目の前に迫る閃光は月の魔弾。
靈威はその輝きに秘められた力を悟り、咄嗟に首だけを傾けた。
十センチも動くかどうかの小さな回避。
だが体幹を使わない機敏な動きは眼前の脅威をどうにかやり過ごすことに成功した。
艷やかな黒髪が数本舞い、魔弾の後に吹き抜ける風がそれを散らす。
闘いは始まった。
「手加減は無しということですね」
『避けたか』
不意打ちに近い顔への攻撃は避けられた。
手っ取り早く終わらせようとしたサリエルにとって、その回避は予想外だったのだろう。靈威はサリエルの想像を越えて機敏であり、戦闘慣れしていた。
霊力の込められた大幣はサリエルの放つ魔弾を辛くも弾き逸らせているし、防ぎきれないものは地を擦るように滑り込んで躱してもいる。
彼女の身のこなしは生まれてから十年と少しの生き物とは思えないほどに洗練されており、ともすればそれは魔界に棲む魔人や悪魔の一部を完全に凌駕しているものと思われた。
『これほど戦えるとは……』
空に浮かぶ邪眼より複数のレーザーを放てば、しっかりと回避に専念する。
放たれた攻撃の重さを的確に観察し、判断できている証だ。
そして、陰陽玉である。
「ふッ」
靈威は接近を試みながらも、陰陽玉による攻撃を続けていた。
時に大幣で、時に投げ放つ護符によって弾き飛ばすことで、陰陽玉を幽玄魔眼に当てようと虎視眈々と狙っている。
今も空中の陰陽玉が護符による推進力を得て、角度を一変させて襲いかかってくる。
靈威の放つ護符そのものにも威力はあるだろうが、それが相手に直撃したところで決定打にはなり得ないと端から見限っているのだろう。あくまで魔弾の迎撃と陰陽玉の補助のために飛ばしているだけである。
しかし割り切っているからこそ、靈威の攻めは無駄がなく、強い。
『“大いなる月の盾”』
「!?」
陰陽玉の直撃は防御魔法によって防げるが、下級のものでは通用しないだけの“力”が陰陽玉には込められていた。
陰陽玉を弾き返されたことに靈威は驚愕の表情を浮かべていたが、サリエルからしてみれば“ただ投げ放っただけ”の陰陽玉によって強化された防御一枚が破られることそのものが厄介である。
幽玄魔眼はサリエルの魔力によって生み出された独立ユニット。
その力は幽玄魔眼の作成時に使われた魔力と、自然供給によって微増する魔力のみ。
魔弾もレーザーも消耗の激しい迎撃であり、ましては強化防御は大きく魔力を食う悪手と言えた。
それを知る由もない靈威は接近戦に持ち込めないことと陰陽玉が通じないことに苦しげな顔を浮かべていたが、現状の闘いを続けていけば劣勢に持ち込まれるのはサリエルの方である。
『ふん、出し惜しみはできないか』
サリエルはライオネルの要請でここにいる。
地上からやってくる人間の巫女に対し、悪役として立ちはだかってほしいのだと。
それには“出来得る限り日数を長引かせてほしい”という要望も添えられていた。
妖怪退治に強い意欲を持つ靈威によって、幻想郷のバランスが崩れかけている。
それを正すための一時的な“ガス抜き”。それこそが、魔界より侵略した立て看板の真実であった。
「はぁ、はぁ……!」
『この程度で息を乱すとは。それで私に勝てると思っているのか?』
「……!」
サリエルの挑発に、靈威は答えない。彼女は寡黙だった。
だが彼女の心は決して冷ややかな気性ではないし、今も穏やかなものではない。少なくとも今は、靈威に挑発を受け流すだけの冷静さが無かった。
「ぁああッ!」
叫びとともに大幣が振るわれ、陰陽玉が弾け飛ぶ。
次いで袖口より投げられた護符が陰陽玉を囲むように飛来し、万が一弾かれた後の軌道をカバーする。
靈威はこの一撃に全身全霊を込めたのだ。
『甘いな』
決死の一撃を冷静に見定めたサリエルは、幽玄魔眼の両翼の“眼”より無数の魔弾を開放した。
それは今までセーブしていた幽玄魔眼の魔力を大幅に消耗した上で発動する、こちらもまた捨て身の大攻勢だ。
しかしサリエルの放った魔弾の嵐は靈威の向こう見ずな一撃とは違う。
無数に射出された魔弾は両翼より靈威の護符へ殺到し、焼き尽くしてゆく。陰陽玉の進行ルートを矯正するための護符はこれによって一瞬のうちに機能を失った。
「あっ……」
靈威がその迎撃の質を悟り呆けた声をあげた頃には、既に魔弾の十字砲火が中央の陰陽玉へと降り注いでいる。
陰陽玉は強力だが、投擲されたものを弾き返すだけならば決して難しくはない。魔弾の数発でも当てれば跳ね返すことはあまりにも容易であった。
靈威は自身に打ち返された紅白の陰陽玉が目の前に迫るのを見て再び体を動かそうとしたが、渾身の一撃を放った直後の体は言うことをきかず。
「ぐッ、あ……!?」
押し返された陰陽玉の直撃によって、大きく吹き飛ばされてしまったのであった。
力なく草原に投げ出される少女の体。
使用者の意識と切断され、大地に転がる陰陽玉。
靈威は死んではいなかったが、苦しげに目を閉じたまましばらく起きる気配もない。
ここに勝敗は決着した。
『……力の差とはこういうものだ』
終わってみれば、闘いの流れはほぼサリエルが掌握していたと言っても良い。
種族としての差も当然あるが、全体的に闘いに慣れていない靈威をあしらうことは難しくなかった。これから何度闘いを挑まれたとしても、それを跳ね返せるだけの自信もサリエルにはあった。
だが、この闘いは。
終わってみれば、幽玄魔眼の魔力は底を着きかけている。
あと数分もしないうちに今の電影体も霧散し消失してしまうことだろう。
勝ったには勝ったが、辛勝であった。それを思うと誇らしくなれる気もしない。
また、地上の魔族……妖怪が靈威によって脅かされているという話も、聞いた当初こそ訝しんでいたが、闘いを経てみれば実感できる部分も多い。
『人間がこれほどまでとは……末恐ろしい。次も決して手を抜けないな……』
電影体は考え込みながらやがて時間とともに消滅し、草原から消滅した。
残されたのは横たわる靈威と、陰陽玉のみ。
「うう……ルイズさんが使うゲートを守るお仕事だっていうから応募したのに……まさか侵入者の返送までやらなきゃいけないなんて……思ってたよりきついわ、この仕事……」
ちなみに気を失った靈威は魔人のサラが牽く台車に載せられて、ゲートを通じて地上に送り返される事となっている。
サラは少々不服そうであったという。