城内の魔法研究室は、散らかっていた。
もちろんそれは個人で研究中の魔法使い特有の“どこに何があるのかは自分でわかる”という類の散らかりようであろう。私としても馴染みのある雑然とした風景であった。
水属性を枯らした石蓴。
金属性の抽出に失敗した赤褐色の泥。
土属性を使いすぎて灼けたシリコン片。
火属性の反復使用に耐えられず湿気た蝋燭。
木属性の安定を目論見て変質しきった珪化木。
実に馴染み深い。
私は壁に立て掛けられた懐かしき流木の杢目を手でなぞり、メルランの不機嫌そうな目線に急かされ席についた。
差し出された茶は紅茶ではなく、ハーブティーであった。
イギリスといえば紅茶だが、未だにこの国に紅茶が現れる兆しはない。紅茶はどこか。しかし、香り高いハーブティーもまた味わい深い。
「これでも、この国では新しい味なのよ。フフッ……あなたにとっては珍しくもないのでしょうけれど?」
どこか見透かしたようにメルランは言う。
「……いえ。違う……私は、そんなことを言いたいわけじゃない……」
が、すぐに顔を俯かせて黙り込んだ。
私は手元のお茶を一口飲み、ゆっくりとその素朴な味わいを鑑賞することに努めた。
「……外の石塔を見たわね?」
メルランはしばらくの合間を開けて、語りだした。
「改良されたロートスの花は、人を、魔物を遠ざける。それがあれば、アヴァロンを脅かす者も……いえ……これでもないか……」
だがメルランはすぐに語ることをやめ、口元を手で覆った。
「私はただ……そのね。……魔法使いを……人間たちを……」
「うん」
「彼らは……彼女たちはとても愚かで……馬鹿で、考え無しで、不器用で……」
「うん」
「……自尊心が無いのよ。何故、そんな……不完全で、出来損ないの国のために身を捧げるのかしら。あはっ。バカバカしくて……違う。これでもない……」
言葉に詰まったメルランは研究机の片隅に置かれた小瓶を手に取り、ガラスの蓋を開けた。
「“大いなる逃れ得ぬ静止”」
「……」
それを一気に呷ろうとした時。私はその行動を、魔法で止めた。
本来、こういった魔法は自衛以外で使うことなどないのだが。
「その蜜は貴女の身体には毒だろう」
「……」
「お節介と言われるかもしれないが。貴女が“魔法使いたち”に優しさを分け与えたのと同じように、私はそれを見過ごすことはできないのだ」
メルランはしばらく無表情で黙っていたが、すぐに口元だけで笑い、瓶を置いた。
「……魔法使いを導こうとしたのよ。この私が。笑ってしまうでしょう?」
……。
「最初は別に親切心じゃなかったの。私の目的のために。私に続く者が現れても良いように。私の後押しをしてくれる者が増えるように。頭数が多ければ、それだけ掘り下げることもできるだろうと……そう思っていたのよ」
……。
「笑ってしまうわよね。道標を立て、轍を彫り、最短距離をインクで描きなぞっても……それは決して、あの子たちにとっての最善ではなく、魅力的に見える類のものでもなかった」
……。
「私はそれを知っていたはずなのにね? 程度の問題でしかないそれを、他者に押し付けて……気がつけば、あの子たちはその数を半分にしてでも石塔の外の世界を求め……あるいは、内側の世界で増えること無くその数を減らして……滅んでいった」
……。
「馬鹿みたいよね。人っていうのは、そう。簡単に、思うままに制御できるものではなかったのにね」
ぽっかり空いた石造りの窓の外を見ると、そこには長閑な田園風景が広がっている。
長らく人の管理から放たれたであろう、野草と雑草が蔓延る廃れた田園が。
そして、沈黙が訪れる。
メルランは結局のところ、具体的なことを順序立てて語らなかった。
元来それが下手だったのか、あるいは語る気力もないのか。いずれにせよ、メルランはことの詳細を私に伝えるつもりはないらしい。
だがそこに意地の悪い感情があるわけでないことは、私にもわかる。
メルラン。
初めて彼女と出会ったのはブレコンビーコンズの呪われた湖であった。
そこはドラゴンの縄張りでもあったが、地脈を流れる豊富な魔力の行き交う場所でもあった。
魔法使いにとって環境魔力は重要である。彼女はドラゴンを避けつつも、ドラゴンが長年に渡って蒐集した石造りの砦の一つに住み着き、魔法の研究を続けていたのである。
最初の出会いは決して良いものではなかった。
メルランはなんというか、ひねくれていた。
アリスにもルイズにもどこか刺々しく、私にさえ皮肉るような態度を貫いていたように思う。
だがそんな中でも彼女は、私に対しては確かに真摯な想いをぶつけていたのである。
「私の独り言を聞いてくれるかい」
「嫌よ」
「まあまあ」
鳥の飛ばない仄かに甘い香りの漂う空を見上げれば、そこには一枚の花弁がそよ風に舞っている。
「私はかつて素晴らしい街を作ろうとした。美しく、完璧な街を」
魔界中央都市セムテリア。
女神の墓場を擁する無人の彫刻都市。
そこで聞こえるのは水の音。
計算しつくされた水路の凹凸によって奏でられる水流音は涼やかで、生み出される波紋までもが芸術であった。
だがその都市に、セムテリアにはついぞ人は寄り付かなかった。
度を越えた完璧や美しさは人を、いや、妖魔や神ですらも遠ざけてしまうものだったのだ。
「失敗したよ。この場では語り尽くせないくらいには何度も挑戦したが、結局のところ、居心地というものは作者の出来栄えとはあまり関係の無いものだったらしい」
完成されきった場所に住み着く者は居ない。
H2Oのみで構成された清すぎる流れに魚が居られないように。
「馬鹿をしてたのね、ライオネル・ブラックモア」
「私の人生の九割以上は馬鹿だよ。メルラン」
「フフフッ……」
「この青く美しい星を粉々にすることはできても、この星にへばりつくちっぽけな一人を思いのまま捻じ曲げることは難しい。私と一緒に諦めよう、メルラン。それはあらゆる魔法の難題にも勝る挑戦だ」
「フフ、ハハハハッ……あなたがそう言うなら、真実味も増してくるわね? フフフ……」
メルランはポットからハーブティーをぼとぼと零しながら、愉快そうに笑っていた。
無機質な石造りの部屋にハーブの香りが立ち上る。
「……あなたなら、私の自己満足を見ても楽しんでくれそうだわ? ついてきて。アヴァロンの名所を案内してあげる」
「おお、それは楽しみだ」
「きっと退屈しないわ。あなたであれば、きっとね」
メルランはゆっくりと席を立ち、私を部屋の外に誘った。
城の外には、アヴァロンの町並みにはきっと、メルランの誇る素晴らしい趣向が施されているのだろう。
せっかくやってきたのだ。見なければ損である。