手渡した麦茶で始まったなにか   作:ナイトロ

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10話

 

「来週末、泊まりでシンの実家、行っていい?」

 

月曜の朝。制服に腕を通しながら、ミオが唐突に言った。

 

「なんでまた」

 

「うーん……恋人って、家族と一緒に“夜”を過ごす瞬間もあるじゃん?」

 

「……は?」

 

「日常のなかに混ざるって、そういうことじゃない? ごはんの音、洗濯機の音、夜のテレビ、誰かのいびき……そういうのを知って、ちゃんと混ざりたい」

 

妙に理屈っぽくて、だけど妙に納得してしまった。

 

「母さんに訊いてみる」

 

*

 

週末、土曜の午後。

 

荷物は手提げバッグひとつ、だけど内容は完璧。

ミオは着替え、化粧ポーチ、歯ブラシ、麦茶ボトル、折りたたみスリッパ――まるで“家庭内合宿”だ。

 

「じゃ、行こっか。保健室じゃなくて、今夜は“家庭訪問”モード」

 

「なんだそれ……」

 

*

 

チャイムを押すとすぐ、母の明るい声が返ってきた。

 

「いらっしゃい、一泊よろしくね」

 

出迎えは完全に“身内”。ミオも自然にスリッパを履き、リビングへ直行。

父もすでにソファに座っており、新聞を畳みながらこちらを見上げた。

 

「どうぞ、うちで良ければ」

 

「お邪魔します。お世話になります」

 

ミオはぺこりと頭を下げ、ジャケットを脱いで畳んだあと、空気の隅にある「居場所」へスッと腰を下ろす。

 

母はさっそくお茶と和菓子を出してくる。

 

「晩ごはん、カレーだけど大丈夫?」

 

「むしろ最高です」

 

「うちのルウ、ちょっと辛めよ? お父さんの好みでね」

 

「じゃあ、舌で覚えます」

 

母の口角が、ほんの少しだけ、嬉しそうに上がった。

 

会話は自然と流れていく。

リビングにはテレビの音。キッチンには湯の音。

ふとした沈黙さえ、あたたかい“間”として馴染んでいた。

 

そして夕飯時。

 

テーブルを囲んで、父・母・ミオ・俺の四人。

ミオは見慣れない家庭用スプーンを手に、カレーをすくいながらふと顔を上げた。

 

「……あの」

 

誰も遮らず、その声を待った。

 

「私、シンとこれからも、ずっと一緒にいたいと思ってます」

 

その一言に、カレーを口に運びかけた俺の手がピタリと止まる。

 

「おいミオ……」

 

「え、なに?」

 

「お前、そういうこと、いきなり言うなって……!」

 

顔が熱い。背中も熱い。米粒の上に落とす言葉じゃない。

 

ミオはさらっと言い切ったあと、俺をちらっと見てから微笑んだ。

 

「うん。いきなりがいいの。こういうの、タイミング見計らってたら、口にできなくなるから」

 

母はナプキンを口に当て、笑いを堪える。

 

「ごちそうさま、今のでお腹いっぱい」

 

「……まだ一口目でしょうに」

 

父はコップの水をゆっくり飲んでから、落ち着いた声で一言だけ。

 

「覚悟があるのはいいことだな」

 

それを聞いたミオは、今度は少しだけ眉を下げて、静かに笑った。

 

「ありがとうございます。本当に、そう思ってます」

 

母はスプーンを置いて、俺に顔を寄せてきた。

 

「……シン」

 

「なに」

 

「ミオちゃんに“ずっと”とか“これからも”とか言われて、どんな気持ち?」

 

「うるせぇよ」

 

「赤い赤い赤い~~ふふっ、やだなもう、青春のど真ん中じゃないの……」

 

「マジで黙って」

 

「……じゃあ、言うこと言って。あの子がこんなにまっすぐ想ってるんだから」

 

ミオは黙っていた。

でも、食べる手は止めず、こくこくとカレーを口に運んでいた。

恥ずかしさも、気負いもなく。ただ――その目だけが、じっとこちらに向いていた。

 

(俺も……)

 

頭では分かっていた。でも言葉に出すのは、また別だ。

 

そのまま、夕食は静かに進んでいった。

 

*

 

夜。

 

ミオは母と一緒にお風呂へ入り、俺はテレビを見ながら間の持たない時間を過ごす。

 

風呂場から出てきたとき、ミオは俺のジャージを借りていて――妙にそれが馴染んでいた。

 

「部屋、どっちだっけ?」

 

「二階だけど、父さんと母さん起きてるうちは静かにしろよ。階段きしむから」

 

「うん。忍者モードで行く」

 

布団は二つ。隣同士に敷かれていた。

電気を消して、ふたり並んで寝転んで、天井の影をぼんやりと見つめる。

 

「……さっきの、ほんとに驚いた?」

 

ミオの声は小さく、熱が籠っていた。

 

「まあ、な。ああいう言葉、慣れてねぇし」

 

「でも……言ってよかった」

 

「……おう」

 

「ずっと一緒にいたいって、本気で思ったから」

 

「……」

 

「でもあたし、報告できないんだよね」

 

「ん?」

 

「自分の親に。ほんとはさ、こうやって付き合ってる人がいて、ちゃんとした人たちと関われてるよって、言えたらいいんだけど……でも、言っても何も返ってこないし、連絡ももう何ヶ月もないし」

 

「……」

 

「だから、あたしが勝手に“生きてる証明”しに行っても、それってたぶん独り言になる。……それが、すごく虚しい」

 

俺は何も言えなかった。

ただ、横にいるミオの肩のあたりに手を伸ばして、そっと触れた。

 

「……なら、また帰ってこようぜ。何度でも。

母さんテンション高いけど、悪い人じゃねえし。父さんもなんだかんだ……受け止めるタイプだし」

 

「……ほんと?」

 

「おう」

 

ミオは、その手の上に自分の指を重ねてきた。

 

「じゃあ――また来る。あたしの帰る場所って、もうここかも」

 

その声がやけにリアルで、胸の奥を締めつけた。

 

「……ミオ」

 

「ん」

 

「……俺もさ、ずっと一緒にいたいって、思ってる」

 

「……それ、聞きたかった」

 

そのまま、ふたりは言葉を交わさず、天井を見ていた。

 

家のなかには、もう誰も話していない。

でも――俺たちの耳には、生活の音が、静かに流れていた。

 

ここが“家”だと、思えていた。

 

*

 

朝。

まだカーテンの隙間からしか光が差し込んでいない時間。

ミオは俺より先に目を覚ましていた。

 

「おはよ。……なんか、昨日より柔らかい顔して寝てたよ」

 

「寝顔見んなよ……」

 

「でも、かわいかった。ちょっとだけ」

 

「……やめろ」

 

ぼそりと呟いて布団を抜け出すと、ミオはタオルを手にして立ち上がった。

 

「シャワー借りる。朝シャン派だから、こういうとこ抜かりないの」

 

「さすがです」

 

洗面所から水の音。

キッチンでは、母が食パンを焼いていた。

 

「あら、おはよう。ミオちゃん、昨日ちゃんと寝られた?」

 

「はい。おかげさまでぐっすり」

 

母はコーヒーを淹れながら微笑む。

 

「ほんとに、保健室ってより実家って感じ……」

 

「あら、じゃあもう“お嫁さん準備”ってことかしら」

 

「……そのつもりでは、います」

 

「ほんと、あの子には勿体ないわねぇ~」

 

コーヒーの香りとトーストの焦げ目の香ばしさ。

ミオはバターナイフを手にしながら、ふと口元を緩めた。

 

「……ねえ、帰りがけに寄り道しない? スーパーとか」

 

「なんで?」

 

「生活の延長ってやつ、もう少し味わいたい」

 

父と母に挨拶して、ふたり並んで家を出た。

 

「またいつでも来てね。朝ごはんも用意するから」

 

「シンをよろしく頼むよ」

 

「……はい。また、帰ってきます」

 

「そんなかしこまらくても……」

 

*

 

スーパーは駅前の小さなチェーン。

 

ミオは調味料売り場の前でしゃがみ込み、パスタソースを手に取りながら言う。

 

「これ今度、うちで作るね。トマト系のやつ」

 

「お前が料理すんの?」

 

「するよ。たまに。……それで、食べてくれる人がいると、もっとやる」

 

買い物かごには、麦茶、食パン、冷凍たこ焼き。

生活品ばかりなのに、なぜかそれが“恋人の日常”に見えた。

 

レジで会計を済ませ、店を出ると、日差しが少し強くなっていた。

ミオは手提げ袋を片手に、すっと俺の隣に立つ。

 

「……ね、シン」

 

「ん」

 

「なんか、デートの時より楽しかったかも」

 

「え、こんなスーパー行くだけで?」

 

「うん。だって、“誰かの家族の一員”になれた気がした」

 

「……お前な」

 

「そろそろ、帰ろうか。ふたりの、ね?」

 

俺はそれに、何も言わず頷いた。

 

手を繋いで、ふたりの部屋へ帰った。

6話 強制イベントの内容、これいる?※R-18

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