東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 靈威は馬鹿ではなく、聡明だ。

 そして、紅の演技はお世辞にも上手くはない。

 

 なので、一連の騒動が粗雑に仕組まれたものであることに気付くのにさほど時間はいらなかった。

 

 ヒントはいくらでもある。

 自分の退治もなしに上手くいく人里の守護。

 紅の話声。

 絶妙に手加減された幽玄魔眼の攻撃。

 丁寧なことに気絶中に神社まで運んでくれる誰かの存在。

 

 それらをまとめて考えてみれば、魔界との騒動が全て茶番であろうことは容易に想像がつく。

 かといって、靈威は紅の前でそれを暴こうだとか、非難しようだとは思えなかった。

 

 魔界との闘いは、靈威に課された最後の試練。紅はこれを通じて、靈威を成長させようと考えているに違いない。そのために下手な芝居を打っているのだと、靈威にはわかってしまったから。

 

 試練の後に、紅は幻想郷から去ってしまう。

 異変が終われば、独りになる時がやってくる。

 

「……」

 

 肌寒い朝、久しぶりの痛みのない身体で目を覚ます。

 

 生活感の薄い博麗神社。

 ここから更に、一人分の気配が消える未来を夢想する。

 

 朝も夜も、常に独りのみ。

 親も兄弟も親類も、誰もいない。独りだけの家。

 

「……起きないと」

 

 靈威は静かに流れ落ちた涙を袖で拭い、立ち上がる。

 

 傷は癒えた。

 今日からは再び、魔界への挑戦を始める予定であった。

 

 

 

 いつものように鍾乳洞を通り、いつものようにゲートを潜る。

 散発的に邪魔を仕掛ける防御術を蹴散らし、草原を進んでゆく。

 

『また来たか、人間。懲りない奴だ』

 

 そうすれば必ず幽玄魔眼が立ちふさがる。

 電影でしか姿を見たことのない、しかしそれだけで己を軽く蹴散らすことのできる強敵。

 

 靈威は姿を見せた電影を前にして、いつものように戦闘態勢を取らなかった。

 これが試練だとわかっていても尚、腕が上がらない。宙に浮かべない。

 彼女の意思を反映してか、陰陽玉も待機状態のまま漂うばかり。

 

『……ふん。戦意がないくせに、攻め込んできたのか』

 

 その姿を見せられては、サリエルも容赦なく蹴散らす気は削がれてしまった。

 設定上は死の天使と名乗るほどの悪役ではあっても、性根は決して邪悪ではないのだ。

 

「私は……戦意がない、のでしょうか……」

『無い。誰に言うことでもない故に私だけが知ることではあるがな。ここ数回、貴様の攻め手は鈍り続けている』

「……ですか。そう、ですか……」

『……覇気に欠ける奴だ。人間は浮き沈みが激しいらしいが、その通りだな』

 

 電影はその場で片膝を抱き、空中に腰掛けるような体勢を取った。

 これも仕事内容に抵触しかけるとはいえ、神族としての善性に無抵抗な弱者を甚振る趣味はなかった。

 

『人間の巫女よ。貴様の名を聞かせてもらおうか』

「……靈威、です」

『靈威。……ふん、面白みにかける名だ。何より、貴様にふさわしいものではない』

「……紅様からいただいた名です。訂正してください」

『くだらんと言ってるんだ。貴様も、紅とやらにつけられたその名もな』

 

 これは茶番だ。相手もそう悪い存在ではない。靈威にはわかっている。わかっていたが。

 演技の一環であろうとも、紅の纏わるものを貶されたことそれだけは許せなかった。

 

 大幣を握る手に力が籠もる。

 心の昂りと共に陰陽玉の霊力が揺らめく。

 

 電影体のサリエルは急激に沸き立つ靈威の戦意を目にし、ほくそ笑んだ。

 

「私は靈威……三代目博麗の巫女、博麗 靈威! 二代目巫女(コウ)様の後を継ぐ、強き巫女です!」

 

 霊力の籠もった目が光を帯び、眼光が大気を威圧する。

 その波動は幽玄魔眼の身体を構築する魔力の表層にも僅かに干渉するほどのもの。

 サリエルがこれまでの靈威との闘いで一度も感じたことのない、強い闘志であった。

 

『なるほど、これが人間の可能性というやつか……』

「看板も、試練も、どうでもいい! ただ貴女には……謝っていただきます! サリエル!」

『面白い。ならば見せてもらおうか! 人間の巫女! その強さとやらを!』

 

 幽玄魔眼が弾幕を展開し、草原に無数の穴を穿つ。

 光条は宙を何度も暴れまわり、なぞられた草は焼け、黒煙が立ち込める。

 

 靈威は己に迫る魔法の脅威の中で、今までになく集中し、何よりも全力であった。

 未熟な護符は防御と割り切り、ただ自らの肉体と陰陽玉だけを前へ前へと運ぶ。

 それは一見捨て身のような突貫でありながら、靈威にとって最も得意とする戦術でもあった。

 

『ほう、ここまでいなすのは初めてか……!?』

「でしょうね。そして、今日が最後です」

『!』

 

 霊力を肉体に込めた原始的な強化術。

 その上で行われる空中での霊術による制動は、魔術一本に頼り切った動きに慣れたサリエルの目をほんの僅かではあるが欺いた。

 

 レーザーも、弾幕も、全てをかいくぐられた。

 靈威は既に、電影体の目の前にいる。

 

『なん……』

「破ッ!」

 

 苦し紛れの放電も間に合わず、陰陽玉と正拳の直撃が幽玄魔眼の胴体を突き破る。

 致命的な部位を欠損した幽玄魔眼は、たったそれだけの攻撃で全体を構築する雷気のほとんどが瓦解した。

 

『本当に、驚かされる』

 

 宙に浮かぶ邪眼も全てが崩壊し、消える。

 幽玄魔眼としての電影体も、急速にその身が揺れだし、消えかかっていた。

 

 靈威は勝ったのである。

 

「……必ずそちらに窺います。教えていただけますか。貴女の居場所を」

『フ……面白い。……この身は、もう長くは持たん。長話ができないのは残念だ……が、博麗の巫女靈威よ。この続きを求めるのであれば、向こうを目指せ』

 

 消えかかる電影は地平の彼方を指先で示した。

 

『エンデヴィナの廃墟……そこを越えた先で、堕ちたる神殿にて待つ。油断しないことだ』

「……」

 

 靈威は次なる試練を示す電影に、無言で頭を下げた。

 紅から施される指南を終えた後にするのと、全く同じように。

 

『おいおい。……まあ、いい。また、来るが良いさ』

 

 最後に呆れたような声を残し、幽玄魔眼は消え去った。

 

「……エンデヴィナの廃墟」

 

 長く続いた幽玄魔眼との闘いは終わりを告げた。

 これより始まるのは、より険しい新たな試練であろうことは疑いようもない。

 

 だが、もはや靈威に迷いは無かった。

 

「私は、強さを証明してみせます」

 

 


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