東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 魔都パンデモニウムの臙脂学派新研究所の蔵書室にて、悪魔たちが編み出した幾何学結界魔法について調べ物をしている最中のことであった。

 ローブに忍ばせていた一枚の翻訳呪符が水琴窟のような甲高い発信音を上げていた。

 

「うん? 紅からか」

 

 袖からするりと抜け出した一枚の紙は、そのまま紅が書き記した文字を転写し、音声に変えてくれる。

 こちらの声は逆に向こうでは文字に変えて転送してくれるので、ある意味手紙と電話が融合した魔道具だと言えるだろう。

 

 しかし紅が地上に出てからまだそれほど時間が経っていないはずだが、何があったのやら。

 

『拝啓、ライオネル様』

「ああ、紅。手紙とは違って書いたものが随時送られてくる仕組みになってるから、普段話すような言葉で書いてもらえれば大丈夫だよ」

『そうですか。了解しました。』

 

 私は宙に浮かぶ翻訳呪符をよそに、今まで閲覧していた資料を片付ける。

 ひとまず臙脂学派の研究内容については後回しにしておこう。まだまだ途中のようだしね。

 

『実は今、困ったことになっておりまして。』

「困ったこと」

『まず、私が大宿直村、いえ、幻想郷にたどり着いてすぐのことになるのですが、そこの陰陽玉によって博麗の巫女にされてしまいまして。』

「ええ……」

 

 陰陽玉。……博麗の巫女。確かあれは霊力の才によって所有者が定まるように作ったはず……ああ、紅も使えるんだった。

 それに加えて。そもそもあの陰陽玉の素材は紅の生前でもある竜の骨を原材料としている。陰陽玉によって選ばれやすいのも当然であろう。

 

「……詳しく、聞かせてもらえるだろうか」

『はい。』

 

 それから私は紅が日本に降り立ってからの日々について、そこそこ詳細に聞かされる事となったのであった。

 

 

 

「……ふむ、なるほど。その靈威という子に陰陽玉の所有権を移すところまでは順調にいったものの、彼女は紅と別れたがっていないと」

『はい。ひとまずまだすぐには行かないということで、靈威を落ち着かせはしたのですが。酷い泣き方に疲れたのか、今は隣の部屋で寝ているところです。』

「まだ彼女は数えで十三歳なのだろう。ふむ、であれば母代わりになった紅との別れを惜しんでも不思議ではない」

『母代わり、ですか。』

 

 昔の人。つまりこういった時代の人は、非常に成人が早い。二十など行き遅れ嫁ぎ遅れなどと言われることも普通だ。それだけ平均寿命が短かったということもあるし、長く子供扱いするだけの余裕がなかったともいう。

 身体が大きくなって、ひとまず病気で死なないとわかったならばすぐに大人扱いされることも珍しくはない。

 だが、子供は子供だ。その精神性は時代によって型に嵌めたように作られるものでもない。靈威はそれなりの歳ではあるが、まだまだ親離れしたくない年頃なのだろう。

 

『小悪魔を育てたこともあります。魔人の子供と触れ合ったことも多いです。ですが、人間の子供はどうにも、難しいように感じます。靈威はきっとおかしくないのでしょう。私が何かを失敗したのではと』

「ああ、いや。悪いことはない。紅は悪いことはしていないよ。きっと貴女は良くやったのだと思う。貴女はとても面倒見がよく、優しい魔族だ。これは決して気に病むようなことではないんだ」

 

 紅は自分の育て方について自信がないようだが、話を聞いただけの私は保証できる。紅に落ち度はない。

 

「人間は、そうだな……魔族のように、生まれてすぐに確りとした自我を持つわけではない。魔人のように一定水準まで安定しているわけでもない。生まれてから親に育てられ、身体が出来上がるまではずっと不安定な生き物なんだよ」

『靈威はまだ心が未熟なのですか。』

「だろうね。元々が孤児だったのであれば尚の事だ。親からの教育を受けておらず、紅の下で暮らして初めて親らしい親を持った。それから月日が流れたとはいえ、まだ十三歳。子供も子供、甘えたがる年頃だろうさ」

『甘える……甘えているのでしょうか。靈威は。私に。』

「それは極々、普通のことだよ。ふむ……そうだな、もしも紅にまだ時間があるのであれば、あと数年。三年ほど残ってやるといいだろう。その間に彼女の自立心を育み、ゆっくり独り立ちの準備をするのだ。それくらいの時間をかければきっと、靈威も心に区切りがつくだろうし、紅が里を離れた後もしっかりやれる……と、思う」

『三年。』

 

 それが長いか短いかは人による。人間だった頃の感性と照らし合わせてみても……うん、長いか短いか、なんともいえない時間だ。

 親しい家族と別れるまでの時間だと思えば、この三年というのは短いかもしれないが……何も死別するわけではない。心の区切りを付け、整えるには十分すぎる長さであろう。

 

『三年であれば問題ありません。私も特別急ぐ用があるわけでもないですし。了解しました。相談に乗っていただけて助かりました、ライオネル様。』

「おお、それはよかった。困ったことがあればいつでも言ってくれて良いからね」

『そうだ。母を祀っていただけたこと、誠に感謝しています。何か恩返しできれば良いのですが。』

「それは気にしないで。アマノの復権は私自身が望んでいたことでもあったからさ」

 

 僅かな時間とはいえ、別れ際の強引な突き飛ばしについて文句というか、一言言ってやることもできた。紅が求めていたからということが全てというわけではないのだ。

 

『靈威が起きたようです。すみません、そろそろ手紙を閉じますね。』

「ああ、そちらは夜だったね。うん、また今度。仲良くするんだよ」

『はい。』

 

 その言葉を最後に、翻訳呪符は力を失ってはらりと落ちた。

 そのまま吸い寄せられるように私の袖の中に収まり、部屋に静寂が戻ってくる。

 

「ふむ、博麗神社。巫女の継承は上手くいってるのか。最初が最初だったから心配だったけど、今の所問題は無いみたいだな……」

「地上に干渉しているのか、ライオネル・ブラックモア」

 

 それまで沈黙を守り続けていた一人の悪魔が、部屋の片隅から声を上げた。

 赤い素肌に思慮深そうな目つき。口元を抑える独特な話し方。

 

 クイズ大会でも世話になった赤肌である。

 

「うむ、それなりにはね。まぁ、ほとんど魔法関係ばかりなんだけども、今回は別件かな」

「意外だな。お前は魔法以外に興味を示さないものだと思っていたが」

「長く生きていると色々あるのだよ」

「含蓄のある言葉だ」

 

 クククと悪魔らしく笑い、赤肌は再び読書に戻った。

 

「まぁ、一番の関心が魔法にあるのは間違っていないけどね」

「だろうな」

 

 そして私も彼と同じように、別の資料を閲覧し始める。

 臙脂学派の新研究所の資料の閲覧は時間制で、一時間あたりにとんでもない額を吹っ掛けられるのだ。延長すると雪だるま式に額が吊り上がっていくので、調べたいものはさっさと調べる必要がある。

 それは振興会の代表である赤肌であろうと、偉大なる魔法使いである私であろうと例外ではない。悪魔の取引はいつだって暴利なのだ。

 

「さて、読書の続きだ」

 

 子育てに興味がないわけではないが、やはり私はこれが一番である。

 

 


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