異形のヘドロ怪物から逃げ切るのは、かなり容易であった。
外に出るなり私に襲い掛かってきた奴らであるが、動きは恐竜たちと比べても緩慢だし、サイズも大型種ほどではない。
“浮遊”で飛べばそれだけで相手の攻撃はやり過ごすことができたし、少し距離を離せば、奴らは目が悪いのか、すぐに私の姿を見失ってしまった。
声を掛けられ、追われた時こそパニックだったが、冷静に上から眺めてみれば、なんてことはない。
なんてことはないのだが……。
「……うーん」
地上は、混沌に満ちている。
這いずりまわるコールタールの怪物、空を飛ぶ灰色の……グライダーのような生き物。
幹の表面を歩く小さな石のような虫。
目に映る全ては、見たことも、聞いたこともないような生物……のような何かで、埋め尽くされていた。
「……奴ら、言葉を話していたな」
食うだとか、殺すだとか、とても正気とは思えない状態ではあったが、言葉は使っていた。それも、私の知っている言語で、である。
……まさか、この目に映る数多の生物全てが、私の心が生み出した新しい神様、なんてことはあるまい。
だが、これらが私と完全な無縁であるとは思えない。
奴らは何者なのか。
地球は今、どうなっているのか。
ちょっと、調べてみる必要がありそうだ。
「面倒な事になっていなければいいが」
一体何が面倒なのかはこれっぽっちも想像できていないが、なんとなくそう呟いて、私はひとまず、世界を見て回ることにした。
何事も円滑に進めるためには、まずは冷静な観察から始めるのだ。
「それにしたって、まさかここまで変わっているとは」
恐竜が去った後の地球は、哺乳類の天下だという話を聞いたことがある。
詳しくは知らない。私は、古代史の専門家ではなかったから。
でもそれにしたって、これはおかしいだろうと思う。
お前に古代史の何がわかるんだと言われても、この状況はどう考えたって“変”だ。
「なんなのこの生き物たちは……」
見渡せど見渡せど、怪物ばかり。
悍ましい姿のものから、どこか神々しいような、無機物的なものまで多種多様。
少なくともそれらのほとんどは、昆虫や魚や哺乳類から進化したような原型を持っていない。
まるで宇宙から降り注いだかのような、突拍子もない姿がほとんどだ。
『食わせろ!』
『殺す!』
そんな奴らが、同じくらいの大きさの相手を見つけては、出会い頭に衝突したり、身体の鋭い部分や尖った部分を使って攻撃している。
どこが弱点でどこが何を司っているのかもわからない体だが、争う者達は皆、相手が動かなくなるまで戦い続けている。
『食う!』
そして、片方が動かなくなると、勝った者は負けた方を飲み込み、我がものとする。
数時間ほど地球を“浮遊”にてさまよっていると、そんな光景があちこちで見られた。
生物らしい弱肉強食と言えば、確かに同じかもしれない。
でもあんな生物達を、私は知らない。化石も、生きた痕跡も、現代には残っていないはず……。
「……いや、まてよ……」
“望遠”を用いて、異形の生物の様子をよく観察する。
ほとんどヘドロをデンと地面に叩きつけたような、富士山のような形のバケモノがいる。
黒くドロドロしたその生き物の上を、今、小さなネズミのような哺乳類が通り、走っていった。
富士山型の化け物は死んでいない。呼吸しているように、静かに上下に膨らんでいる。
ネズミに気付こうと思えば、気付けていたはずだ。
それに、よく見れば、法則がある。
化け物達は確かに生物らしく争い、捕食してはいるが、それは同じ化け物同士。
哺乳類や昆虫を襲ったり、植物をこわしたりといった様子は見られなかった。
「なるほど、同じような奴しか狙わないのか……いや?」
と思いきや、ネズミが灰色の巨大なクラゲっぽい化け物に飲み込まれた。
……そしてすぐに、吐き出された。
ネズミは慌てた様子で、その場から逃げ去ってゆく。
「……同じようなやつしか殺さないけど、区別はつかないみたいだな」
私が襲われたのも、区別がつかなかったが故のことなのだろう。
そして、彼らは言葉は使うが、聞く限りではどれも稚拙なものばかり。
……言葉を扱うのは、アマノの影響だろうか。
いや、そもそもこの地球に跋扈する化け物たちは皆、アマノの灰がもたらした存在なのかもしれない。
一時の地球を支配していた神の遺骨だ。それが何の作用もしないとは思えない。
私と同じ言語を扱うことも、アマノ。それで理由が付けられる。
とすれば彼ら化け物達は、アマノの化身とも取れるのかもしれぬ。
……まぁ、姿は多種多様で、似ても似つかないけれど。
「……とりあえず、今のところは平気ってことでいいのかな」
“望遠”を解除し、一息つく。
確かに見た目にはおぞましい世界の様相だが、かつて住んでいた生き物らが平気であれば、何も問題はない。
姿が醜いからと襲いかかるのはミイラとしてどうかと思うし、何より彼らがアマノの力の欠片だと考えると、やたらと殺す気にもなれなかった。
……彼らのことは、そうだな。
“原始魔獣”とでも呼ぶとしようか。“魔獣”と呼ぶには、姿にテーマらしいものが見られないしね。
ともあれ、もう既に何年もこうして、普通の生命と彼ら原始魔獣の間で不干渉が続いているなら、良いことだ。
このまま放っておいても構わないだろう。
とくれば、後は私のやることはひとつ。
「……魔界に戻るか」
地に埋もれてから、かなりの時間が空いてしまった。
魔界に戻り、神綺と再会しなくてはなるまい。
「……あ」
そうして魔界へ戻るための魔力を身体の中にかき集めようとして、私はひとつの異変に気付いた。
「肋骨が……」
ローブの裾をたくしあげ、腹と胸の辺りを見てみると、私の腹から胸骨あたりにかけての骨や皮が、ごっそりと削げ落ち、消滅していた。
何億年も形を保ち続けてきたミイラの身体が削れ、中の空洞から背骨が、はっきりと見えてしまっている。
隕石を止める際に、私の身体を魔力に変えた結果引き起こされた、魔力体の損耗である。
「……安心させてやらないと」
こんな状態になっても、私に痛みはない。しかしあの時は、やはり随分な無茶をしたものだ。
早く魔界に戻り、神綺に報告しなくては。