東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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遺骸王の不在


 

「魔界は満たされていた」

 

 今際の際。ある高名な魔族は最期の力を振り絞り、本心を吐露していた。

 

「魔界にはあらゆるものがある。技術も、力も……悪魔にとって盤石な基盤も。だが、そこには全てがあるわけではない」

 

 平時より生白い顔は癒えることのない傷によって更に青ざめている。

 窓の外の月を見やれば、闇の中で更に白さが浮かび上がるかのよう。

 

 それでも、彼の。

 かつて魔都において臙脂学派の学長でもあった男、ナハテラの顔には、穏やかな笑みが浮かんでいる。

 

「……しかし、地上は良い。魔界は満たされていた。だが、きっとここにはまだ、それ以上に我々を満たしてくれる。それだけのものがあると、私は考えている」

 

 聖水の中で力を帯びた銀製の蛇は、たったのひと噛みでその役目を終えて灰になった。

 ナハテラはただ足首をそれに噛まれただけ。

 傷跡は二箇所で、深さも数ミリほどでしかなかった。噛まれたその二秒後までの間は。

 

 今やナハテラの下半身は蛇と同じように灰となり、上半身にさえ上り詰めている。

 

 生命力においては他の妖魔に引けを取ることのなかった、夜の大悪魔ナハテラの終わりが近づいていた。

 

「私は長く生きたが……親らしいことなどは、今の今まで経験したことなどなかった」

 

 窓の外に浮かぶ満月から目を外し、寝台の隣に立つ二人の子供に顔を向ける。

 そこには少女が二人。ナハテラにとっても想定外の実子が、彼の最期を看取っていた。

 

「正直に言って、私は今でもわからない。親とは何か。子とは何か。愛とは何かさえも……いや、時間がないか。私の理解の及ばない物事についての言及は避けておこう」

 

 ナハテラは二人の子を成した。

 彼によく似た青白い肌で、夜の下で力を強め、陽の光に弱い性質を受け継いだ、紛れもない己の子。

 

「……こういう時に、お前たちになんと言えばいいのか。口惜しいな。研究にばかりかまけているべきではなかったか」

「……」

「お父様、死なないで」

「いや、私はじきに死ぬ。これまでの勢いを鑑みれば二分後には致命的な箇所が灰となり、私は死ぬだろう。それは避けられん。既に銀の毒は全身に回っているからな」

 

 地上に出て、ある程度は己の地位を盤石にしたはずであった。

 だがそこでの暗闘は、決してナハテラにとっての得意分野ではなく。

 かつての同胞も、それまでの学友も、決して気のおける存在ではなくなっていた。

 その結果が蛇のひと噛みである。

 

「……そうだな。私は、お前たちに何かを継承するつもりはない。役割も、責任も。何に縛られる必要もない。この地上は、悪魔にとっての自由なのだ。この自由を、お前たちには楽しんで欲しい。それだけだ」

 

 ナハテラはそれで言葉を終えるつもりだったが、少女の一人がその手を握りしめた。

 

「……うむ。では、あえてお前たちに言葉を贈るとするならば。……レミリア。お前は姉として、妹を守ってやりなさい。お前の優しさで、必ず」

 

 ナハテラの手を握る、レミリアと呼ばれた少女は頷いた。

 

「そして……フランドール。お前は姉を頼ることを覚えなさい。自分のほうが優れていると思う気持ちもわかるが、お前の姉は、きっとフランドールが思っている以上に素晴らしい。いつかお前も、きっとそのことについて気付く時が来る。そう、私は予測を立てている」

 

 フランドールと呼ばれた少女は言葉を返さない。

 どころか、父の手を握るレミリアのように悲しさを感じてもいないかのように、無表情のままでいる。

 それは周囲の誰もが咎めない程度には、常のことであった。

 

「以上だが……ああ、フランドール。私の遺灰は研究に使いなさい」

「お父様っ!?」

「良いの!?」

 

 そこでようやく、フランドールは満面の笑みを浮かべた。

 

「ああ。私の遺灰ともなれば、私でも手にしたことがないほどのサンプルとなるだろう。何かに役立てると良い。だが足元は銀が混じっているので避けること」

「もちろん。……何に使おうかな」

「……ふ。お前の好きに使えばいいさ。ただし、レミリアと半分ずつに分けるように」

「お姉さまはどうせ使わないのに?」

「使い方が違うだけだ。私は二人のそれぞれの使い方を尊重する」

「……そう。もったいない」

 

 言い終えるかといったところで、レミリアのか細い手がフランドールの襟元を掴んだ。

 

「……何?」

「……フラン。お父様は……」

「いいんだよ、レミリア。ところで、そろそろ私は死ぬのだ。その瞬間を見て、記録してくれないか」

 

 二人はハッとしてナハテラの姿を見た。

 彼はもうじき、灰の波が心臓にまで達しようとしている。

 

「そしてどうか……頼む。私の死に様を……事細かに記録し、なにかに役立ててくれ。……頼んだぞ」

 

 そう言い終えた瞬間、ナハテラは全身が一気に灰と化した。

 心臓に触れた瞬間である。それまで蝋燭を燃やしていたように進んでいた燃焼が、一気に根本まで消し飛ばしたかのような。

 

「あ、ああ……お父様……!」

「やっぱり、私達は頭だけでなく、心臓も大切なのよ」

「フラン!」

「記録しておけって言われてたでしょ。お姉さま」

「……」

 

 ナハテラは知識を尊んでいた。

 魔族としての害を振りまく本能以上に、研究こそが第一という風変わりな人物だった。

 最期に言い残した一見ふざけたような要求も、本心から出た言葉であったに違いない。

 

 妹のフランドールは父のそんな性質を色濃く引き継いでいた。

 逆に姉のレミリアは、どちらかといえば普通の魔族的な性質を有している。

 

 二人の年の差はたったの五年でしかなかったが、その間に聳える隔たりは決して低いものではなかった。

 

「灰を取り分けよう、お姉さま」

「……好きにしなさい」

「いらないの?」

「あげるわ。そこには……もう、お父様はいないのだから」

「本当!? ありがとう!」

 

 先程まで生きていた父の遺灰を手に満面の笑みを浮かべる妹。

 レミリアはその笑みを見て……しかし表情を潜めることはせず、椅子に腰掛けた。

 

 父ナハテラが愛用していた大きな安楽椅子。

 自分にとっては大きすぎる、サイズの合わない座面。

 

「……役割も、責任も。継承する必要はない、か」

「ん、なに? お姉さま」

「いえ。ただ……」

「ただ?」

 

 窓の外には丸い月。

 

「引っ越しをしようかと思ってね」

「ああ。また今回くらいの襲撃者が来たら厄介だしね」

 

 それも当然ある。だが、それはそれとして。

 レミリアは父の面影の遺るこの屋敷に、いつまでも居るべきではないと思ったのであった。

 

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