東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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割れ物置き場

「お父さまは、お出かけ中なんです。ごめんなさい」

 

 ベッドの中のレイラは、そう言って小さく頭を下げた。

 褪せた亜麻色の髪。細い身体。まだまだ幼く、そしていつ死んでもおかしくないほど病弱そうに見える少女だった。

 

「メルラン……お姉さまは、どうしてこのお屋敷に?」

「……いいえ、特に用はないわ。ただ、久々に……親類の顔が見たくなって来たのよ。レイラ、あなたは元気? 体調は……あまり、元気なようには見えないけれど?」

「私は元気です。リリカお姉ちゃんも……あっ! り、リリカお姉さまも」

「ふふふっ、良いのよ。いつも呼んでいるように言っても」

「……リリカお姉ちゃんとルナサお姉ちゃんが、お世話してくれるから」

 

 彼女の言うリリカとルナサは、この部屋にいない。

 屋敷の中にもそれらしき少女はいなかった。

 

 が、何らかの意思を持って動く二体の幽霊はいる。

 燭台を運んだり、部屋の中を彷徨ったりしているそれらこそが、レイラの言うリリカとルナサなのだろう。

 

 見たところ、レイラは盲目のようだ。

 私を見る目も焦点は合ってない。話し相手への礼儀として顔を向けている以上の意味は、多分ない。

 それでもさすがに、気付くはずだ。この幽霊たちは声を出せるほど器用ではないし、実体もない。触れ合えも声も出せない。そんな存在を、盲目の少女が一体どうして姉だと認識できるのか?

 

 踏み込んでも良い。興味はある。

 

 でも、まあ、何にせよ、まともな理由でないのは確か。

 わざわざ感触の悪いものを踏み潰したくはないしね。

 

「そう。家族想いのいい子なのね?」

「……! えへへ……」

 

 時間はある。この子供を観察しながら、ゆっくりと事情を知っていけばいい。

 そう思って彼女の頭を撫でて、気が付いた。

 

 レイラ・プリズムリバー。

 そもそも、彼女がまともな人間ではないことに。

 

 

 

「さて、こんなものかしら。」

 

 屋敷の空室を借りて、蒸留器を設置した。

 元々は調理場だったらしいここが、今日から私の小さいラボとなる。

 

 どうやらこの屋敷にいる人間はレイラただ一人だけらしく、その上レイラ自身も部屋から出ないためにほぼ全ての部屋が使われていない状態だった。しばらく滞在してもいいかと聞いてみたら、むしろ歓迎されてしまったくらいだ。

 ぽっと出の誰とも知れない親戚を喜んで受け入れるだなんて、無防備というか。浅はかというか。

 

 ……彼女の無防備さに反するように、リリカとルナサは私を警戒し続けている。

 

 今も私の設置した蒸留器の周りを漂い、何か怪しいことをしてないのかとピリピリしているようだ。

 変に動かさなければ危険も無いのだから、余計なことをしないでもらいたいところ。

 

「勝手に触らないで。お屋敷が火事になっても知らないわよ?」

 

 そうして脅してやると、一応は聞き届けてもらえる。

 

 レイラが言うにはルナサが長女で、リリカが次女なのだそうだけど。

 私の目でもゴーストの分別はなかなか付くものではない。

 辛うじて、やや活発なのがリリカで、ゆったりと動いている方がルナサという見分け方は出来る。けれど、それも当人のその時の気分次第なところがあるので、常に当てはまるものではなかった。

 レイラは区別がつくけれど……ま、それはそれね。

 

 

 

 蒸留器に火をかけ、ついでに簡易ラボもゆるやかに稼働させ、数日が経過した。

 屋敷の中はまるで生活臭のない寂れっぷりだったけれど、唯一の住人であるレイラは私の思っていた以上に寂しがりであった。

 

「メルランお姉さま、今日も寝る前にお話を聞かせてくれますか?」

「……ええ、もちろん良いわよ? 貴女の姉たちも聞きたがっているようだしね?」

 

 彼女は一日に何度か、私との会話を求めてくる。

 こちらも客人なのでやぶさかではないけれど、呼びつけ方がどうにも特殊だ。

 

 私が実験中だろうとなんだろうと、レイラが話をしたいと考えた時はリリカとルナサが速やかにやってきて、私の身体を浮かせて強引に運び去ろうとするのだ。

 貴族だからといって、客人を犯罪者のように引っ立てて良いわけがない。全く、親はどんな教育をしてきたのかしら。

 

 プリズムリバー伯爵。既にこの屋敷から出ていって、今はここにいないというけれど。……二度と帰ってくることはないのでしょうね。

 

「さて、今日はなんのお話をしようかしら」

「うふっ」

 

 彼女のいるベッドに腰掛け、仕方なく話のネタを考える。

 幸い私は長生きだ。話すような出来事はいくらでもある。

 

「それじゃあ今日はお馬鹿な騎士のお話をしてあげましょう。大きな国を揺るがせた騎士の不倫の物語」

「ええっ。不倫って、悪いことですよね……?」

「そうそう。お馬鹿さんたちのお馬鹿な物語よ。……そう怖がらなくても、レイラを。あなたを怖がらせるような話にしないわ?」

 

 レイラは会話に飢えていた。というより、人との関わりに飢えていた。

 一日をベッドで過ごし、今までの話相手と言えば二体の幽霊のみなのだ。それはもうすぐに暇になったことだろう。

 

 だからか、私がするようなどんなくだらない話であっても、レイラはそれを楽しんで聞いてくれる。

 古い英雄譚には見えていない目をキラキラと輝かせ、マイルドに調味した失敗譚には控えめに笑い、……私のいた場所の、取り留めの無い話を聞いても、“素敵ですね”と返してくる。

 

 そして、大抵の話をした後にはこう零すのだ。

 

「私も、お外に行きたいな……」

 

 小さく呟くだけ。いつもそう。だけど彼女を取り巻く二体の幽霊は、その時決まって機敏な動きでレイラの身体を押さえつけようとする。

 まるで、レイラをこの屋敷から一歩も出すつもりが無いかのように。

 

「……うん、わかってるよ、お姉ちゃん。私がお外に出たら危ないもんね」

 

 幽霊たちは警戒している。レイラが外の世界に踏み出すことを。

 

「それに、お父さまの帰りも待たないといけないもんね……」

「……」

 

 つい、口に出そうになる。

 

 “いつから待っているの?”

 “お父さまはきっと帰ってこないわよ”

 

 私の中の悪の側面が軽挙な言葉を滑り出そうとする。私の中の清浄な部分はそれを抑え込もうとする。

 

「また明日もお話、聞かせてあげるから」

「! ありがとう! メルランお姉さま!」

 

 結局、私は当たり障りのない言葉だけを与え、現状維持を続けている。

 

 けど、これでいいのだ。

 私は現状を動かす必要はない。動かすべきでもない。沈黙すべき生き物なのだから。

 

「……じゃあ、私は部屋に戻らせてもらうわね?」

「はーい」

 

 レイラの部屋を出る。そして廊下で、思わず蹲る。

 

 痛むのは心の臓か、肺か。

 きっとどちらでもない。悲鳴を上げているのは、私の魂なのだから。

 

「……? ああ、貴女……ルナサ、だったかしら」

『……』

「怒らないのなら、合っているのでしょうね……? 私なんかのことを心配しているの? ふふ……幽霊のくせに、どうでもいいことを気にするのね……」

 

 埃っぽい壁に手を付きながら、亀のような足取りで歩く。

 

 ……こんな無様な“持病”が表出したのも、つい十数年内のことだ。

 心の中に矛盾の嫌悪を抱え込んだ私の魂は、いよいよ限界が近くなっていた。その影響が及んでいるのだろうと思う。

 

 ……ふふ。レイラのことを哀れに思っていたけれど、馬鹿みたいよね。きっと私の方が、あんな彼女よりも先に命を失ってしまうのだろうから。

 

 でも。

 

「……物好きだわ。本当に」

 

 そんな私に肩を貸すように、幽霊が体重の一部を肩代わりしてくれる。

 幽霊のルナサ。内心では、きっとレイラに近づく私を警戒しているのでしょうに。

 

 この屋敷の中にあるものは、とても優しい。

 こんな私に対しても、優しいままでいる。それはなんというか、とても、お馬鹿な話だった。

 

 


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