東京とは日本一の大都会である――地方と比べてみると、それは一目瞭然だ。
道行く人混みの数が違う。並び立つ摩天楼の高さが違う。耳に響くざわめきの量が違う。
田舎とはあらゆる規模が違うのだ。
俺も生まれは一応新宿なのだが…長らく地方で過ごしてみると、この東京はまるで別世界に訪れたかのように感じる。
「う、うぅぅぅぅ………」
――さて、現実逃避はそろそろ終わりにしよう。
「み……水ください……できればしじみのお味噌汁も……」
コンビニからの帰路、路地裏から這い出してきた酔っ払いの女性。
夜に活動する人間の数の差か、東京に戻ってくるまでは遭遇したことなどなかった。ある意味では都会の風物詩と言えるのかもしれないが……東京に戻って早々に、そんな風物詩に遭遇しとうはなかったわ。
(それにしても……)
花柄のワンピースにスカジャンを羽織り、履物は下駄という謎のファッション。それはともかくとして。アルコールで赤くなった顔にはどうにも見覚えを感じるが……いや、まさか。
「……玲斗くん?」
アルコールで焦点の合っていなかった瞳がこちらの顔を捉えると、女性が虚を突かれたように呟く。
「……やっば~、幻覚見えるとか飲み過ぎたかな~?ずっと昔に東北に引っ越したはずだし…」
「いや……本物ですよ、
「……ふぇ?」
バンドマンになると家を飛び出してから滅多に帰ってこずに伯父さんたちを心配させているとは聞いていたが、こんなところで偶然出会うとは。
「東北から帰って来たんです。……貴方の従姉弟の廣井玲斗ですよ、きくり姉さん」
きょとんとした顔で固まったきくり姉さんは、まずは飲んでから考えようと思ったのかどこからか取り出したパック酒を流し込み始めるが、さっきまで水を求めていた酔っ払いの身体が酒を受け付けるはずもなく。
「うぉぇぇぇぇぇぇ……」
アル中美女から汚いマーライオンへクラスチェンジを遂げたきくり姉さんの背中をさする。
「……とりあえず俺のマンションはすぐそこですから、休んでいってください」
「……はい、水と胃薬です。しじみの味噌汁もすぐに用意しますから」
実家とは関わりたがらないと聞いているきくり姉さん。
しかし俺がきくり姉さんの実家と没交渉だからか、それとも単純に背に腹は代えられなったのかはわからないがマンションまでついてきたので、和室に寝かせて胃薬と水を入れたコップを目の前に置く。
「んっんっんっ……ぷはぁ、助かった~~」
続けて俺の食事になるはずだったインスタントのしじみ味噌汁にお湯を注いで戻ってくると、胃薬と共に水を一気飲みしたきくり姉さんが復活していた。流石にそんなに早く胃薬は効かないとは思うのだけど。
「あっ、しじみの味噌汁~!こんなに丁寧に介抱してもらえるのなんて滅多にないよ~!」
「あはは……ここまで来る途中でお粥も欲しいって言ってましたから、今チンしてるパックご飯で作りますからね」
「玲斗くん、愛してるー!!」
「はは……」
俺が知っているのは大学一年生までのきくり姉さんだけど…あの頃の真面目で引っ込み思案な性格から変わり過ぎではないだろうか。
いや、ロックで生きているのならこっちの性格の方が相応しいのだろうけど。
「…ところで、何で東京に戻ってきたのー?叔父さんが東京に再転勤になったとか?」
チンしたご飯を水と一緒に鍋に入れて煮込んでいると、思い出したようにきくり姉さんが問いかけてきた。
「いえ……今度はイギリスに転勤になりまして。流石にヨーロッパまでついていくのは無理ってことで、俺だけ東京に帰って来たんですよ。英語嫌いですし」
「ええ~!?玲斗くん、学年一の優等生だったじゃん!」
「昔はそうだったんですが、英語はどうしてもね……今、英語の偏差値40前後しかないですし」
「はっは、そっかそっかー。でも大丈夫。このきくりお姉さんが、アンダーグラウンドな生き方を教えてあげよう!」
「あ、でもトータルの偏差値は60超えてますからその辺は大丈夫です」
「……ちくしょー、ヤケ酒だ~!!」
「こらこら、お粥出来ましたよ」
またパック酒を取り出そうとするきくり姉さんを制して、塩で味を整えたお粥を置く。
いただきまーす!と姉さんが早速幸せそうにがっつく姿を見ていると、世話を焼かされているというのに悪い気はしない。…甘え慣れている感じがする、と言うべきだろうか。
「…ところで、体調の方はどうです?まだしばらく休まないと、帰れなさそうですか?」
大分回復したように見えるので聞いてみると、お粥を掻き込んでいたきくり姉さんの手が止まる。
「……玲斗くん、お客さん用の布団があったりしない?」
「…まさか泊まっていく気ですか!?」
「だってさ~、私の家って築52年風呂なし事故物件アパートだよ!?それがこんな立派できれいなマンションに通されたら、帰りたくなくなるに決まってんじゃん!」
「知りませんよ!?」
酔いつぶれるほど酒代に突っ込む前に、その金を家賃につぎ込んで欲しい。
そんなしょうもない口論を交わしていると、ひび割れたきくり姉さんのスマホが着信音を奏で始めた。
「…あ、そういえば志麻に迎えに来てって連絡してたんだった」
きくり姉さんがスマホを取って通話を始める。どうやら知り合いが迎えに来てくれるようで一安心……して、いいのだろうか?
「あ、志麻~?ごめんごめん、忘れてた。今日は知り合いの子に泊めてもらうことに「泊めませんからね!」
きくり姉さんの言葉に被せるように叫ぶ。
「え?あ、いやいや、軽い冗談だって。……うん、うん」
絶対に冗談じゃなかっただろうという視線を向けていると、きくり姉さんがこちらを向く。
「玲斗くん、住所とマンションの名前教えてもらっていい?」
「住所ですか?ええっと……」
転居したばかりで住所が曖昧なので、書類にある住所を読み上げて伝える。
「……ってとこだって~。うん、うん……わかった、じゃあ入り口で待ってるね~」
話が纏まったのか、きくり姉さんが通話を切る
「志麻が車で近くまで来てるみたいだから、ちょっと出てくるね。あ、志麻ってのはウチのバンドのドラム」
「じゃあ、俺も見送りますよ。ご挨拶しておきたいですし」
「廣井!お前という奴はまた人に迷惑をかけて……!」
マンションの前で待っていると、件の志麻さんらしき女性がやってくる。男の目からしても羨ましいほどに目鼻立ちが整っていて、女性からモテそうだ。
「大丈夫大丈夫!他人じゃなくて従姉弟だから~!」
いや、全然大丈夫ではないが。
「折角数年ぶりの再会なんだから今日はオーrd……」
懲りずに俺に絡もうとしてきたきくり姉さんの首筋に、流れるような志麻さんの手刀が叩き込まれた。志麻さんはそのままきくり姉さんを後部座席に放り込む。
「ふぅ……廣井が迷惑をかけてすまない。私はSICK HACKのドラム担当、岩下志麻だ」
「えっと……廣井きくりの従姉弟の廣井玲斗と申します。従姉弟がいつもお世話になっております」
会釈しながら自己紹介すると、岩下さんは何か懐かしいものを見るような目をした後、遠い目をする。
「……何か?」
「いや……廣井も昔は、君のように真面目で礼儀正しかったなと思ってね。どうしてこんなことになってしまったのやら…」
「…きくり姉さんはいつからこんなことに?」
「初ライブの緊張を紛らわす為に酒に手を出してからずっと、だな。度々断酒させようとはしているんだが……上手くいっても休肝日程度に留まるばかりで成功した試しはないよ」
「…従姉弟がご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
この分ではいつも岩下さんに迷惑をかけているようなので、きくり姉さんに変わって頭を下げる他ない。
「いや、玲斗君が悪いわけじゃないさ。君だって今日、再会して早々に廣井に絡まれたんだろう?」
「ええ、まあ……」
行き倒れていたところを保護して、水に胃薬、しじみの味噌汁にお粥を振舞ったこと、遠回しに帰るよう促したら泊まると言い出したことなどを説明する。
「本当にこいつは……迷惑なら強く断るべきだぞ。甘い顔を見せると何処までもたかってくるからな」
「ええ、まあ、そうなんでしょうけども……」
どうにも突き放し難い。
甘さ、と言って捨てるのは簡単なのだろうが、きくり姉さんに世話を焼かされるのは面倒ではあっても、悪い気もしなかったのも事実なのだ。
「……一応、身内ですし。バンドメンバーとはいえ他人の岩下さんが見限っていないというのに、従姉弟の俺が見捨てるわけにもいきませんよ」
「……お互い、損する性分のようだな」
岩下さんは苦笑いすると、ポケットの中から何かを取り出す。
「SICK HACKのライブのチケットだ。良かったら、廣井が迷惑かけたお詫びと思って受け取ってくれ」
「…え?でも……」
バンドのライブになんて行ったことはないが、ライブのチケットってそこそこ良いお値段がするものではないのだろうか。
「君とは長い付き合いになりそうだからな。…廣井がただの酔っ払いじゃないというところも、見せておきたいんだ」
「では、ありがたくいただきます」
一礼して、きくり姉さんを乗せて去っていく岩下さんを見送る。
きくり姉さんのライブか……正直、まったく予想はできないけれど。岩下さんが何年も見捨てずに一緒にバンドをしているというなら、きっとその実力は十分なものなのだろう。
……なんだか、楽しみになってきたな。
でも介護要員が一人増えた程度では、あの酒カスはほとんど変化ないだろうなという信頼。