東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 天界最上層部、メタトロンの居城たる白亜の大神殿で、最高位天使達が一同に会していた。

 

 四年に一度の評議会までは、あと一年ある。ではなぜ最高位天使たちが集まっているのかといえば、今日は臨時の議会なのだ。

 平たく言えば、私の犯した罪を審問し、裁くための集まりである。

 

「大天使サリエルの堕天を決定する」

 

 そして集まりは、中央に座すメタトロンの第一声によって、早くも意義を失った。

 左右の六席にはまだ一言も発していない大天使たちがいたが、彼らはメタトロンの言葉を遮らないよう、瞑目し沈黙を守っている。

 それは、天使にとって最大級の罰である堕天を宣告された私も同様であり、一言も異論を挟む余地はない。

 神の言葉は、それだけで絶対であるのだから。

 

「“新月の書”の神秘は、守護すべきサリエル自らの手によって破られた。サリエルの故意、不意に関わらず、知識を下々の女司祭に伝えた罪は重い」

 

 何より、その通りだ。

 私が口を挟めようはずもない。私は、それだけの罪を犯したのだから。

 

 月の秘密の漏洩に至った経緯はどうあれ、そのきっかけとして、ヤゴコロに心を許しかけていたことは事実なのだ。

 月の秘密を守るべき大天使である私が、下々の領域に本を持ち込むこと自体、気が緩んでいると糾弾されても仕方がない。

 

 堕天は、あまりに当然の結論であった。

 

「異論はあるか、サリエル」

 

 ひと通りの言葉を終えて、メタトロンは私に訊ねた。

 36対72枚の純白の翼によって全身は覆われ、その表情は読み取れない。

 だが私には、この方が私を注視していることがわかった。

 

 天使長メタトロン。神の代行者であり、または神の意志そのもの。

 私の愚かによって、慧敏なるメタトロンの計画の一端を挫いてしまったことは、これから堕天したとしても、とても悔みきれるものではないだろう。

 

 だが、こうして罪を問われている今はまだ、私も一人の大天使である。

 ならば、最後の最後まで、悔やまぬよう、役目を果たさなければ。

 

「ひとつ、最後に報告しなければならないことが」

 

 私は天界の監視者。月の神秘を司る者。

 

「魔導書の表紙に記載された文字について、判明したことがあります」

 

 せめて最後に、月で出会ったあの者の存在について、少しでも報告しなくては……。

 

「報告は不要だ、サリエル」

「……な」

 

 しかし、メタトロンは聞き入れてくださらなかった。

 

「堕天は決定した。もはやお前には、何の義務も役割もない。堕天に関する異論がなければ、その他の一切は不要である」

「そんな……しかし!」

 

 それは、確かに……そうではあるがっ。

 だが、これは別問題。これは、天界の大事に関わることだ。

 

 たった今堕天が決定したからといって、伝えないわけには……!

 

「堕天に際し、背に宿る帆翼の加護が解かれる。これにより、お前の翼は二度と風を掴むことはない」

「メタトロン! どうか……!」

「穢れの地に堕ちるがいい」

「お願いします、どうかッ……」

 

 叫ぶ間に、私の身体は光に包まれた。

 ここではないどこかへ送り出すための、神秘の光。旅路の陽光。

 

 全身を暖かく包み込む優しい力は、言葉を告げる権利さえも剥奪し、速やかに天界から私を連れ去っていった。

 

 

 

「そん、な」

 

 光が収まれば、そこは宵闇の大空。

 私は天より落とされて、風を掻くことのできぬ翼を備えたまま、凄まじい速さで地面へと向かっていた。

 

「神よ……私は……」

 

 無防備なまま地面に衝突すれば、私は死ぬだろう。

 だが今は、そんなことさえどうでも良かった。

 

 これが最後と、メタトロンに伝えようとした言葉を、しかしあのお方は聞き入れてはくれなかった。

 私にとってそれは、あと少しのうちに迫る死よりも惨い現実だ。

 

 堕天した天使は、天界の住民ではない。穢れた地上の者と同じである。

 ……そのような者とは、一切口を聞きたくないのだと。耳を貸す価値など無いのだと。

 

 そう、言われたような気が、してしまったのだ。

 

 

 

 私は目を閉じ、重力に任せた。

 月よりも遥かに強大な重力は、地面に直撃した私の頭部を粉々に砕いてみせるだろう。

 醜く潰れた私の遺骸は、地上の穢れ共によって漁られ、食われ、そして彼らの一部となって、最後には魔界へと落ちるのだ。

 

 神は、私にそれを望んでおられる。

 堕ちた私に、そのような終わりを望んでおられる。

 

 ふむ、私の言葉が神にとって何の価値も齎さないのであれば、それも良いだろう。

 このまま神の思し召しのままに、頭を砕かれてみるのも悪くはない。

 

 それが、私が叶えられる唯一の、神の望みとあらば……。

 

 

 

 全てを受け入れようとしたその時、私の手に暖かなものが触れた。

 何事かと瞼を開け、自らの手を見た。そこには……。

 

「……な、これは……生命の杖!?」

 

 それは、私がかつて神より授かり、評議会の前に“新月の書”と共に剥奪されたはずの、生命の杖そのものであった。

 

 神聖なる樹木を模して作られたそれは、使用者に強力な魔の力を与える。

 しかしこれは神の代行者であるメタトロンが認めた者にしか扱えず、メタトロンが不適格だと判断する者が触れれば、逆に使用者を聖なる炎によって燃やし尽くしてしまう。

 

 本来、この杖は私と共に堕ちているべきではない。

 そして、私がこうして、片手のうちに触れていて良いものでもない。

 

 私は、メタトロンに見放されたのだ。だから私は……。

 いや……。

 

「……私は、まだ何か……神に求められているのか?」

 

 共に堕ちる杖。力は失っても、形までは失っていない六枚の翼。

 そして、健在な魔力。健在な命。

 

「ああ、メタトロン、私はまだ……」

 

 私が見失いかけた己の役割を思い出した時、手にした生命の杖の先で、赤い炎が一瞬だけ瞬いた。

 

 見間違えるはずもない。それは、メタトロンが生み出す聖なる炎だった。

 炎は私を焼くことなく、一瞬だけ瞬いて、すぐに消えた。まるで、私にその存在を伝えたかったかのように。

 信じろと、言っているかのように。

 

「……承知しました、神よ。私は天を離れ、地に墜ちるとも……それでもただ天のため、この力を使いましょう」

 

 私は神に見放された。だが、命と全ての力までは奪われなかった。

 

 ならば、贖罪するのみだ。

 私の罪は永遠に贖え無くとも、神がそれを望んでおられるなら……。

 

 

 

 そうして、私は堕天した。

 天界から追放され、強大な穢れがひしめく地上に落とされた。

 

 だが力を残された以上、私は戦わなければならない。

 力を使い、戦うこと。そして、生きること。神が最期に与えたこの杖こそが、その証なのだから。

 

 

 

 果ての見えない、危険ばかりの旅が始まった。

 

 


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