東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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『夜が来た』

『夜が来たぞ』

 

 弾んだ言葉とともに、大きな穢れが歩いてゆく。

 声は大きく、足音も凄まじい。全長は八メートル近くはあるだろう。

 

 二本の腕に、二本の脚。我々と同じ、人型の穢れだ。

 昔は不定形で蠢動するしかなかった穢れも、時の流れと共に姿を変え、進化し続けた。

 

 地上の生物を模倣し、経験と共に動きを洗練させる。

 私のような天界の者もまた、地上の存在からある程度の形を模倣しているが、地上の穢れもそうした智慧をつけ始めたということだ。

 

「見つかれば厄介だな」

 

 数は、巨人が三人。決して負けることはないだろうが、相手にするには難しいサイズと数だ。

 できればそのまま過ぎ去るのを待ち、移動して難を逃れたい所だが……。

 

 

 

『何かいる』

『食い物だ』

『近くにいるぞ』

 

 巨人たちの声が色めき立つ。

 

 ……こういったことも珍しくはない。

 穢れは巨大に、強くなるたびに、周囲の気配を敏感に感じ取るようになる。隠れていた私の存在を悟っても、何らおかしくはない。

 戦闘は少々面倒だが、こればかりは運である。

 

「やるか」

 

 “生命の杖”を握りこみ、音を出さずに立ち上がる。

 不本意だが、今日もまた長い夜になりそうだ。

 

『敵だ!』

『いたぞ! くるぞ!』

 

 巨人が叫んだ。

 しかし、どうにも奴らの様子がおかしい。

 叫ぶ割にはこちらを向いていないようで、声は明後日の方へ投げられていた。

 

『“空の悪魔”だ!』

 

 一人が恐怖混じりに叫ぶ。

 

『殺される!』

 

 一歩遅れて私の中にも恐怖が湧き出てきた。

 

 “空の悪魔”。それは、ここ一帯で噂されている、非常な強さを持つ者の通り名である。

 あらゆる穢れがその者の影を噂しており、恐怖の対象となっている。

 

 なんでも、そいつは自由自在に空を飛び、どのような強い穢れでも対抗できないほどの力でもって、瞬く間に目につく者を皆殺しにしてしまうのだとか。

 私は未だ、その“空の悪魔”を目にした事がない。

 

 これは、お目にかかる良い機会だろうか。

 夜闇の中で未知なる敵に恐怖を感じつつも、私の中ではそう考える余裕も存在していた。

 

『ヒィイイイ!?』

 

 巨人たちが青い炎に包まれ、おぞましい叫び声を上げるその時までは。

 

「むっ」

 

 私のすぐ近くで、巨人が倒れた。

 地響きが草木を揺らし、巨人を取り巻く青い炎が辺りに散らばる。

 

「なんという火力か……!」

 

 夜の闇は突如広がった炎によって暴かれ、青白く照らされていた。

 火を扱う穢れは居ないわけではないが、しかしここまで洗練されてはいない。

 

「これはまずいな」

 

 一瞬のうちにここまで莫大な量の火炎を生み出し、穢れを一撃で焼き払うなど、並大抵の個体ではない。

 “空の悪魔”。未だどこにいるかわからない以上、ここも危険だ。

 私は念を押して、“月の盾”によって自らの周囲に保護結界を構築する。

 

「……“月の眼差し”」

 

 同時に、月の魔術と私の眼術を組み合わせた秘術、“月の眼差し”を発動。

 これは魔力の通った月明かりの下に存在する者を感知し、把握する、地上監視の魔法である。

 “新月の書”にもない、私が独自に編み出した魔法。

 効果範囲は広く、この術によって捉えきれないものはない。

 

 発動と共に私の認識範囲が大幅に拡大し、森を俯瞰する景色が脳裏に写り込んだ。

 

 

 

 暗闇の中に佇む二人の巨人が、腕を振り回して暴れている。彼らは先ほどから叫び声をあげている、巨大な穢れだろう。

 そして、その付近にひとつの大きな影がおり、鳥のような動きで空中を飛び回っているのが見える。

 あの影こそが、“空の悪魔”と呼ばれる者なのだろう。

 

 大きさは、五メートル前後といったところか。動きの速さと暗闇故に明確な姿までは掴みきれないが、二枚の翼を持ち、長い首を持っていることはわかった。

 

「なんだ、あれは……」

 

 それは、私が今までに見たどのような穢れとも似ていない、奇妙な姿だった。

 

 穢れは姿を模倣する。身の回りのものや、生物に擬態し、その生態を真似ることによって、より高い生存率を確保しようとするのだ。

 

 故に穢れは、特定の生物の姿に酷似する他ない。

 だが、私が見るその影は、地上に生きるどのような生物とも、当然、天界に住まう者たちとも似ていなかった。

 

「あれは一体……!?」

 

 私が注意深く“空の悪魔”を監視していると、そいつは顎を開き、顔の正面に青白い輝きを生み出した。

 一瞬“炎か”とも思ったが、私の眼はしっかりとそれを捉えていた。

 

 あれは、魔法陣。

 特定の魔術を発動する際に浮かび上がる、魔術を構築するための起動式だ。

 

「そんな、まさか。魔術だと」

 

 直後、“空の悪魔”の口から青い炎が噴出し、背後を取られた穢れ巨人が炙られた。

 魔力的な炎は二体の巨人の全身を覆い尽くし、勢いを弱めること無く焼いてゆく。

 

 間違いない。それは通常の炎とは違う。

 明らかに魔力によって生み出された、現実のものではない炎だった。

 

「魔術を扱う穢れが、地上にいるなど……!」

 

 守護結界を維持したまま、私は急いで浮上を始めた。

 強大な敵とは戦わずにやり過ごすことを善しとしてきた私だが、今の戦闘を見て事情が変わったのだ。

 

 魔術は、天界上層部が握るべき神秘である。その神秘が地上で猛威を振るっているなど、あってはならない。

 地上で魔術が幅を効かせるのを黙認していては、いつ天界にその牙が及ぶともわからないのだから。

 

 故に、対処しなくてはならない。

 どのような魔術を扱う穢れなのかは知らないが、見つけてしまった以上、天界のために排除しなくては!

 

「“空の悪魔”よ、止まれ!」

 

 私は樹高の高い森を突き抜け、“空の悪魔”が旋回する夜空へと出た。

 掲げて声を上げると、向こうも気付いたのだろう、動きを止めて、私に向き直ったようだった。

 

 正面に見据え、“空の悪魔”の詳しい全貌が明らかとなる。

 

 五メートル近い大柄な体躯。

 表皮は鋭い赤い鱗で覆われ、四肢には屈強な筋肉が通い、首は長く、その先の頭部はトカゲのようだったが、凶悪そうな面持ちはまるでそれらとは異なっている。

 なにより、そいつの背には膜を張ったような、大きな翼が生えていた。

 超重量の身体の高度を保つためにはばたく度に風が巻き起こり、休むこと無く動き続けるそれは、地上のどのような生物にも存在しない、奇妙な翼であった。

 

 “空の悪魔”は先程までの戦闘が嘘であるかのように静まり、私のことをじっと見つめていた。

 私もまた、目の前にいる奇妙な穢れを見て、動きを止めている。

 

 初めて戦う相手だ。観察しなくてはならなかった。それもある。

 だが同じくらい、気圧されてもいたのだろう。全く未知で、しかも魔術を扱う相手と向き合うことは、それだけで私の中にある勇気を牽制していたのだ。

 

 どう動くべきか。どう戦うべきか。

 莫大な炎を吐き出してくるだけならば、勝機は十分にある。

 しかし相手は魔術を扱った。向こうの手札がそれだけだと判断するのは危険であろう。

 “新月の書”に記された魔術だけでも、ありとあらゆる芸当が可能なのだ。向こうの攻撃方法は自由自在なものであると仮定しなくては、一瞬のうちにこちらがやられかねない。

 

 しばらく、沈黙が訪れた。

 空中で睨み合い、互いに動くことのない戦闘前の沈黙である。

 

 杖を握る手に力が籠もり、発動した“月の眼差し”の効力が薄れてきた。

 “月の眼差し”が消えて新たな眼術を発動できるようになったその時、闘いは始まる。

 

 眼術によって先手を打ち、一気に畳み掛けるのだ。

 

 

 

「あっ、いたいた。おーい」

 

 いざ、勝負。

 そんな時だった。

 

 あの、呑気で間抜けな、低い声が聞こえてきたのは。

 

「ようやく見つかった。探したぞサリエル」

「……」

 

 “空の悪魔”の後ろ側から、何でもないようにその真横を通って私に近づいてきたのは、奇妙で謎の多い魔界人……ライオネルであった。

 

「あれ? サリエル、なんか変じゃない?」

 

 お前よりは正常だと思っているが。

 

 


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