「我が名は摩多羅 隠岐奈。究極の絶対秘神である」
翌日のこと。
拝殿前で靈威と共に待ちぼうけていると、またしても背後から声が聞こえた。
どうしてこの里の連中は皆人の背後を取りたがるのだろう。
「どうも、はじめまして。私は紅といいます」
「はじめまして。靈威と申します」
「……はあ。もうちょっといい反応が欲しかったのに」
昨日、ライオネル様が去った後は紫も相当に疲れ果てた様子だった。
が、そのまま返したのでは靈威の指南役がいなくなってしまうので、隙間に帰ろうとする紫をひっ捕まえて、代役を立てるようにお願いしたのである。
アレ以上の面倒事はもう嫌だったのか、紫は“明日になったら適した指南役を寄越す”とすぐに快諾してくれた。で、その指南役というのがこの摩多羅隠岐奈と名乗った女神であろう。詳しくは知らない。まぁ私より強大な神族であろうことは確かだが。
「ええと、隠岐奈と呼んで良いかしら」
「……まぁ良いでしょう。こんな仕事請け負った時点で神秘も陳腐もないからね。話はスキマ妖怪から聞いているけど……そっちの巫女を鍛えればいいのよね?」
「は、はい。ご指導、よろしくお願い致します」
靈威は深々と頭を下げた。隠岐奈は神気を発しているが、それに対して過度に怯えることはない。
その心の頑強さが気に入らないのか、隠岐奈は靈威をじっと見つめ、眉を歪ませた。
「……人にしては靭やかな精神を持っているね」
「ここに至るまで私がそこそこ鍛えましたから」
「ふぅん……貴女は……」
「ただの妖怪ですよ」
「……そう? あまりそうは見えないけれど……」
「私のことはどうでもいいんですよ。問題はこっちの靈威です」
「あう」
靈威の襟を摘み、隠岐奈の前に差し出す。
「説明はあったでしょうが、改めて。この子の体術を鍛えてやってください」
「構わないけど、私は優しくはしないわよ」
「加減を損ねない限りは問題ないです」
「……そう。薄情なのか淡白なのか、それを飲み下した上での愛なのか……」
隠岐奈が姿勢を低く構え、靈威に向き合った。
戦闘態勢だ。自然と、靈威も距離を開けて構えを取る。これは私が叩き込んだ常在戦場の癖だ。
「育てるも鍛えるも、まずは力試しから。さあ……来るが良い、三代目博麗の巫女。せいぜい人の力で我を楽しませてみよ」
「……! はい! いきます!」
「じゃあ私そこで座って見てるので」
そういう流れで、靈威と隠岐奈による稽古が始まった。
闘いが始まって真っ先に思ったのが、隠岐奈の格闘技術の高さ。
彼女は神族にしては随分と喧嘩慣れしているようで、巧みに靈威の打撃を防ぎ、弾き続けている。
もちろん靈威も負けずと連撃を絶やさず打ち込み続けているが、隠岐奈は苦しげもなく全てを受けきっているようだ。
掌打と共に霊力の弾ける音が心地よく響くが、それは音ほどの効果を相手に及ぼしていない。さすがは神族。単純な霊力の攻撃では有効打にはならないか。
……うん。良い動きだ。紫に、隠岐奈に頼んで良かった。
格闘技術も見慣れない動きが多いけど、悪くない。目新しい動きだ……うん、うんうん。
いやかなり良いな? 私もあの武術を修めてみたくなってきた。
「そこまで」
ある程度打ち込みを防いで靈威の攻め手を測りきったか、隠岐奈は攻勢に転じた。
案の定その攻勢の波を靈威は防ぎきれず、途中から幾度も当たりをもらい続けていた。止めるならこのあたりが妥当でしょうね。
「はぁ、はぁ……!」
靈威はそのまま石段の上に横たわり、汗をボタボタと垂らしている。これは限界ね。
「ふうん。なるほど、その程度。……と、言ってやるつもりだったのだけど……その歳でこれは人間を何歩か踏み出してない? どういう鍛錬を仕込んだら人間がこれだけ強くなるのよ」
「ん? そう?」
靈威の仕上がりを一通り実感して、出てきた隠岐奈の感想は意外と悪くないものだった。
「まず霊力による一撃一撃が重い。私はこういうものに耐性があるけど、妖怪が受けるには重すぎるわ。天狗でもまともに殴り合いはしたくないんじゃない?」
「はあ、そうかしら。天狗の疾さにはまだ対応できないけど」
「全力を出した天狗を超えるつもり? いやいや、それは無理でしょう。できたとしてもやめたほうが良い。人間の動体視力には限界があるのよ。向いてない部分を伸ばしても無駄よ」
「そこをなんとかしないと靈威は死ぬので、なんとかしてください」
「いや貴女ね……」
「三年しかないのよ」
石段の上に手をつく靈威をみやる。
彼女は汗だくのまま、私を上目遣いで窺っていた。
「さっきも言ったけど、加減を損ねない限りは問題ないから。けど闘いを見た感じ、心配は必要なさそうね。隠岐奈、貴女になら任せられる」
「……なるほど。なるほど。貴女も立派に妖怪ということね」
だから妖怪だって言ってるじゃない。魔族という方がしっくり来るけど。
「良いでしょう。お望み通り、厳しく指導してあげる。それがお望み通りならね」
「ん?」
「そこの靈威本人が“嫌だ”と弱音を吐けば、すぐにやめにするということよ。私は貴女たちを手伝ってあげる。背中は押してあげましょう。ただし、尻までは引っ叩かない。それだけよ」
こちらの意志が折れたならそれまでのこと、ということか。
「……わかりました」
靈威は静かに立ち上がり、隠岐奈と向き合った。
「弱音は吐きません。絶対に。……なので、隠岐奈様。これからよろしくお願い致します」
頭を下げる靈威を見て、隠岐奈は額を掻いた。
「……大人しそうだけど、頑固そう。これは長い付き合いになりそうだ」
どうやら隠岐奈はこの教練が短い間に終わるものと考えていたようだ。
残念だったわね。
靈威は滅多なことでは弱音を吐かない人間だ。言うなと言われれば間違いなく言うことはない。そんな頑固で、逞しい子。
「強くなるのよ、靈威」
「はい!」
「うーん……困ったな……」
こうして、靈威の特訓は苛烈さを増してゆくのだった。