東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 その山は決して高くはなく、ただ深い森に包まれていた。

 密集した樹木により昼間も陽の当たり難いそこは、夕時にもなればすぐさま闇に包まれる陰鬱な森となる。

 完全に暮れて夜になってしまえば、もはや人の踏み入ることのできる場所ではなかった。

 

 しかしそんな闇夜こそ、吸血鬼にとっては快適な庭だ。

 

 邪魔をする者も遮る者も無い闇の森の中を、二人の吸血鬼が縫うように駆け回る。

 

「見つけた」

 

 人の目に止まらないほどの速度で動きつつ痕跡を探し当てたレミリアは、進行方向を一箇所へと定める。

 生活圏が近づくにつれて痕跡の数は増え、明確な居場所が割り出されてゆく。

 

 狩人のように正確に動き続けるレミリアを、この時ばかりはフランドールも感心したように眺めていた。

 

「ここね。なるほど、特別隠れているわけでもないらしい」

「狭いじゃん。工房も大した事無さそう」

 

 二人がたどり着いた場所は、森の奥深くにある小さな山小屋。

 丸太を組んで作られただけの簡素なもので、周囲には結界らしいものも組まれていない。一見すると魔法使いが暮らしているようには見えない施設だった。

 

「さて、フラン。どうかしら。貴女の目から見て、このボロ小屋には何か感じる?」

「……ちょっと待っててよ」

 

 フランドールが小屋に一歩近づき、血煙で作ったコウモリをドアまで飛ばす。

 ドアノブに触れたコウモリはしばらく翼をはためかせた後、何事も無かったかのようにフランドールの手元へと戻ってきた。

 

「少なくとも外側には何もないね」

「そう。ならばお邪魔させてもらおう」

 

 コンコン、とレミリアがドアをノックする。

 

「お姉さま、蹴破るかと思ったよ」

「紳士淑女はそんなことしないのよ。覚えておきなさい」

「……どなたかな」

「お、居るようね」

 

 中から聞こえた声は嗄れた男のものだった。

 

「私の名はレミリア・スカーレット。もうひとりは妹のフランドール。この辺りにプリズムリバー伯爵家に連なる者がいると聞いてやってきたわ」

「……ふう。誰も我々を静かに暮らさせてはくれないわけか」

 

 ドアがひとりでに開き、室内が明らかになる。

 新築ゆえにまだ埃っぽくはないが、暗く物置を思わせる内装であった。

 

「入りなさい。客人を歓迎できるだけのものを備えているわけではないが」

 

 部屋の奥で静かに縫い物をしていた老人は、そう言ってため息をついていた。

 痩せた枯れ木を思わせる、酷く年老いた魔法使いであった。

 

 

 

 レミリアとフランドールは小屋の中に招かれ、席についた。

 席と言っても椅子がないので、その辺りに積み上がっている木箱に腰掛けている。

 

 レミリアは小屋の中で一番高く三段に積まれた箱の頂点に腰を下ろし、フランドールは適当な一段の箱に座っている。

 

「レミリア・スカーレットにフランドール・スカーレットか。この辺りでは有名な悪魔であると聞いたよ」

「あら、それは正確な事実ね」

「そちらが名乗ったのであれば、私の名も受け取ってもらわねばな。私はベイジ。お嬢さん方が察する通り、ただの魔法使いだよ」

「そう、ベイジというの。立派なお髭ね」

「魔法使いでも伸び続けるのさ。何十年も前に切るのをやめた」

 

 ベイジの風貌は、まさに典型的な老魔法使いであった。

 長い杖を手にして低い声で笑えば、それこそ魔法使いマーリンさながらの雰囲気を纏うであろう。

 

「この辺りは私達スカーレット家の縄張りよ。当主はこの私。領内で勝手な真似をしないのであれば。言い換えれば私達に従うのであれば、我々は悪いようにはしない」

「従属せよということかな」

「いいえ? 眷属は選ぶわ。管理も世話もしきれないもの。言葉通りの意味で受け取ってもらえればいいわ。今はまだ、ね」

「ふむ、なるほど。……レミリア・スカーレットといったかな。まだ年若い妖魔であると見た」

 

 ベイジが微笑むと、レミリアは気に障ったように目を細めた。

 

「気を悪くしたならすまない。だが、いや、わかる者にはわかるのでね。そう怒らないでくれ。私は君たちよりもほんのわずかに年老いているだけで、見ての通り力などないのだから」

 

 そう言って枝のような腕を持ち上げてみせるが、レミリアもフランドールも信じてはいない。

 この森の只中に居を構えて一定期間無事でいられるだけでも、この老人が只者でないことはわかろうというもの。

 

「私に残っているのはただ……逃げ出した理想郷(アヴァロン)より持ち出した知恵の欠片があるばかりなのだ。そして人は私に、その欠片をわけてくれと訪ねてくる」

 

 持ち上げた細い手は、部屋の奥の壁に掛けられた一枚の古びたバナーを指差していた。

 簡素なリンゴの刺繍が入ったバナー。かつては鮮やかに彩られていたであろうそれは、長い年月によって端が解れ、色は褪せている。

 

「そちらの……フランドール・スカーレット。きっと君の方は、私にそういったものを求めているのではないかな?」

「!」

「盗み出したリンゴの欠片を誇らしげに触れ回る趣味はないが、もしも魔法の知恵を求めているというのであれば私はその期待に答えてあげよう。欲する者に魔を啓蒙する。それこそが散逸したとはいえ、我々プリズムリバーに連なる者の義務なのだから」

 

 穏やかに微笑むベイジ。対するフランドールは、悪魔らしく口の端を歪めてみせた。

 

「プリズムリバーね。名前だけは有名だけれど、果たして本当に優秀な魔法使いなのかしら。年老いるだけなら誰でもできるわ」

「まさしく、その疑問はもっともだ。プリズムリバー伯爵家を騙る有象無象はあまりにも数多い」

「あなたもまたその有象無象なのではなくて?」

「うむ、検証は大切だ」

 

 満足そうに言って、ベイジは人差し指を顔の前に構える。

 

「“火よ満ちよ。熱よ滾れ。仇成す者を焼き払え”」

「……古典的な詠唱魔法」

 

 ベイジの指先に灯ったのは、小さな火球。

 赤く煌々と光る、魔法によって生まれた神秘の火。

 

「そして観察は、見る者の格が試される」

 

 一見すると凡庸な炎だ。何の変哲もない魔法によって生成された火球でしかない。

 レミリアにとっては驚異にもならない退屈な技であったが、フランドールはしばらく火球を眺め、唸っていた。

 

 やがて火球から目を離し、ぽつりとつぶやく。

 

「……魔力効率が高い。いえ、高すぎる」

「おお。まさかこれだけでわかるとは」

「周囲の魔力消耗に比べて、火球の持続時間が長すぎるからね。……この私でも作れない、とても高精度な術による炎だわ」

「……」

 

 そうなの? といつもの調子で聞きたいレミリアだったが、人前だったので堪えている。

 

「魔導書より培った技術に補助のための詠唱を加えた、我々プリズムリバーが継承する独自の魔法。“ロイヤルフレア”。かつてはこの煌めきを掲げるだけで、国の者は皆畏れたものだった……」

「でも、プリズムリバーは散り散りになった?」

「……時代だろう。人は私達魔法使いを必要としなくなったのだ。今や我々に守るべき城はなく、人の友人はいない……魔法使いという名の妖魔になったのだよ。我々は」

 

 アヴァロンを抜け出し、人の国に仕え、人に追われた魔法使いたち。

 ベイジはそんな魔法使いの一族、孤独な“プリズムリバー”の一人であった。

 

 


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