐ろしい魔術だ。

 

 しかし一度だけの発動では、到底あの隕石を破壊し尽くすことはできないだろう。

 あと2、3回か……そのくらい、命中させる必要があるはずだ。

 

 私は一発目を撃ち終え、二発目に向けて、もう一度魔力の集中に意識を向けた。

 

 

 

「……な……」

 

 そんな時、信じられないものを見つけてしまった。

 

 依然としてこちらに迫る巨大隕石。

 魔術によってその一部が剥がれ落ち、隕石の内部をこちらに向けている。

 

 岩石か、隕鉄か……そこに見えたものは、私の予想を裏切るものだった。

 

「そんな」

 

 銀色に輝く、重厚な金属塊。

 隕石の中には、金属が詰まっていた。

 

 それも、おそらくただの鉄ではない。

 もっと質量の高い、重金属だろう。

 

 ――大気圏で処理するには、融点が高すぎる

 

 このまま私が全力で隕石を細かく砕いたとしても、その欠片が形を保ったまま地上に降り注ぐかもしれない。

 きっと、二メートル……いや、一メートルであったとしても、燃え尽きることはなさそうだ。

 

 

 

 浅慮だった。もっと可能性を講じるべきだった。

 

 いや、後悔する暇など無い。ただの岩の塊ではなく、重金属の塊であったとしても……私が本気を出すことには変わりないのだ。

 

 全身を魔力に変えて迎え撃て。より効果的な破壊によって、地上の被害を最小限に留めろ。

 それでも足りなければ、砕き損ねた大きな欠片を法界へ転移させ、魔界で処理するのだ。

 

 大丈夫。私ならできる。

 私しかできない。

 全てを守るために――

 

 

 

『ライオネル』

 

 魔力を吸い上げ、術を構築する最中、アマノの声が地球から響き渡った。

 

 ふと眼下を見れば、アマノが強く光輝き、いつも以上の神々しい力を湛えているのがわかる。

 常時展開させている“眺望遠”で見れば、アマノの表面には高濃度の魔力が満ちているのが確認できた。

 

 だが、あの光は……大気を強化する力というよりは……。

 

『私に任せなさい』

 

 ――魔界転移の輝きだ。

 

 私がそう認識するとほとんど同時に、アマノに纏わる輝きが一段増して、骨の塔の内部に見える植物や、土や、石材や、護衛である人造ドラゴンなどが、この世から姿を消した。

 

 アマノが、魔界へと転移したのか!?

 

 一瞬そう思ったが、アマノ自体は消えていない。

 巨大な骨の塔は相変わらずそこに顕在し、内部にあるアマノ以外の全てが転送されたようだった。

 

「何故……」

 

 私はアマノの不可解な行動に、思わず漏らしてしまった。

 アマノには声が聞こえたのだろう。熱圏の薄い大気は、“ふふ”とアマノの笑い声を響かせる。

 

『この数日で、色々な子の目線で、色々な景色を見て……色々な考え方や、色々な願いを見てきたわ』

「アマノ、貴女は……」

『私にはわかるわ。これからは、恐竜(あの子達)ではない、もっと別の生き物が、この世界に繁栄する未来がやってくるの』

 

 竜骨の塔が小刻みに震え、表面に罅が走る。

 未だかつて、少しも崩壊の兆しを見せたことのない塔に、亀裂が入ってゆく。

 

『私にはわかる……きっとそれは、私のいない、残酷な世界……』

 

 白く輝く骨の塔が、生き物のように形を変える。

 塔全体が蛇のようにうねり、熔け、中心部に“背骨”のような柱を構築してゆく。

 

『生命が飢え、生命が争い、生命が死に……残酷な……だけど、とてもとても、美しい未来だったわ』

 

 アマノは大地から切り離され宙に浮かび上がり、尚も骨の欠片を巻き上げて身体の一部としながら、形を変え続ける。

 

 骨によって恐竜のような頭部を模した、細長いその姿は、まるで……龍のようであった。

 

「……アマノ」

 

 塔は、巨大な龍となった。

 どこまでも超大な白い骨の龍が空を駆ける。

 龍は輝きを保ったまま、宇宙空間に浮かぶ私のすぐ傍までやってき大きな顔をこちらに向けた。

 

 左目に太陽のような黄金の輝きを湛え、右目には月のような白銀の煌めきを宿している。

 

 美しい。私は、素直にそう感じた。

 

『こうして向い合って話すと、ちょっと照れくさいわね』

「その姿は……いや、待つんだ。アマノ、一体何を」

『当然、私の地球を守るのよ』

「駄目だ!」

 

 私は叫んだ。

 

 アマノが自らの姿を創造した理由は、明白だ。

 決まっている。この地球を守るためである。

 それも……きっと私と同じく、命がけで。

 消極的な守りではなく、積極的な守りに出ようとしているのだ。

 

『あの星は、ライオネルには壊せないわ。私でも怪しいかもしれない』

「アマノ! 今からでも遅くない。地球はもう危機を回避できそうにない。アマノの力で、地上の生物たちと……そしてアマノ自身を、魔界へ転移させるんだ」

『お断りよ』

「何故!」

『地上のあの子達も、それを望んでいるから』

「え……」

 

 愕然とする。

 思わず、術を構築する集中力が解けてしまう程に。

 

『私が見た幻を、私の加護を通じて……あの子達にも伝わったのかもしれないわね』

「……幻って」

『新たなる時代の幕開け。自分たちではない、別の生物がもたらす、今とは違った世界の繁栄』

 

 アマノはゆっくりと宇宙を蛇行し、私の前に巨大な身体を構えた。

 

『“我々は栄え、生の喜びを謳歌した”』

「……」

『“我々は次の時代に命を繋ぐため、ここに残る”』

「そんな、あの恐竜たちがそんなこと」

『本当よ。事実、今でも地上の生命達は……こうして私に、祈りの力を捧げているもの』

 

 アマノは地球から離れた宇宙空間においても、燦然と光を保っている。

 すると今、地球上では、数多の生命がアマノのために、唄を歌っているとでもいうのだろうか。

 

『彼らと私の力で、星を砕く。地球の命は、私が繋ぐ』

「……アマノ、やめてくれ」

『ライオネル。これは、彼らと私の意志よ』

「貴女に死んでほしくない」

 

 私が弱音をこぼすと、アマノは龍の頭をこちらに向ける。

 骨でできた長い髭はふわりと波打ち、その時、彼女が“ふふ”と笑ったような気がした。

 

「もう、私は……死んでほしくないんだ」

 

 私は、私が生み出した神を殺してしまった。

 再び私によって生み出された神が死ぬなど、見たくはない。

 

 わかっている。地球を守るにはそれしかない。

 アマノがやらねば、地球は壊滅的な死を迎えるだろう。

 

 でも私の、四億年かけて培った未熟な感情は、それを素直に受け入れてくれないのだ。

 

『……ごめんね、ライオネル』

 

 アマノは一言謝り、宇宙を駆けた。

 

 

 

 視界一杯に広がりつつある巨大隕石。

 それに立ち向かう、一匹の龍神。

 

 アマノは宇宙を泳ぎ、その速度は隕石に近づくにつれて、上がってゆく。

 

「ああ……アマノ……」

 

 私は彼女の背を見ながら呆然とつぶやき、左手に持った“血の書”を捲る。

 

「アマノ……」

 

 新たな広域殲滅魔術を選択。

 ページを指定すると同時に、私の周りの魔力が新たな魔術を構築し始めた。

 腹の中に開いた魔界への扉が、魔力の供給に合わせて、強く鳴動する。

 

 一本の白い弓矢となったアマノが、白銀の隕石に衝突する。

 アマノはその瞬間、強烈な輝きとなって爆散し、隕石全体に全身の破片を撃ち込んだ。

 

 ひとつの神が、その身を賭した尊い一撃。

 神の力を帯びた破片は隕石を貫き、内部を破壊し、大小様々な欠片に砕いてみせた。

 

 隕石は大部分が破壊された。

 そして、同時に、アマノが死んだのだ。

 

 アマノは自らの命を使って、隕石を壊してみせた。

 あとの仕上げは、私がやらなくてはならない。

 

 アマノの……彼女の願いを果たすために。

 この地球の命を、次の存在へと繋げるために。

 

 わかったよ。貴女がその身を捧げるならば、私も共に逝こうじゃないか。

 

「……“魔塵(まじん)複唱(ふくしょう)”」

『――お任せください。共に戦いましょう、ライオネル――』

 

 私の中に開いた魔界の扉から、神綺の声が響いてきた。

 

 準備は整った。

 もう躊躇はしない。全力で立ち向かってやる。

 

「いざ――」

 

 破滅をもたらす灰色のビームと、楔型の破滅の弾丸が、縦横無尽にばら撒かれる。

 ビームはより巨大な隕石を貫き、楔の弾丸は中小サイズの隕石を撃ち抜く。

 神綺が上乗せしてくれる力も解放すれば、視界は私が放つ魔術の輝きによって埋め尽くされてしまった。

 

 隕石は近づき、こちらへやってくる。地球到達までもう時間がない。

 

 それでも私は高負荷の魔術を継続し、広範囲に散らばった欠片を処置していった。

 

 壊す。壊す。壊す。壊す。

 全て全て、アマノを滅ぼした憎き重金属の欠片共を、残らず全て撃ち抜き続ける。

 

 地球を滅ぼしてなるものか。

 このような通りすがりの、ただのモノ風情に。

 アマノが望んだ世界を壊してなるものかよ。

 

 

 

 小さな欠片が、私の横をかすめてゆく。

 隕石の破片が到達したようだ。

 それでも私は魔術を続ける。

 

 自らの身体の一部を源として、最後の力を振り絞り、残りの大きな破片を消し飛ばす。

 

「“魔界降誕”!」

 

 礫が豪雨のように降り注ぎ始めると、私は体内の魔力を更に強く解放し、魔界の扉を大きく広げた。

 広大な魔界へ続く扉はいくつもの隕石を吸収し、大封印を施した法界へと隔離されてゆく。

 

「ぐ……」

 

 自分の腹部が削れてゆくのがわかる。

 腹から胸部にかけて、じりじりと、紙が端から黒く燃えて失われてゆくように、自分の存在が目減りしてゆく。

 

 まだだ。まだ足りない。

 自分の存在を全て損耗してでも、もっと扉を大きく広げなくては。

 

 アマノはやった。次は私の番だ。 

 

「――あ」

 

 だが、私がより強い魔力を解き放つ前に、一際大きな魔力の塊が、時空の歪みごと私の身体に衝突した。

 

 魔界へ続く扉を前方に広げていたにも関わらず、その破片は転移することなく私を打ち据えたのだ。

 

「アマ、ノ」

 

 私の腹部にぶつかったもの。

 それは、神力を帯びた、アマノの骨の破片であった。

 

 

 

 私は、隕石と何ら変わりないスピードでやってきた骨片に押しやられ、地球に落ちた。

 法界への封印も不完全なまま、まるでアマノに“これ以上は良い”と止められたように、叩き返されてしまったのだ。

 

「ああ……」

 

 無力感に苛まれる中、豪速で地上へ落ちゆく私が最後に見たものは、数多の隕石が大気圏で煌めき消滅する幻想的な空模様と、その中で特に大きく残ってしまった一つの塊が、光の尾を引きながら地球に衝突する瞬間であった。

 

 

 

 大きな衝突による轟音と、破滅と、閃光。

 

 巨大隕石――それでも地球を壊すほどではないそれにより、世界は灰塵と、アマノの遺骨と、多大なる死に包まれた。

 

 

 

 パンゲアは完全に分裂し、竜たちの時代は終焉を迎える。

 


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