東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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遺骸王の沈黙


 

 魔法使いマーリンは様々なものを人の世に遺した。

 

 西方の人間がより人間らしくなれたのはマーリンによる影響が大きい。

 体系化された魔法。秩序立った国。高度な文化。マーリンが発展に関わってきた分野を列挙していけばキリはない。

 

 その姿は白く長い髭を生やしたローブ姿の老人であると言われているが、そういったイメージは大概が独り歩きしたものである。

 昔は真の姿を知る者も多かったが、今は言い伝える人も少ない。

 

 マーリンの名は広く伝えられている。それこそ全ての人が知っていると言っても良い。

 だが、仮にこの時代に本人がマーリンを名乗ったところで、一体道行く者の何人が信じるだろう。

 

 魔法使いマーリン。またの名をメルラン。

 自虐的な薄ら笑いを浮かべた白髪の少女は、寂れた都市を今日も彷徨い歩いている。

 

 

 

「ああ、飲み疲れたぁ」

 

 ワインを飲み、眠り、起きたらまたワインを飲む。

 魔法使いに飲食は必要ない。それでも、アルコールやニコチンに依存する者は多い。そこから身を崩して死に至る者は同じくらい多い。

 精神に作用する嗜好品は全て、長命の者への毒となり得るのだ。

 

「ふらふらする……」

 

 少女が壁に背を預け、白い息を吐く。空には雪がちらつき、地にはそれが積もりかけていた。

 冬に備えて家に籠りがちな街の中、彼女は今日も酒を愉しんでいた。

 

 人には見えない姿となって市場を歩き、酒と少しのドライフルーツを拝借し、対価を置いて去る。それがメルランにとって最近の日常だった。

 小さい体は毒を溜めやすく、それ故に酒が回りやすい。更に魔法を使ってやれば、酔いは何日も体を巡る。

 当然、そのような酔いが体に良い影響を及ぼすはずもない。錬金術にも通じるメルランにも当然、人間以上に理解していた。

 

 それでも、解っていたとしても飲んでしまう。

 不思議なことに、破滅に近づく者にはそういった兆候が顕著に見られるものだ。

 

 メルランは緩やかな死を望んでいた。

 

「川はもう凍っちゃったね」

「また行ってきたのね、この子は。凍ってると思っていても、外側だけっていうこともあるんだから。危ないことはしないでちょうだい」

「はーい」

「ライラ、薪の量が不安だ。朝方暇なら、兄さんと一緒にマジューヌ通りに行ってきなさい。廃屋を崩すついでに、何か燃えるようなものをかっぱらってくるんだ」

「ええー? 嫌よ、あそこお化けが出るって話なんだもの」

 

 冷たい壁の向こう側では、暖かな家族の団欒が聞こえてくる。

 メルランは幼い少女の声を聞きながら口元を緩め、再び酒瓶に口をつける。

 

 この時代では珍しいガラス製のボトル。普段からそこに、なみなみとワインを注いでいるのだが。

 

「……あーらら」

 

 深酒をする日には枯れることも珍しくはない。

 ひっくり返してようやく垂れるワインを地面に呑ませ、メルランはつまらなそうにもう一度、白い息を吐いた。

 

 もう一度酒を入手してくるか。

 あるいは自分で作っても良いだろう。

 酒の醸造は魔法の研究に似ている。人間が作るよりも一層美味しいものが出来るだろう。難点は、どことなくその味を好きになれないことではあるが。

 メルランは曇り空を見上げ、暫し考え込んだ。

 

「あの通り、プリズムリバー伯爵がいたところでしょ? 私の友達はまだ呪いが残っているって話してたわ」

「馬鹿馬鹿しい。呪いなんてないよ、ライラ」

 

 プリズムリバー。その言葉に、メルランの動きが止まる。

 

「貴族を名乗ってはいたが、怪しい貿易に手を出していただけの商人じゃないか。屋敷を引き払ったのだって、商売が上手くいかなかったんだろう」

「そうかなぁ」

「僕も父さんと同意見だな。あの家族、普段から付き合い悪かったらしいからね。よっぽどケチで、悪いことしてたんだと思う」

 

 アヴァロンを出奔した者達の一部は、プリズムリバーを名乗って各地に散った。

 ある者はメルランより“虹色の書”を受け継ぎ、魔法の名家として。

 ある者は錬金術を広めるために。

 またある者は、ただただ孤独な自由を追い求めて。

 

 散っていったプリズムリバー達は多く、そこから枝のように分かれた者達ともなればもはやそれはメルランにもわからない。

 

 だが、きっとその名を受け継ぐ者は……ほぼ間違いなく、メルランにとってはこの世界で唯一“家族”と呼べる者達なのだ。

 

「あの家にはまだ誰かがいるんだって。いなくなった伯爵か、その幽霊か……ひゃぁ、怖い!」

「馬鹿を言ってるんじゃない。ほら、今日はもう寝なさい」

「お兄ちゃん、一緒に寝て!」

「嫌だよ、母さんと寝ればいいだろ」

 

 冷たい壁から背を離し、メルランは歩き始めた。

 目的地は話の中に出たマジューヌ通り。プリズムリバー伯爵邸だ。

 

「……今更尋ねたって、知ってる人は誰もいない」

 

 貿易商、と男の声は言っていた。

 となるとそれは魔法の分野から離れたタイプの“プリズムリバー”だろう。

 魔法から離れてしまえば、必然的にその生命の長さは人間と同じ尺度になる。

 メルランの顔を知るものはいないだろうし、最悪の場合“魔法”そのものすら知らない末裔かもしれない。

 

 自分がバカ正直に尋ねたところで、相手は歓迎することはないだろう。

 

「ふふ。顔を見てあげるだけよ。誰の子孫なのか……さて、何日かければ当てられるかしら。ふふふ……」

 

 だが、顔を見たくなった。それだけのこと。

 ダラダラと末裔の様子を見ながら、飲みきってしまった酒を作るのも良いだろう。

 

 そう、全ては暇つぶしなのだ。

 自分に言い聞かせながら、メルランは街の外れへと消えた。

 

 

 

 マジューヌ通りは閑散としていた。

 人の往来が無いせいか、道は街よりもずっと雪深い。

 近くには人の住む家も無いようで、構造物のほとんどは朽ちかけの廃墟であった。

 

 きっかけは区画整理だろうか。

 ともかく、人がこの地域で暮らすことをやめたのは間違いない。

 

「ああ、ここね……」

 

 目的の屋敷はすぐに見つかった。

 呪いがあるだとか、廃墟だとか言われていたので、どんな住処なのかと思っていたが、プリズムリバー伯爵邸は通りで最も立派な構えの屋敷のまま、これといって崩れた様子もなくそこに建っている。

 

 普通であれば、どんなに曰く付きの物件であろうとも、この綺麗な屋敷を人間が放っておく理由はない。

 

「ふふん、なるほどね。腐りかけても“プリズムリバー”か……」

 

 肩に積もった粉雪に探査の魔法を混ぜて吹き飛ばしてみれば、雪の煌めきは屋敷の周囲に弱い人払いの呪いがかけられていることを察知した。

 

「魔法的な防犯は機能してる。だけど……廃れかけということも間違いではない」

 

 屋敷の庭は手入れされておらず、荒れ果てている。

 メルランはゆるくかけられた結界面を魔法でこじ開けながら、敷地内へと踏み込んでいった。

 

「私みたいなお馬鹿さんでもいるのかしらね? ふふ、ふふふっ」

 


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