屋敷の扉が抵抗なく開く。
「へえ」
外観からはわからなかったけれど、内装は極めて独特だった。
海外趣味というか、異国趣味というか。
どこか未開の国の文化を思わせる、いわゆるエキゾチックな様式の家具や置物で満たされていたのだ。
プリズムリバー伯爵は貿易商だという。そう考えるとなるほど、これは不思議でもないか。
しかしそれはそれで新たな疑問も生まれるわね?
噂話では伯爵は破産したと聞いたけれど、ここにはまだ売り物になりそうな物品がいくらでも転がっている。
せめて屋敷を手放す際に、売り払おうとするものだけど……?
質の良い虎皮の絨毯。色とりどりの織物。
そんなものを踏みつけたり、横目にしながら、魔力を感じる方へと歩みを進めていく。
「……」
そんな時、不意に穏やかでない気配を感じ取った。
動く気配。誰もいないはずの屋敷に現れる動体。
それは、宙に浮かぶ水差しだった。
錫製の何の変哲もない水差し。それが宙に浮かび、私の横を素通りして廊下の奥へと漂っている。
なんとなく気になって、私は目に力をこめてその水差しを睨みつけた。
すると私の視界に新たな感覚の色がつき、燭台の側に人間大の霊的な何かが浮かんでいるのが見えた。
……どうやらあれば霊の仕業だったらしい。
「――別に気にしてないよぉ、そんなこと」
ふと、声が聞こえた。
少し離れた場所。廊下の奥。……幼い少女の声。
やはりそうだ。ここにはまだ、生きた人間が暮らしている。
「同じで良いってばぁ。いつも同じ方が落ち着くんだもん」
さて、誰だろう。
いえ、誰であろうと関係ないか。
私はこの屋敷を見て回ると決めたのだ。だったら、余すこと無く調べてみるのが当然だ。
だから見てやろう。あどけないその声の持ち主を。
和やかに会話する少女と、その家族の姿を。
「――私は、お姉ちゃんたちと一緒なら……」
声のする扉を開け放った時。
その先の景色を見て、私は言葉に窮した。
部屋の奥に置かれたベッド。そこにいる一人の少女。……たったそれだけの光景に。
「……え? 何……誰……?」
少女が目を見開き、わずかに声を震わせている。
……部屋には誰もいない。先程まで会話していた相手は?
いない。けれど、気配はある。
そう、この部屋の中に……ひとつだけ。目には見えないけれど、幽霊に近い魔力体が、天井近くを這い回っているのがわかる。
「誰か、いるの……? リリ姉……? ルナ姉……?」
そして気づいた。
ベッドの上の少女は私の方を見ているように見えるけれど……ただ向いているだけで、“見てはいない”。
彼女は私の姿を捉えているようで、未だにその実像を確信できていない。
目が見えていないのだ。この幼い子は。
「お……お姉ちゃん……私、怖い……」
「……!」
天井を這い回っていた霊魂の気配が、渦を巻くような動きをしながら降りてきた。
そのまま床の上に転がっていた鈍色の燭台を浮かせると、緩慢な動きでそれを持ち上げてみせた。
なるほど。何らかのゴーストか。
そしてそれは今辛うじて廊下に居る私の背後にも存在する。
……さっきすれ違ったやつが、大急ぎで戻ってきたというところか。
浮かせたその水差しで私の頭を殴ろうとでもいうのかしらね。
「誰、誰なの……」
推測だけど、この霊たちは彼女の想いに呼応して動いている。
ある意味で霊を操り、危険であろう私に抵抗を試みているのだ。
なるほど、幽霊屋敷。そう呼ばれるのも間違ってはいないわけね。
「……大丈夫よ、私は悪い人ではないわ?」
「!」
だから、私は声をあげた。
相手が私を知らないのであれば名乗れば良い。目が見えなくても声は聞こえる。
幸い、私の声もこの少女と変わらないくらいの年齢のものでしかない。
いらぬ警戒心を与えることもないでしょう。
「私は……私の名前は、メルラン。貴女の名前を教えてもらえるかしら?」
「……メル、ラン……?」
「そう。貴女はだあれ?」
背後に浮かぶ水差しの動きに戸惑う気配を感じつつ、返答を待つ。
少女は困ったような表情をして、しばらく沈黙した後、もごもごと口を開いた。
「……私、レイラ。……レイラ・プリズムリバー、です。え、っと……プリズムリバー伯爵家の、末っ子です……」
レイラ・プリズムリバー。そう、やはりこの子はプリズムリバーの末裔の。
そして……。
「部屋にいるのは、リリカ姉さま。外にいるのはルナサ姉さま……です……」
……他に紹介されたのは、霊体のみ。
つまり、彼女の他には生者はいない、ということかしら。
「あの、メルラン……さんは、誰ですか……? お父さまの、お知り合いですか……?」
「ああ、私は……」
「お父さまが、帰ってきたんですか……!?」
……。
素直に、簡潔に答えることはできる。できるけど、さて。
いえ、やはりここはまだ、濁しておこう。
「私はメルラン。メルラン……プリズムリバー。貴女の親戚で……そう。お姉さまにあたる人物よ」
だから私は、そう答えたのだと思う。
彼女の機嫌を取るために。取り入りやすい嘘をつくために。
そしてそれは、ある意味で。アヴァロンから派生したプリズムリバーという家の存在が、私の“家族”と呼べないこともないのは、嘘ではない。
「メルラン……メルランお姉さま……?」
「ふ、ふ……そう、メルラン。お姉さま。……そう呼んでも良いわよ? レイラ」
「お姉さま……!」
「……あ」
ベッドの上のレイラがよたよたと変な動きで立ち上がろうとして、絨毯の上に転げ落ちる。
すると周囲にいた霊体達が慌ただしく彼女を支え起こし、すぐさまベッドの上に持ち上げ、戻してしまった。
「……全く」
仕方なく、私は部屋に踏み入って、レイラのいるベッドのそばまで近づいた。
その間も近くの幽体はどこかピリピリしていたけれど、ここで手を出さない辺り大した存在ではない。
「……無理しないでいいのよ、レイラ。大丈夫、私は……ここにいるわ……?」
「……」
私がそう言って彼女の頭を撫ででやると、レイラは何も見えない瞳から一滴の涙を零し、静かに微笑んでみせたのだった。