ベイジが人間を匿っている。
それがギリギリ縄張りの範囲外だとしても、領内にいるベイジが与しているとなれば見過ごすわけにはいかない。
人間は敵である。その敵に与するのであれば、それが妖魔であっても敵である。
例外はあるだろう。だがその例外を隠すようでは信用に足らない。
疑わしきものは罰するべきだ。厳格な為政者ならばそうするだろう。
しかしフランドールは支配者の片割れではあるが為政者ではない。何者かと自問すれば今ならば研究者であると返すだろう。
研究者としてのフランドールは、ベイジの利用価値を値踏みしてから判断することにした。
「こんばんは、ベイジ」
「やあ、フランドール嬢……!?」
その夜、フランドールはいつものようにベイジの小屋を訪ねてきた。
いつもと違うのは、その手に自慢の魔剣“レーヴァテイン”を握っていること。
「お邪魔するけど良いよね」
「……!」
赤黒い魔光を放つその異形の剣は、フランドールにとって剣であり杖である。
魔法使いが闘いに臨む際に万全の準備を整えるように、フランドールもまた万全の武器を持ち込んでやってきたのだ。
妖しく危険な魔力を放つ剣を見て、ベイジがいつもの老獪な様子をかなぐり捨てて引き下がる。
だが一目見てわかるのだろう。レーヴァテインに秘められたその禍々しい魔力は、今の無防備なベイジに対抗できるものではない。
もちろん今いる小屋には相応の防備魔法が張り巡らされている。だが、この魔剣を前にはそんなものは小細工でしかないことが直感的にわかる。
「何故……」
「こんなものを持ち出したかって? 心当たりはないの?」
「……」
「人間を匿ってるんでしょ。最初は私も信じられなかったけど」
レーヴァテインが頭上で振り回され、魔炎を迸らせながら部屋の中を引き裂く。
魔法によって頑強に固められた室内はそれさえ上回る破壊の炎によって破綻し、堅牢であったはずの屋根と外壁は常の木材らしく灰となって消し飛んでいった。
もはやベイジの身を守る事前魔法は無い。
「昨日の昼間に見たよ。お前が森の外で人間たちと会っているところを」
「ち……違うのだ! それは……!」
「妖魔の友人なら人間を飼ったりしなくない?」
「……伝えずにいたことは謝ろう……! すまなかった! だが、あの者らは……故郷を迫害された、力無い、哀れな者達なのだ!」
ベイジはあくまで抵抗する素振りは見せず、対話による説得を望んでいる。
「私は……私は人により迫害され、ここへと流れ着いた。何者にも求められることなく……その孤独は、淋しさは、耐え難いものなのだ。同じ痛みを抱えている者を、私は……放っておけなかった……」
フランドールの赤い目は、ベイジが未だこれといった属性魔法を発動させる兆候を示していないことを観察している。
「……わずかな森の恵みを分け与え、生きながらえるだけの助力をしているだけに過ぎない。彼らは皆、年老いた者か、片端者か、酷い病を患っている者ばかりだ……フランドール嬢も見たならばわかるだろう……!?」
「ふーん……」
フランドールも一応、確認はしている。
眠い昼間に太陽光を遮りながら強引に外出したので、流民の正確な素性までは知らなかったが。
この様子だと、その言葉に偽りも無さそうである。
しかし、共感はできない。
「でもそんな連中、さっさと殺せば良いじゃない」
「……やめてくれ。頼む」
「意味がわからない。弱くて不完全な、人間の中でも出来損ないの連中なんでしょ。生きてて意味があるの? 哀れって何?」
「……」
その時、ベイジはフランドールの暴虐な振る舞いに恐怖しつつも、同時に悲しんでいた。
フランドールにはその悲しみの理由がわからない。どうしてその感情が自分に向けられているのかも。
「人は……いや、人だけでなく。生きる者には、愛が必要なのだ」
「?」
「こんな愚かな私でさえ、かつては愛を受けてきた。その愛を愛と思わず、仇にして返してしまったが……取り返しのつかないことをしてしまったが……それでも、かつて与えられた愛の記憶は、この老耄を辛うじて、生かしているのだ……」
壁から崩れ落ちたリンゴの刺繍が入ったタペストリーが、夜風に揺れている。
「……決して彼らを長くは居着かせない。約束する。彼らが再び居場所を求めて歩き出すまでの間だけ……この僅かばかりの施しを、許してはもらえないか」
哀れ。愛。施し。
そのどれもが、フランドールにとって理解しがたいものばかりだ。
なんとなくはわかる。言葉の意味や用法も知っている。自分の感覚と照らし合わせることができないだけで。
だから理解しようと思ってもできないでいる。
やろうと思えば簡単だ。
手にしたレーヴァテインで眼の前の老人を引き裂けばそれでいい。
既に属性魔法の基礎は学んだし、用済みとして切り捨てても問題ない相手だ。
外部の人間と関わっている以上、無駄なリスクは付きまとう。そのために殺すのは十分アリな判断だろう。
だが、自分の知らない概念を。
哀れだとか、愛だとか。そういったものについて無知だと認めたまま相手を殺すのは、理性的な決着とは言い難い。
少なくともフランドールにとっては、清々しい片付け方ではなかった。
「わかった。今は殺さないでおくよ」
「! ……あ、ありがとう。すまない……」
「でも外の人間たちに深入りしないで。連中が私達の縄張りへ入るようなら、容赦なく殺すから。お前もね」
「もちろんだ。……貴女方に迷惑をかけるつもりはない」
「……」
その時、数日前まで自分とよく似ていると感じていたはずの老魔法使いが、フランドールにとってひどく遠い存在であるように思えた。
狼狽していた姿も。弱い人間たちに沙汰が及ばないことに安堵し、気を緩める今のような様も。自分とはまるで違う存在だ。
考えてみれば当然なのだろう。
ベイジは人間の魔法使いで、フランドールは妖魔の魔法使いなのだから。
「散らかしちゃってごめんね。じゃ、私は帰るから」
共同研究というものを、少しだけ楽しいと感じていた。
けどそれは誤りだったのかもしれない。
人間は不安定で、やはり愚かな存在だ。
“握手”のエンチャントは、自分一人でやるしかない。
「めんどくさ……」
呆然と立ち尽くすベイジを他所に、フランドールは己の塒を目指し夜空へ飛び去った。