手渡した麦茶で始まったなにか   作:ナイトロ

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10話

 

「来週末、泊まりでシンの実家、行っていい?」

 

月曜の朝。制服に腕を通しながら、ミオが唐突に言った。

 

「なんでまた」

 

「うーん……恋人って、家族と一緒に“夜”を過ごす瞬間もあるじゃん?」

 

「……は?」

 

「日常のなかに混ざるって、そういうことじゃない? ごはんの音、洗濯機の音、夜のテレビ、誰かのいびき……そういうのを知って、ちゃんと混ざりたい」

 

妙に理屈っぽくて、だけど妙に納得してしまった。

 

「母さんに訊いてみる」

 

 

週末、土曜の午後。

 

荷物は手提げバッグひとつ、だけど内容は完璧。

ミオは着替え、化粧ポーチ、歯ブラシ、麦茶ボトル、折りたたみスリッパ――まるで“家庭内合宿”だ。

 

「じゃ、行こっか。保健室じゃなくて、今夜は“家庭訪問”モード」

 

「なんだそれ……」

 

 

チャイムを押すとすぐ、母の明るい声が返ってきた。

 

「いらっしゃい、一泊よろしくね」

 

出迎えは完全に“身内”。ミオも自然にスリッパを履き、リビングへ直行。

父もすでにソファに座っており、新聞を畳みながらこちらを見上げた。

 

「どうぞ、うちで良ければ」

 

「お邪魔します。お世話になります」

 

ミオはぺこりと頭を下げ、ジャケットを脱いで畳んだあと、空気の隅にある「居場所」へスッと腰を下ろす。

 

母はさっそくお茶と和菓子を出してくる。

 

「晩ごはん、カレーだけど大丈夫?」

 

「むしろ最高です」

 

「うちのルウ、ちょっと辛めよ? お父さんの好みでね」

 

「じゃあ、舌で覚えます」

 

母の口角が、ほんの少しだけ、嬉しそうに上がった。

 

会話は自然と流れていく。

リビングにはテレビの音。キッチンには湯の音。

ふとした沈黙さえ、あたたかい“間”として馴染んでいた。

 

そして夕飯時。

 

テーブルを囲んで、父・母・ミオ・俺の四人。

ミオは見慣れない家庭用スプーンを手に、カレーをすくいながらふと顔を上げた。

 

「……あの」

 

誰も遮らず、その声を待った。

 

「私、シンとこれからも、ずっと一緒にいたいと思ってます」

 

その一言に、カレーを口に運びかけた俺の手がピタリと止まる。

 

「おいミオ……」

 

「え、なに?」

 

「お前、そういうこと、いきなり言うなって……!」

 

顔が熱い。背中も熱い。米粒の上に落とす言葉じゃない。

 

ミオはさらっと言い切ったあと、俺をちらっと見てから微笑んだ。

 

「うん。いきなりがいいの。こういうの、タイミング見計らってたら、口にできなくなるから」

 

母はナプキンを口に当て、笑いを堪える。

 

「ごちそうさま、今のでお腹いっぱい」

 

「……まだ一口目でしょうに」

 

父はコップの水をゆっくり飲んでから、落ち着いた声で一言だけ。

 

「覚悟があるのはいいことだな」

 

それを聞いたミオは、今度は少しだけ眉を下げて、静かに笑った。

 

「ありがとうございます。本当に、そう思ってます」

 

母はスプーンを置いて、俺に顔を寄せてきた。

 

「……シン」

 

「なに」

 

「ミオちゃんに“ずっと”とか“これからも”とか言われて、どんな気持ち?」

 

「うるせぇよ」

 

「赤い赤い赤い~~ふふっ、やだなもう、青春のど真ん中じゃないの……」

 

「マジで黙って」

 

「……じゃあ、言うこと言って。あの子がこんなにまっすぐ想ってるんだから」

 

ミオは黙っていた。

でも、食べる手は止めず、こくこくとカレーを口に運んでいた。

恥ずかしさも、気負いもなく。ただ――その目だけが、じっとこちらに向いていた。

 

(俺も……)

 

頭では分かっていた。でも言葉に出すのは、また別だ。

 

そのまま、夕食は静かに進んでいった。

 

 

夜。

 

ミオは母と一緒にお風呂へ入り、俺はテレビを見ながら間の持たない時間を過ごす。

 

風呂場から出てきたとき、ミオは俺のジャージを借りていて――妙にそれが馴染んでいた。

 

「部屋、どっちだっけ?」

 

「二階だけど、父さんと母さん起きてるうちは静かにしろよ。階段きしむから」

 

「うん。忍者モードで行く」

 

布団は二つ。隣同士に敷かれていた。

電気を消して、ふたり並んで寝転んで、天井の影をぼんやりと見つめる。

 

「……さっきの、ほんとに驚いた?」

 

ミオの声は小さく、熱が籠っていた。

 

「まあ、な。ああいう言葉、慣れてねぇし」

 

「でも……言ってよかった」

 

「……おう」

 

「ずっと一緒にいたいって、本気で思ったから」

 

「……」

 

「でもあたし、報告できないんだよね」

 

「ん?」

 

「自分の親に。ほんとはさ、こうやって付き合ってる人がいて、ちゃんとした人たちと関われてるよって、言えたらいいんだけど……でも、言っても何も返ってこないし、連絡ももう何ヶ月もないし」

 

「……」

 

「だから、あたしが勝手に“生きてる証明”しに行っても、それってたぶん独り言になる。……それが、すごく虚しい」

 

俺は何も言えなかった。

ただ、横にいるミオの肩のあたりに手を伸ばして、そっと触れた。

 

「……なら、また帰ってこようぜ。何度でも。

母さんテンション高いけど、悪い人じゃねえし。父さんもなんだかんだ……受け止めるタイプだし」

 

「……ほんと?」

 

「おう」

 

ミオは、その手の上に自分の指を重ねてきた。

 

「じゃあ――また来る。あたしの帰る場所って、もうここかも」

 

その声がやけにリアルで、胸の奥を締めつけた。

 

「……ミオ」

 

「ん」

 

「……俺もさ、ずっと一緒にいたいって、思ってる」

 

「……それ、聞きたかった」

 

そのまま、ふたりは言葉を交わさず、天井を見ていた。

 

家のなかには、もう誰も話していない。

でも――俺たちの耳には、生活の音が、静かに流れていた。

 

ここが“家”だと、思えていた。

 

 

朝。

まだカーテンの隙間からしか光が差し込んでいない時間。

ミオは俺より先に目を覚ましていた。

 

「おはよ。……なんか、昨日より柔らかい顔して寝てたよ」

 

「寝顔見んなよ……」

 

「でも、かわいかった。ちょっとだけ」

 

「……やめろ」

 

ぼそりと呟いて布団を抜け出すと、ミオはタオルを手にして立ち上がった。

 

「シャワー借りる。朝シャン派だから、こういうとこ抜かりないの」

 

「さすがです」

 

洗面所から水の音。

キッチンでは、母が食パンを焼いていた。

 

「あら、おはよう。ミオちゃん、昨日ちゃんと寝られた?」

 

「はい。おかげさまでぐっすり」

 

母はコーヒーを淹れながら微笑む。

 

「ほんとに、保健室ってより実家って感じ……」

 

「あら、じゃあもう“お嫁さん準備”ってことかしら」

 

「……そのつもりでは、います」

 

「ほんと、あの子には勿体ないわねぇ~」

 

コーヒーの香りとトーストの焦げ目の香ばしさ。

ミオはバターナイフを手にしながら、ふと口元を緩めた。

 

「……ねえ、帰りがけに寄り道しない? スーパーとか」

 

「なんで?」

 

「生活の延長ってやつ、もう少し味わいたい」

 

父と母に挨拶して、ふたり並んで家を出た。

 

「またいつでも来てね。朝ごはんも用意するから」

 

「シンをよろしく頼むよ」

 

「……はい。また、帰ってきます」

 

「そんなかしこまらくても……」

 

 

スーパーは駅前の小さなチェーン。

 

ミオは調味料売り場の前でしゃがみ込み、パスタソースを手に取りながら言う。

 

「これ今度、うちで作るね。トマト系のやつ」

 

「お前が料理すんの?」

 

「するよ。たまに。……それで、食べてくれる人がいると、もっとやる」

 

買い物かごには、麦茶、食パン、冷凍たこ焼き。

生活品ばかりなのに、なぜかそれが“恋人の日常”に見えた。

 

レジで会計を済ませ、店を出ると、日差しが少し強くなっていた。

ミオは手提げ袋を片手に、すっと俺の隣に立つ。

 

「……ね、シン」

 

「ん」

 

「なんか、デートの時より楽しかったかも」

 

「え、こんなスーパー行くだけで?」

 

「うん。だって、“誰かの家族の一員”になれた気がした」

 

「……お前な」

 

「そろそろ、帰ろうか。ふたりの、ね?」

 

俺はそれに、何も言わず頷いた。

 

手を繋いで、ふたりの部屋へ帰った。

6話 強制イベントの内容、これいる?※R-18

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