東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「三年ほど、靈威。あなたの成長を見守ることに決めました」

 

 私と靈威は向き合い、大切な話を始めた。

 靈威は泣き腫らした顔をそっと伏せて、黙って聞いている。

 

「あなたは既に立派よ。それは間違いない。けど靈威。あなたは私に縋っている。頼りすぎている。あなたは心が……弱い」

「……」

「その脆い心を、三年の内に鍛え直すことしました。私が里を出ていくのは、それからです」

 

 靈威は顔を伏せたまま静かに首を横に振った。嫌だということらしい。

 

「……ふう。今はそれでも良いでしょう」

「……」

「しかし、明日からは覚悟するように。あなたは既に一人前なのだから手加減はしません。心の中にある惰弱を、徹底的に叩き直してやりますからね」

 

 靈威は不安そうにしていたが、これも全て彼女のためだ。仕方ない。

 私がいなければ何もできない人間に育てたとあっては、彼女の生そのものを酷く歪めたことになってしまう。そればかりは後味が悪い。

 どうせ子育てをするのであれば、最後の巣立ちまでしっかりと仕上げなくては。

 

 

 

 翌日から、私は少しだけ方針を変えた。

 日々の日課はほとんど変わらない。ただ、私が逐一手を貸す頻度を減らしただけである。

 

 そもそも、私はもう巫女ではなくなったのだ。

 私のすべき役目が手を離れてゆくのは極々自然なことであった。

 

 陰陽玉が靈威に継承されたことを聞いた時、村人たちは純粋な驚きと、それとは別の安堵を感じていたようだった。

 やはり陰陽玉の持ち主は人間である方が良いのだろう。

 しかし、あまり喜びの感情を表に出さず、私の顔色を窺っていたのが少しおかしいといえばおかしかったか。……巫女の座から降りたとはいえ、私が里を襲うなんてことはないのだけど。

 

「紅様……」

「靈威。これからはあなたが巫女なのですから、務めはあなたが果たしなさい。やり方は今までに学んできたのだから、できるでしょう」

「……はい」

 

 博麗の巫女は村を守る存在だ。

 それはつまり、これから靈威は里を狙う妖怪達と戦いを繰り広げてゆくことを意味していた。

 

 私から見てもまだそれは荷が重いように思う。だが、彼女の意識を変革してゆくためには都合の良い切り口ではある。

 

「靈威。あなたは誰よりも強くならなければならない。少なくとも、あらゆる妖怪たちを恐れさせなければならない。争おうとさえ考えられないほどの威を振りまいて、誰も里に手出しをできないくらい、ね」

「……私には、難しいです。紅様」

「いいえ。陰陽玉はあなたを選んだ。あなたにはその素質がある」

「使い方もわからないですし……」

「陰陽玉は……まぁ、適当に蹴ったり殴ったりして妖怪にぶつけてやればいいのです」

「……そのような扱いでいいのですか」

「ええああうん、まあ多分。とにかく、大事なのは陰陽玉だけではなく、靈威、あなた自身の力です。その鍛錬を怠っては駄目よ」

「……はい」

 

 出だしは渋々といった具合だけど、それでも靈威は巫女としての役目を受け入れてくれた。

 ……これから少しずつ、幻想郷を守る意識を高めていってくれたら良いんだけど。

 

 そのためにもまずは、鍛錬ね。

 

 

 

「靈威、妖怪は力が強いのはわかるわね」

「はい」

「だから不用意に近付かれてはならない。近づくのであれば常に自分の意志で、自分から。あなたはそれを学ぶ必要がある」

 

 私は氣を込めた右脚で地面を踏みしめた。

 轟音とともに、大地が陥没する。その余波は畑一面分は離れた場所にもひび割れとなって伝い、靈威の足元の直ぐ側で止まる。

 靈威は突然の地割れと揺れによって尻もちをついていた。……まだまだ気が弱いところがあるわね。

 

「魔族の、妖怪の力を侮るとこうなるわ。わかるわね?」

「は、は、はい」

「でもまだ理解が十分ではない。組手を始めましょう」

「え」

「実戦でも妖怪の力を学びなさい」

 

 追加された日課は、訓練の変更。

 それまで人間の力に加減して行っていたものを“妖怪並み”の力によって行うことにした。

 

「あっ、く……や、速……!?」

「死ぬわよ?」

「ひっ……!」

 

 振るうのは剛拳。避ける靈威はいつにも増して必死だ。とても互いに打ち合う鍛錬のようには見えないだろう。

 けれどこれでいいのだ。無意味な容赦は彼女を弱くする。今になっては彼女から避けられたり、共同生活にヒビが入ったところで気にすることでもない。

 ただ彼女を鍛えるために、私は一切の優しさを棄てたのだ。

 

「さあ起きなさい。守護者ならば、死んででも役目を果たすつもりでかかってきなさい」

「はぁ、はぁ……紅、さん……もう……」

「甘ったれるな」

 

 膝をつく靈威を蹴り飛ばし、柔らかな土の上に放り出す。

 大きな怪我こそしないが、痛みはあるだろう。咳き込んでいる。

 

「私はあなたの母ではない。あなたと同じ人間でもない。縋り付く相手を間違えるな。捕食者に媚びれば見逃してくれると思うのか」

 

 猶予は三年だ。三年で、靈威を私から巣立たせなければならない。

 三年……なんと短い。不安になる。だからこそ、入念に突き放さなければならない。

 

「げほ、げほっ……紅さんは、そんな……悪い人では、ありません……」

「……」

 

 突き放さなければならないのだけど……そうは思っていても、なかなか上手くはいかない。

 そっけなくするには長い時間を靈威と過ごしてきた。嘘を付くには私の口が下手すぎた。

 

「努力、します……鍛錬します……だから、嫌いには、ならないで……」

「……ああ、全く。あなたを嫌いになるわけがないでしょ。厳しく育てはしますがね。……ほら、立って。座り込む癖をつけないで」

「……はい」

 

 私は育ての親でしかない。

 けど、靈威を役目をなすりつけるためだけの相手と見なすには、こちらもこちらで情が育ち過ぎた。

 

 面倒くさいな、人間って。

 

「お湯くらいなら用意してあげるから、土を払って屋敷に戻りなさい」

「はいっ」

 

 あと三年。

 人間は成長が速いけど、どこまで強くなれるのかしら。

 

 やるだけやってみましょうか。

 

 


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