東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 ライオネル様に相談した後、数日を置いて返事があった。

 

「紅様、本殿の前に何か……」

「予定通り来たみたいね」

 

 元々、手紙で“悩みを解決できそうなものを神社の前に置いておくからね”とは言われていたので、その到着を待っていた形だ。

 しかし私はその悩みを解決できそうなものについて具体的には聞かされていなかった。てっきり何らかの指南書でも送られてくるのかと思っていたのだけど……。

 

「大きい箱ですね……」

「そうね……」

 

 明け方、本殿の前に音も気配もなく現れていたのは、人が入れそうなほどの大きな箱であった。

 それは魔界において時々使われている、遺体を安置するための棺のように見える。靈威には全く見覚えのないもののようだけど、なんとも不吉な贈り物だ。

 とはいえ、ライオネル様からいただいたものだ。悪いものは入っていないだろう。

 

「とりあえず開けてみましょう……」

「ちょっとちょっとちょっと」

 

 直立する棺の蓋を開けてみようとしたその時、真後ろから制止の声がかかる。

 振り向くと、そこには異界の隙間から半身を出した紫がいた。それも、いつになく焦ったような表情で。

 

「八雲様。おはようございます」

「おはよう靈威。いえ、今はそれどころでなく。……紅、これは?」

「恩人からの贈り物よ。悪いものでは……ああ、そういえばまだ貴女には伝えていなかったか。ライオネル様からいただいたものよ」

「……ライオネル。ああ……」

 

 あっ。紫が隙間からずり落ちた。どうしたの一体。

 

「紫様、お召し物が汚れますよ……」

「……ありがとう靈威。……ええと、うん……ライオネル。ライオネルというと、魔界にお住まいのライオネルかしら?」

「魔界に住んでいるかはちょっとわからないですが、ええ、まあそのライオネル様かと。ライオネル……ええと、ブラックモア。だったかな?」

「……背が高く、声の低いライオネルなのね?」

「ええ、まさに。まあ高いとはいえ私より頭一つないくらいの程度ですけども」

 

 本当にどうしたのかしら、紫。いきなり現れて萎びれて。

 

「もしかして紫、あなたライオネル様のお知り合い?」

「……こちらが一方的に知っているだけですわ……まあ、会ったこともないわけではないのですが」

 

 歯切れが悪い。顔色も悪い。そんなにライオネル様が苦手なのだろうか。

 まあ少々どこか掴みどころのない方ではあるけど、悪い人ではないはず。

 

「……紅には話しておきましょう。まさか貴女がかの御仁と知己だったとは驚きですが……そうなればもはや隠しても私が怪しいだけですものね」

「別にいつも怪しいけど」

「貴女も他人事ではないのよ、紅」

 

 その時、紫はやけに真剣そうな目で私を見つめていた。

 思わず私の背筋が伸びるほどの、気迫の籠もった眼差しだ。

 

「ライオネル・ブラックモアの生み出すものは、必ず大きな波紋を生み出します。本人にどれだけの自覚があるかは定かではありませんが、必ず大きな波が起きるのです。水面に落ちるものが大きく重い岩であるならばそれは必然の理。カンザスで生まれた大嵐が蝶を粉々にして吹き飛ばすくらい当然のことです。蝶には抗う術もありません」

「……あの方が大きな力を持っていることは知ってるけど……先程も言いましたが、悪い人じゃないですよ」

「ええ、本人も悪気はないかもしれません。しかし悪気がないからこそたちが悪い。嵐はどう足掻いても、優しい凪にはなれないのですからね」

「警戒しているのね、あの方を」

「当然です。繊細なバランスで成り立っているこの幻想郷において、ライオネル・ブラックモアという存在ほど都合の悪いものはありません。影響力が大きすぎるのです。本人や、本人が生み出すもの全てにおいて」

 

 横目に靈威を見ると、彼女はどこか不安そうに棺を見ていた。

 ああ、もう。紫がさんざん怖がらせるから不安になっているじゃない。

 

「だったら貴女が直接ライオネル様に言えば良いじゃない。“来ないでください”と……」

「嫌よ。私は存在でさえ知られたくないんです。素性、拠点、能力、存在そのもの。とにかくバレたら面倒なことになるに決まっているんです。わかるでしょう? もちろん来てほしくもないですけど、言って止まるかどうかなんてわからないですし……」

「いやちょっと……そこまでかなぁ」

「そこまであるんです。貴女の警戒心どうなってるの……?」

「いやだから、恩人ですからねぇ……気にし過ぎだと思いますよ。ほら、この贈り物も安全だろうし……」

「ああちょっと開けないで! 開ける時は必ず安全な環境を構築して!」

「そんな開けただけで危険になるような物を好んで渡してくるわけないでしょ……」

 

 紫がか細い悲鳴をあげるのを尻目に、私は棺の蓋を勢いよく取り外した。

 

「……やあ」

「……」

 

 そこにはライオネル・ブラックモアその人が、見慣れないヘッドギアをつけ、両手に丸っこいグローブをつけた状態で納まっていた。

 

「ひぃ、出た!」

 

 あっ、紫が隙間に逃げた。あ、結界構築してる……いや本気で構築してるわあいつ。なにやってんの。何重に張り巡らせてるのよ。

 いやそれよりも。

 

「……なにしてるんです?」

「……いや。肉弾戦の丁度いい対戦相手が必要と聞いて。戦闘用ゴーレムの用意もあるにはあるんだけど、手紙を読んでいて靈威ちゃんの様子も気になったから……つい……サプライズのつもりで……」

「ずっとそこに居たんですか……」

「うん……」

 

 本当に何をしてるんだろうこの人……。

 ああ、靈威が骸骨の顔を見て臨戦態勢になっている。私の教えをよく守っているわね。でも大丈夫よ。変な人だけど実害はそこまでないはずだから。紫の話を聞いて少し思い直しかけているところだけど……。

 

「いや、教室の掃除ロッカーに入っていたら自分の陰口を聞いちゃった小学生みたいな気分なんだけど……うん……そこの、ええと紫さんだったかな」

「うわっ……」

「うわって言われた」

 

 あ、まだ紫いるのね。逃げてないのは感心。

 

「……なんでしょう? ライオネル・ブラックモア」

 

 紫は警戒心をむき出しにしたまま、いつでも隙間の中に逃げ込めるように顔だけを出した状態で会話を試みている。

 それでも可能な限り支配者としての雰囲気を出そうとしているのが健気だ。同情はする。

 

「いや……その……私、邪魔なら……うん。来るのやめたほうがいいかな……?」

「……」

 

 即答したいけど本人を前にして改めて言うにはちょっと勇気がいるから口ごもっているような顔をしている。

 

「本当になんか……ごめんね……うん……摩多羅隠岐奈って神族にも言われたけど……私やっぱりこういう所に居ないほうが……」

「……日を改めて」

「え……?」

 

 紫は渋い顔で暫し口ごもり、再び目線をライオネル様に向けた。

 

「……日を改めて、幻想郷が安定した時にお招きしましょう。制度が構築され、秩序が整ったその時にまた、いらしてください。恥ずかしながら今の幻想郷は薄い玻璃細工のようなもの。何かがあれば容易く砕け、次こそは二度と修復できなくなってしまうかもしれないのです。いえ、これはあなたの責任も多分にあるのですが」

「本当に申し訳ない」

「だからとりあえずもうしばらくは出ていっていただけると……助かりますわ……はい……」

「はい……わかりました……はい……そのように……」

 

 随分と沈んだ声で最後にそう言い残して、ライオネル様の納まっていた棺の蓋はゆっくりとひとりでに閉まっていった。

 そしてそれが完全に閉じきった時、棺は音もなく消え去った。

 

 紫は“こういう解析できない力を簡単に扱うから……”と疲れたようにうなだれている。

 うん。なるほど、彼女の苦労が少しだけ私にもわかったかもしれない。

 

 ……しかし、ライオネル様は紫直々に出禁になったか。

 そうなると……。

 

「靈威の訓練は、どうしたものか……」

「……ええと。それどころの話ではなかったように、聞こえたのですが……紅様……」

「それはそれで大事なことなのよ」

 

 さて、疲れ切ったついでに次善策は紫にでも頼むとしましょうか。

 


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