廣井従弟の介護日記   作:ヒャル

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第三話

 朝の訪れを告げる小鳥のさえずりを聞きながら、使い慣れたキッチンに立つ。

 

「~~♪」

 

 鼻歌混じりに包丁を振るい、鍋を火にかけ、調味料を加える。

 もはやルーチンとかした調理作業は、負担どころかむしろ心地よさすら感じる。

 

「ふむ……」

 

 すくい上げたお玉を顔に近づけ、一口。

 

「……よし」

 

 今日も味噌汁の味に問題がないことを確認し、コンロの火を止める。

 

 グリルから魚の切り身を取り出し、皿に盛り付け。

 2つの茶碗にご飯を盛り付け、味噌汁をお椀に注いでいく。

 

「…今日はこっちの気分かな」

 

 野菜の小鉢も加え、これで完成。

 ご飯にわかめと大根の味噌汁、焼き鮭に少量のぬか漬け。どこに出しても恥ずかしくない日本の朝食だろう。

 

「さて……」

 

 出来立ての定食を配膳すると、和室に顔を突っ込む。

 

「…きくり姉さん、朝ですよ」

 

「………んぁ?あ……さ……?」

 

 本来は来客用だった布団に声をかけると、見慣れた人影がもぞもぞと這い出してくる。

 

「…おはよー」

 

「おはようございます。朝ごはん出来てますから、早く来てくださいね」

 

 言うだけ言うと、俺は自分の席についてテレビを点ける。

 

(今日は一日中晴れ、という予報は変わらずか……)

 

 天気予報を見ながら今日の予定を脳内で確認していたが、向かいの席に彼女が座ったのを見て正面を向き直す。

 

「「いただきます」」

 

 テーブルの上に置かれたのは俺と……もう一人、きくり姉さんの分の朝食だ。

 

 

「ん~玲斗くんのご飯は今日も美味し~!」

 

「…………」

 

 路地裏での思わぬ再会から早数ヶ月。今現在、きくり姉さんは俺のマンションの和室の“ヌシ”と化してしまっていた。

 『扱いに困るので洗濯は自宅ですること』等いくつかのルールを課しているので完全に住み着いているわけではないが…かなり頻繁に俺の部屋を訪れるようになってしまっている。

 

「…ところできくり姉さん、新しい客用布団を買うお金はいつ出してくれるんですか?色々ときくり姉さんが汚し過ぎてもう他の人にお貸しできない状態なんですが」

 

「それはもうちょっと待って!志麻から借りたバンド経費の方も返さなくちゃいけないから!」

 

「何ヶ月もその言葉を聞き続けている気がするんですけど……」

 

 拝啓、イギリスにいる父さん。『彼女が出来た時には同棲できる部屋にしておいたぞ』とからかってきた余剰スペースは、今や侵略性酒カス生物に浸食されてしまいました。

 

「でもでも、玲斗くんにはちゃんと感謝してるんだからね?こんなまともなご飯なんて、昔は月に数回しか食べてなかったんだから!」

 

「……どれだけ荒れた食生活してたんですか」

 

「とりあえずおにころと肴!」

 

 ああ、この人基本的に胃に酒ばっかり入れてるタイプだった。

 

「…今は若いから無理が効いているだけで、将来はそんな無茶は効かなくなりますからね?」

 

「大丈夫大丈夫。だって今は、こうして玲斗くんのごはんを食べてるから!」

 

 そう言ってにっこり笑うきくり姉さんは、再会した頃に比べ肌艶も良く骨っぽい身体も幾分か厚みを得たように思える。

 

 破天荒だけど周囲の人には恵まれているのがきくり姉さんだ。きくり姉さんの身体に何かあれば、きっと皆心配し嘆くだろう。あの人たちが悲しむ顔は、できることなら見たくない。

 俺が世話を焼くことできくり姉さんが幾分かでも健やかな日々を送れているのなら…いくらか報われた気持ちになる。

 

「……じゃあ段階を進めて、今度は断酒するまでウチを出禁とかやってみますか」

「ひどい!」

 

 

 

「いや~、今日も絶好の酒飲み日和だね~」

 

「雨が降ろうが槍が降ろうが、きくり姉さんはお酒飲んでそうですけどね」

 

「どうせなら槍じゃなくておにころが降って欲しいかな!」

 

 数時間後、俺ときくり姉さんは桜の木々が立ち並ぶ公園にいた。

 

「きくり~~、れーと~~、こっちデスヨ~!」

 

 満開を迎えた桜の木の下で、掲げた手をブンブン振るイライザさんの姿が見える。

 その傍には広げたブルーシートの上で座る、志麻さんと銀次郎さんの姿もあった。

 

「…すみません、少し遅れてしまいましたか」

 

「いや、私たちも来たばかりだから大丈夫だよ。遅れたとしても、それは君じゃなくて廣井のせいだろうしな」

 

「ちょっと志麻、決めつけるのは酷くない?」

 

「そういう文句はスタ練やリハをすっぽかさなくなってから言え」

 

「まあまあ志麻~、せっかくのお花見に小言は良くないヨ~」

 

 SICK HACKの人々との関係もすっかり深くなり、きくり姉さんが志麻さんにお説教される姿も見慣れてしまって一々可哀そうに思うこともなくなってきた。

 …いや、毎回自業自得だから最初っから可哀そうじゃなかったわ。

 

「廣井はほっといて、玲斗ちゃんは早く座りなさい。お弁当も重いでしょ?」

 

「あっ、はい。では失礼します」

 

 一番遅れてきた俺ときくり姉さんが座ると、飲み物の買い出し担当だったイライザさん以外の3人が、各々準備してきた弁当箱を広げる。

 志麻さんはお重のような、煮物などの和食が詰まった弁当。銀次郎さんは、おしゃれな洋食の詰まった弁当。

 

「わー、れーとのお弁当可愛いネ!」

 

 そして俺は、から揚げやたこさんウィンナー等運動会のような弁当だ。

 

「イライザさんは、こういう方が好きかなって思いまして」

 

「オフコース!これぞアニメで見た日本のお弁当デスヨ!」

 

 目を輝かせるイライザさん。

 俺の作った弁当にとても喜んでくれているのを見ると、これだけでも作った甲斐があったと嬉しくなる。

 

「じゃあ、そろそろ乾杯しましょうか」

 

 銀次郎さんが各々に缶ビールを配る。俺はまだ18歳なのでサイダーの缶だ。

 

「それでは、今日は仕事や日頃の苦労を忘れて、ゆったりと花見を楽しみましょう。……乾杯!」

 

「「「「かんぱ~い!」」」」

 

 コツン、と全員で缶を合わせる。

 缶を傾けると、伝わってくるのは甘さと炭酸の刺激。普段飲んでいる炭酸飲料と違いはないはずなのに、こういう場だといつもより美味しく感じるから不思議なものだ。

 

「んっんっんっ……かぁーっ、生き返る~!」

 

 缶を手に感慨に浸っていると、そんな情緒とは無縁なきくり姉さんが早速缶ビールを空にしていた。

 

「…ちなみに言っておくが、乾杯用の缶ビール以外の酒はないからな」

 

「えぇ~~何でぇ~!?」

 

「今回の花見は玲斗くんの大学入学祝いも兼ねてるんだ、主役が飲めないもの用意しても仕方ないだろう」

 

 何ともありがたいことに、今回の花見は第一志望だった芳大法学部に無事合格した俺の入学祝いも兼ねてくれている。

 親が遥か遠いイギリスにいる分、志麻さんたちの心遣いはとてもありがたい。

 

「…わざわざお祝いしてくださって、本当にありがとうございます」

 

 改めて頭を下げる。

 

「お礼なんていいヨ~!れーとのお祝いごとなら一緒にお祝いするのは当然!」

 

「君には廣井のことで色々と世話になっているからな。SICK HACKのメンバーとして、こういう時くらいお返しさせてくれ」

 

「玲斗ちゃんが来てから、廣井の迷惑行為の通報も減ったものね。ありがたいわ~」

 

「志麻も銀ちゃんも冷たい!こうなったら飲まなきゃやってられねぇ~!!」

 

「もうノンアルビールしかないですよ」

 

 

 

「……そういえば、今更になるが何故法学部を選んだんだ?君の成績なら、大抵の学部には行けただろうが」

 

 桜とお弁当を肴にして会話に花を咲かせていると、志麻さんが思い出したように問いかけてくる。

 

「そう、ですね……」

 

 何故かと言われれば――

 

「…はっきり言って、俺はつまらない人間です。SICK HACKの皆さんみたいに、自分の芯となる夢があるわけでもなく目指すべき場所もわからない。でも、そうして夢を追う人は眩しいですし支えたいと思う。……だから、堅実な職を身につけてそういう人を支えられるようになりたいな、と」

 

 インディーズでは上澄みも上澄みのSICK HACKですら、未確認ライオット優勝までは音楽一本で生活できずにバイトを重ねる日々だったと聞いているし、一時的に人気が落ち込むことだってあるだろう。

 将来、自分に大切な人が出来た時に…その女性が厳しい現実という泥に埋もれることなく、夢を目指すことができる土台を築いておきたいのだ。

 

「……君のような立派な人間が知人でいてくれることを、私は誇らしく思うよ」

 

 志麻さんは感極まったような表情で、俺の両肩をがっしりと掴む。

 

「そこまで言ってくれる君になら、安心して廣井を任せられる……!」

「絶対に嫌です」

 

 人の頼みを無碍にするのが苦手な自分とは思えない即答で言葉が出た。

 

「……どうしても駄目か?廣井はあれで顔はいいし、音楽に関しては何処に出しても恥ずかしくないぞ?」

 

「…そう言われましても、元々従姉弟ですから異性というより身内という意識が強いですし……“アレ”をそういう存在として見れるか、と言われても難しいものが……」

 

 そう言って、視線を少し離れた場所で花見をしている集団…正確にはその前でベースをかき鳴らしている人影に向ける。

 

 

「いや~良い音だねぇ!あっ、お酒いる?」

「あざす~!」

 

 

 見ず知らずの集団に紛れ込んではベースで場を盛り上げ、お巡りさんに怒られつつもタダ酒にありついていく。

 どこに出しても恥ずかしい酒カスの姿である。

 

「だ、だが君ほどに廣井を献身的に支えている人間を私は他に知らない!現に君が東京に帰って来てから、廣井の生活はどんどん健康的になっているじゃないか!」

 

「それは志麻さんと苦労を分け合っているからですよ。俺が帰ってくるまでお一人できくり姉さんを支えていた志麻さんのようにはいきません」

 

 志麻さんの真面目さと面倒見の良さには本当に頭が下がる思いだが、真似したいとは思えない。というかできない。

 

「……俺は志麻さんほどアンガーマネジメントが得意ではありませんから、一人で抱え込むことになったらきっと最終的に病むか消えます」

 

 現状、きくり姉さんは週に数回押しかけてくるが、これが毎日になったらどうなるだろう。

 暫くは義務感で世話をし続けるだろう。だが次第に摩耗していき、最後には全てをリセットしたくなるはずだ。

 

 最初は楽しくプレイできていたソシャゲが次第に義務感でデイリーミッションを消化するようになり、最後にはそれすら面倒になってプレイしなくなるように。……いや、この例えは失礼か。ソシャゲに。

 

「志麻の気持ちは分かるけど、今日は大学入学という玲斗ちゃんの門出を祝う席よ?そんな気が重くなるような話はナシ。若人が想う未来はもっとキラキラしてないと」

 

 不毛な押し付け合いと化しつつあった志麻さんとのやりとりを、銀次郎さんが窘めてくれる。

 

「玲斗ちゃんも廣井のお世話みたいな“やるべきこと”ばかりじゃなくて、どんな無理そうでも“やりたいこと”にどんどん挑戦してみなさい。そういうことにぶつかって行けるのは、今の内だけなんだから」

 

 銀次郎さんは笑いながら、俺の肩にポンと優しく手を添える。

 

「“青春の偉大さとは全てを成し得ることでなく、全てを成し得ると思わせること”――ってやつですか」

 

 ふと、思いだした小説の一節を諳んじる。

 

「そう。“人生の斜陽に差し掛かった時、あの日々の記憶以上のものがあっただろうか?”と後悔ではなく、胸を張って言えるような大学生活を送りなさいな。若いあなたの前には、たっぷりの未来が待っているんだから」

 

 そう言ってウィンクする銀次郎さんの笑みには、人生の先輩としての深みが宿っていた。

 




 玲斗くんの異性の好みは、おっぱいの大きいロングヘアの女性。
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