東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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歪んだ玩具の捨て場所を

 

 目覚めた時、ほんの一瞬だけ、自分がどこにいるのか解らなかった。

 見慣れない平坦な荒れ地。目立つものは何もなく。

 

「ああ……」

 

 辺りを見回して、少し離れた場所にライオネル・ブラックモアが椅子に腰掛けているのを認めて、ようやく私は悟ったのだ。

 

 ここはかつてアヴァロンのあった場所であり。

 もう、アヴァロンは無いのだと。

 

「うん? ああ、目が覚めたようだね」

 

 ライオネル・ブラックモアは、アヴァロンの残滓であろう廃材で組まれた簡素な椅子に腰掛けていた。

 その手には真っ白な磁器製のカップが握られ、か細い湯気を立てている。

 

「メルランもどうだろう。私の恒例というわけでもないが、お茶を用意してみたのだ」

「ふふ……来てもらったお客様に出させるなんて、迂闊だったわ? まあ、もう……ここは私の土地でもなんでもないか。……いただける?」

「どおぞどおぞ。せっかくのイギリスに来たのに未だ紅茶が広まっていなくてね。せっかくなのだ。是非メルランにも味わってもらいたい」

「イギリス? ふぅん。まぁ、なんでもいいけれど……」

 

 重だるい体を起こし、ライオネルの対面席に座る。

 

 ……落下の衝撃は意識を失う程度には大きかったが、傷は深くなかったらしい。

 あるいは目の前の骸骨が治してしまったのか。わざわざ知りたいことでもないけれど。

 

 それにしても、一体こんな私と何を話すことがあるというのか。

 私に価値なんてこれっぽっちも有りはしないのに。

 

「あの白い花はええと、覚醒ロートスといったかな。あれは素晴らしいね。品種改良した花にゴーレムのような……役目を魔法で持たせたのだろう。メルランが開発したものなのかい」

 

 そう思っていたら、ライオネルは意外な部分を訊ねてきた。

 

「ええ。あなたのほうが深く理解しているのでしょう? “生命の書”に書かれている生物操作の真似事……みたいなものよ。ゼロから創り出すことはできないけれど、既存の生物を弄ればさほど難しくはなかったわ」

「おお……良いねぇ……株分けしやすい品種を素体にしたのは複製が楽だからかい?」

「もちろん。いちいち植えるたびに作り直すのは面倒だもの。生命力の強いものでなければ管理が煩雑になるわ。アヴァロンの警備用でもあったから」

 

 覚醒ロートス。実際のロートスは知らない。これは私が勝手に作り出した品種であり、オリジナルのものだ。

 効果は人払い。魔族にも神族にも効力がある。

 

「……この花が、理想郷を作ってくれると思っていたのだけれどね」

「人は閉ざされた世界を求めなかったのだね」

「昔からそうなのよ。私はペットにも懐かれない」

 

 愛し方が下手だと思う。歪んでいるのだとも思う。

 魔族と神族の側面をもつせいだと言い訳もできるだろうが。

 けれど、やはり最終的には私という歪みきった個人のせいでしかないのだと、度々思い知らされるのだ。

 

「私は……」

 

 愛されたかった。愛したかった。

 家族が欲しかった。ただ一緒にいたかった。

 

「人間ってズルいと思うわ」

 

 だって、私の前で見せつけるのだ。

 何度も何度も。純朴で美しい愛を。幾度も幾度も世代を繰り返し、何度でも。

 私にはできない難しいそれを、彼らは当然のようにこなしてしまう。

 

「だって彼らは皆、揃いも揃って愚かなんだもの」

 

 私より遥かに短い人生を。苦しみ抜く者も多い。けど、美しく走り切る者もたくさんいる。

 それは私が手にすることのできない美しさ。

 チリチリと赤く瞬く燃えさしの煌めき。

 

「彼らは皆、私とは違う次元で、無知で低俗な幸せを抱きしめられるんだもの」

 

 子供のフリをして彼らの集落に紛れ込もうとしたことがあった。

 猿のような子どもたちと一緒に野山を駆けたことがあった。

 

 けど、私と彼らは違う。

 感受性の柔らかさも。時間の進みも。

 一緒にいても、自らの孤独が深まるだけ……。

 

「美味しいわね? この赤いお茶」

 

 無様だとわかっているのに、涙が溢れてくる。

 目の前のこの魔法使いには見せたくないのに。

 

「生きるのが……苦しいのかい。メルラン」

「苦しいわ。あなたのせい……そう言ってやりたいけど。ふふ、きっと違う」

 

 私にはなにもない。あるのは中途半端な力だけ。

 その中途半端にある力に限界を見てしまったから……あなたに当たり散らしているだけの、無様な道化なのよ。

 

「ねえ、アリスとルイズの二人は元気かしら?」

「ああ、二人とも元気だよ。会ったり会わなかったりだが、親交は続いているようだ」

「そうなんだ。ふふ。仲が良かったものね」

 

 あの二人は……一度だけ会ったあの二人は。

 

 とても、羨ましかった。

 

 まるで本当の親子や、姉妹のようで。その関係を、互いに暖かいものとして受け入れていたのが、少し見ただけでも伝わってくるようで。

 そんな相手は私にはいない。居たこともない。

 

「……本人たちの前では言いたくないけれど。素敵だと思っていたの」

「そうか。そうだね。あの二人は、仲が良かったからね」

 

 神族と魔族。二つの性質を持って生まれた私は、どちらの親からも望まれずにこの世に生を受けた。

 同類もいない。関心を向ける者も居ない。

 

 私が魔導書によって力をつけても、誰も振り向いてはくれなかった。

 国の宰相として長年に渡って力を奮っても。自らが国を作っても。

 人の心を知らずに育った私は、何をやっても上手くいかない。

 

 近頃はずっと、魂が軋む音をあげている。

 覚醒ロートスの蜜をぐっと呷れば、甘い劇薬が私の魂をぺりぺりと剥がし、一時的に痛みを忘れさせてくれるけど。

 何度も何度も死ぬギリギリのところまで服用したところで、私の歪んだ魂が治ることはなかった。

 

「きっと私はもう、取り返しのつかないところまで歪んで……冷えて、固まってしまったのよね。叩いて鍛えた鋼みたいに」

「……ふむ。長く凝り固まったものは、解せないと」

「そう。赤く熱せられていた時ならまだやり直せたのかもね?」

 

 でも、今となってはもう。

 鋳熔かすより他に、手立てはないのだろう。

 

 自分でもわかる。私は失敗作だったのだと。

 

「私は……メルランの精神性については知らないが」

「……ふふ」

「貴女の国を、魔法を。とても美しいと思ったよ」

「……ふふふ」

 

 そう。だから私は救われない。

 

「あなたに言われても、嬉しくないわね」

 

 成りたい形に成れやしない。

 そんな歪んだ魂の持ち主なのだから。

 

「メルラン。私は貴女の魔法を……」

「国は滅んだ。おもちゃは片付いた。私は旅に出るわ。ねえ、ライオネル・ブラックモア。お茶は美味しくて、あなたの片付けはとても助かったわ」

 

 私は席を立ち、くるりと回って、一礼した。

 

「魔界へおいで。貴女の居場所はきっと見つかる」

「嫌よ。そこは人間の暮らす土地ではない」

 

 私は、そう。やっぱりどこまでいっても、人間のことが好きだから。

 寄り添えなくてもね。それでも死ぬ時だって、人間のいる世界で死にたいのよ。

 

「メルラン……」

「私は長生きしたくないわ。あなたの誘いには頷けない」

「……そうか」

「けれど、あなたに会えて良かったわ? ライオネル・ブラックモア。偉大で、憎らしく、優しく、お節介な人」

 

 口笛を吹く。荒れ地の上をゆるゆると飛ぶ。

 

「私のことを覚えていてね。でも、忘れたって良いからね」

 

 ライオネル・ブラックモアは席を立つこともなく、ただ静かに私を見送ってくれた。

 

 ゆくあてもなく。生きる希望もない、空っぽの私を。

 

 それがほんの少しだけ淋しくて、それでも私はやっぱり、嬉しかった。

 

 


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