東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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魂の万華鏡

 

 ワインのために絞ったブドウの粕や茎などを、更に発酵させて作った蒸留酒。

 それは農民たちによる自分たちのための安価な酒だったけれど、時が流れ存在が知られるうちに、金持ちのための上質な酒とみなされるようになった。

 呼び名は地域によって変わる。グラッパだとか。マールだとか。私にとってはマールの方が馴染み深い。

 

 無色透明。飲めば口の中が痺れるように辛く、それでいてブドウの仄かな香りが楽しめる。

 そこに覚醒ロートスの蜜を数滴混ぜれば、魂さえ酩酊する美酒となる。

 

「……ふう」

 

 館の二階の窓から見える景色は、雪に覆われている。

 このプリズムリバー伯爵邸の周りには廃墟ばかりで、人の生活圏へは通りを歩き、廃墟を超えた向こう側へ行かなければならない。

 

 だから伯爵邸に立ち寄る人間はほとんど誰もいなかった。

 時々館に近づくのは廃墟で朽ちかけた廃材を薪代わりにしようと目論む人々程度のもの。ここまで来る者は稀だ。それに、仮に館に入ろうとしても、人払いの魔法によって無意識に遠ざけられてしまう。

 

 人は次第にこの伯爵邸を忘れてゆくだろう。

 記憶の片隅に追いやられ、子に伝えることなく掠れてゆき……やがて跡形もなく、全ての人から忘却されるのだ。

 

「ああ……お酒が美味しい」

 

 それでも。この私はまだここに居る限り。

 プリズムリバーを記憶しているこの愚かなメルランが生きている限りには、完全に忘れ去られることはない。

 

「ふふ、ふふふふ。“忘れ去られたものを引きずり込む術式”……ね。物好きな結界を考える人っているものね。どこの国にも、種族にも」

 

 今、この伯爵邸の周囲にはとある術式が発動を待機させた状態で漂っている。

 作りかけの結界のように無意味で、それ故に捉え所のない術式。こちらが干渉しようとしても意味のない、世の理に半分以上溶け混んだ魔法。

 

 解析をするつもりも予定もないけれど、これは……長い時間をかけて忘却されたものを柔らかく包み込み、人の思念が長く当たらなくなった際にようやく発動する代物なのだろうと思う。

 とはいえ、強制力もほとんど無いし振りほどこうと思えば難しくもない。

 被術者を支配する類のものでもない。

 

 ……用途は不明。目的も謎だ。

 ただ、物好きが開発した魔法であることは間違いないだろう。

 

 未知の魔法というとどうしてもライオネル・ブラックモアを連想してしまうけれど、きっとアレではないはずだ。

 あの魔法使いが似たような用途の結界を作り出すとすれば、もっと不可解になるだろうから。

 

 

 

 ――レイラ、やめ――

 

 

「……!」

 

 館の中で、声が聞こえた。……気がした。

 

 レイラではない、他の誰かの声。

 

「侵入者……?」

 

 この館に誰が侵入してきたというのか。いや、声の主はレイラの名前を呼んでいた。知り合い? いえ、それとも。

 とにかく急がなければ。レイラの身に何かあっては……退屈しのぎにならないから。

 

「く……なんで、蜜なんて入れたの、私は……っ」

 

 ああ、もう。身体が重い。急いでいるのに、思うように前に進まない。

 早く。早くレイラの元へ。

 

 

 ――もうやめて

 

 ――それ以上は

 

 

 声が聞こえるのは、レイラの部屋の中からだ。

 謎の少女の声。聞いてて解ってはいたけれど、悪意や害意はなく、むしろあの子を心配するような……。

 

「レイラ……!?」

 

 私は部屋の扉を開けて、思わず言葉が途切れてしまった。

 

 

『また貴女の身体が……壊れてしまう』

『もう私達のことは気にしないでいいから。お願い、やめて……』

 

 レイラはいつものベッドの上にいた。彼女は生きている。それはいつも通り。

 

 けれど、彼女は筒状の魔道具を覗き込みながら、うつろな表情で小刻みに震えている。

 顔色は悪く、彼女の身体から立ち上る魔力は乱れ、しかし立ち上る間に千切れ、崩壊しているようだった。

 

 幽霊のルナサとリリカはそれを止めようとしているけれど、レイラがそれを聞き入れる様子はない。

 

「原因は、その筒か」

「……!」

 

 私は無詠唱による魔法を使い、レイラの握る魔道具をベッドに叩き落としてやった。

 小さな粒がじゃらりと崩れるような音がして、筒が不安定に転がる。レイラの手を離れ、どうやら不気味な効果を失ったらしい。乱れた魔力もどうにか安定している。

 

「メルラン、お姉さま……?」

「何をしていたのかしら。いえ、まともなことでないのはわかっているけれど」

『メルラン、危険なことはしないで』

『お願い……レイラを傷つけないで……』

「……あなた達二人の声が何故聞こえるようになっているのかは、まだ聞かないけれど」

 

 私はベッドの上の筒を取り上げ、レイラを睨んだ。

 レイラに視力はない。だから私の表情なんてわからないだろうけど、魔力かなにかで伝わるものはあったらしい。ばつが悪そうに、静かに顔を伏せている。

 

「これは、この魔道具は。明らかにレイラ、貴女の魂を傷つけていたわ。……別に、お説教をするつもりはないけれど。自殺でもするつもりだったのかしら?」

「……」

 

 レイラは首を横に振った。

 

「……それは……昔、お父さまからいただいた、異国の魔道具なの。覗き込めば、景色が宝石みたいにキラキラと煌めいて見えるの……」

「これが? 異国の魔道具……へえ……?」

 

 確かに異国風のレリーフが刻まれてはいる。詳しくないけれど、もっと東の方の意匠だろう。

 芸術性も高い。見た目だけなら価値ある代物なのは間違いない。

 

 でも、これはそんな生易しいものではない。

 これはさっき、筒の中を覗き込んでいたレイラの魂を少しずつ喰らい、砕き、引きちぎっていたのだから。

 その破片がきらきらと光を放ちながら二体の幽霊に少しずつ吸い込まれていったのを、私は確かに観測している。

 

「……確かに魂をここまで弄れば、目の見えない貴女にも何らかのイメージが見えるのかもしれないけれど。わかってないわけでもないでしょう。この筒を覗けば貴女の魂は引き裂かれ、衰弱していく。弱く、薄くなっていくの。……人間から離れ、幽霊に近くなってしまうのよ。わかっているのでしょう、レイラ・プリズムリバー」

「……!」

『もうやめて! お願い……!』

 

 私はその後も一つか二つ、何かを言いたかったんだけど、リリカらしい幽霊の声によって止められてしまった。

 

『……レイラ、このお客さん……メルランの言っていたことは、正しいよ。私達も、貴女が危ないことをするの放ってはおけないんだ』

「……」

『しばらく、反省しなさい。……私とリリカは、メルランと少し話してくる。しばらく身体を休めるんだ。いいね?』

「……はい」

 

 幽霊は未だ姿をはっきりと見せていない。

 けれど彼女らの声は確かに、私にはっきりと聞こえるようになっている。

 

 ……ぁあ、ぁあ。全く、もう。話は聞くけど、だいたいわかる。

 

 嫌になるわ。こういうのは。

 

 


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