夢子ちゃんの記憶は脳だけではなく、外付けの記憶装置にも保存される。
魔導記憶核。
脳幹の付け根あたりに埋め込まれた小さな水晶は、文字通り優秀な記憶の引き出しとして活躍してくれるだろう。
さすがに保存容量が無限大というわけにもいかないが、記憶の反復をそれなりに怠らなければ多くのものを長期間保持できるはずだ。
他の生物にも搭載できれば画期的なものなのだが、夢子ちゃんにあるような普段使いできる便利な記憶核ともなると、霊魂の生成から工夫しなければならないのだ。ちょっと残念なことである。
「魔導記憶核は本来ゴーレムに搭載するような、疑似人格を構成するための魔導具だ。本来ならば算術を高速で打ち出すための素子として扱われるものだが、夢子ちゃんの場合は視覚情報を保存し、引き出すこともできる。それはこの前やったフラッシュテストでも実証済みだね」
「まあ、記憶には自信がありますが……普通かと」
「実は普通の人間はそうではないんだ。まあ、その尺度については後々覚えれば良いだろうから今は説明しないけれど」
今、私と夢子ちゃんは砂漠の上で向き合っている。
ここは魔界人の文化の空白地帯。誰も気にしないし誰も近づかない、ただ広大なだけの灰色の砂漠。
ちょっとした運動をするのにはぴったりの場所だった。
「しかし、記憶核はただ記憶の引き出しとして扱うよりもっと有用な使いみちがある。それこそ、ゴーレムに使うような高速出力だ。さあ、夢子ちゃん。剣を二本出して」
「はい」
夢子ちゃんは手を無造作に突き出し、そこに二本の剣を生成してみせた。
瞬間生成に秀でた硬質な魔法金属。魔力を注ぎ続けない限りは形を保っていられる時間も短いが、瞬間的な用途であれば十分な武装だ。
これは夢子ちゃんの末端の骨に刻まれた魔法陣による生成物である。彼女が軽く望むだけで剣は何本でも生成できる。
「一本借りるよ。さて、この剣の扱いは今もやってもらっていると思うけど、結構苦戦しているね?」
「……はい。対戦相手が、なかなか……」
「それは仕方ない。私のそれ専用に生み出したゴーレムだからね。日に日に一回の戦闘時間が長くなっているだけ大したものだよ」
夢子ちゃんには神綺の護衛としての役割がある。そのため、剣術を修めてもらうために専用の剣術ゴーレムとながーい戦いを繰り返してもらっていた。
しかしこの戦闘時間が長くなってはいても、夢子ちゃんの方から決定打を放てずに終わるパターンが近頃は多い。伸び悩みの時期に入り始めていたのだ。
「夢子ちゃんのそんなブランクを解消してくれるのが記憶核による条件反射だ。“こうされたらこう動く”。それを予め記憶核に登録しておくことで、戦闘の最適なパターンを創り出すことができる。たとえば……」
私は剣を片手で握り、全身にちょっとだけ魔力を込めて動きを加速させながら、踏み込んだ。
そして舞うように、一連の技を放つ。
斬り斬り突き蹴り突き突き払い突き。
「……お見事です」
「ありがとう。今からすると大分あれなんだけど、かなり昔に作った剣術でね。見た目は綺麗なのだが。それはともかく、今の八連撃は相手が剣一本だとかなり防御し辛いようにできている。試しにこの技を、夢子ちゃん。痛覚を切った状態で防御してみてほしい。捌くのでも可。私との直線上から逃げすぎないようにだけ注意してね」
「はい。痛覚は切ってありますので、いつでも大丈夫です」
夢子ちゃんは痛覚を自在に遮断できる。痛覚があると何かと不便だからだ。
そのため、こうして体を張った修練の際にも嫌な顔ひとつ見せることもない。
「じゃあいくよ」
「宜しくお願いします」
「では、はじめ」
私はまず夢子ちゃんの腋目掛け、鋭い斬撃を放つところから始めた。
「くっ、あ」
ガンガンと刃が打ち合わされ、魔力の火花が散ること三回。
私が放った体勢を崩すための蹴りを防御しきれず、夢子ちゃんの体が後方に浮く。
その隙を見逃す私であるはずもなく、あとは流れるように連撃が決まってゆく。
突き突き払い突き。
腋、小腸、喉、心臓。複数の急所をメタメタにやられた夢子ちゃんは、最後の突きの勢いのまま砂漠に片膝をつく。
「……お見事です。一度見たのに……」
が、それだけ。彼女の負った傷はまたたく間にふさがり、一滴の血も流れ出ることはなかった。
それよりは見本を見た上で半分以上対応できなかった自分の不甲斐なさを嘆いているようである。彼女はかなりストイックな子なのだ。
「これは剣術の訓練というよりは記憶核の扱い方の指南なので、先に答えを出しておこう。今私の使った八連撃を潰すための動きは“これ”になる」
私はさっきの八連撃と似たような、それでも異なる八連撃を放ってみせた。
この連撃は安全に連撃を捌きつつ、最終的に相手を詰ませる専用の動きである。実用性はというとあまり無い。
「……なるほど。記憶核にその一連の動きを覚えさせることで、咄嗟に放てるようにする、と」
「そう。戦いなんてものは煮詰めてゆけば、最適解を外さずに早く出し合う競争のようなものだからね。自分自身があらゆる事態に対応できることも重要だけど、専用の答えをさっさと返してしまえる方が楽だし、確実だ。さあ、記憶核に刻んでみせると良い。不安だったら自分でも動いてみて」
私はもう一度剣を構え、“メタ”の方の八連撃を見せた。
夢子ちゃんもそれを見てから、自分なりに八連の動きを模倣してみせる。
さすが剣術ゴーレムとの戦いで良い動きを見せるだけあって、身につけるのも一瞬だった。
「……できた。と思います」
「では次にその連撃を引き出す訓練だ。さっき夢子ちゃんは三連までは防いだから、今回は三連の後から正しい反撃法を乗せる感じでやってみよう。私感だが、難しくはないはずだ」
チャッと剣を構え、戦いを促す。夢子ちゃんも剣を握って頷いた。
「じゃあいくよ。……ほッ」
剣と剣がぶつかり合う。弾かれる。かわされる。流される。
最初の一方的なものとは違う剣術の応酬が繋がり、段々と私の振るう剣も体幹も揺らいでしまい……。
「やッ」
「ギャァ」
「あ、すみません」
ついに最後の連撃も弾かれ、夢子ちゃんの剣によってぶん殴られてしまった。
けど私には何も効かないので問題はない。
「平気平気。とまぁ、これが記憶核による条件反射だったわけだけど……さて、どうだろう?」
「……かなりいい感じでした。思っていたよりも自在に引き出せそうですね」
「うむ、それが一番の強みだね。複雑な動きでも覚えておけば再現も難しくない。剣術ゴーレムとの戦いではかなり有効だと思うよ」
もちろん、剣術だけでなく魔法を使った戦いにおいてもこれは便利だ。
私の作るゴーレムはほぼ全てこの記憶核を持たせている。最も複雑な“血も涙も亡き魔法軍”だって、究極を言えばこの塊みたいなものと言えよう。
「ライオネル様。感覚を掴んでおきたいのでもう一度お願いできますか。今度は、より長い連撃を」
「うむ。じゃあ極端に四十四連撃でやってみよう。どうせ記憶してしまえば数の多さは関係ないからね」
「はい」
再び夢子ちゃんが剣を構え、私と向き合う。
彼女はとても真面目で、ひたむきで、忠実だ。
その忠実さはほぼ神綺に向けられたものではあれど、こうして貪欲に強さを学び求める姿勢にはなかなか好感を覚える。
神綺としてはもっと遊び相手として成長してほしいそうだけども、護衛としてはまず強くなければね。
その辺りの意見は、不思議と私と夢子ちゃんとで一致しているのだった。