目が覚めると、部屋の空気がいつもと違っていた。
窓の外は曇り気味の光。けど、春のにおいがした。
(……卒業式、か)
カーテンを開けて、制服に着替えて、冷蔵庫からペットボトルの麦茶を取り出す。
パンも卵もない朝だったけど、不思議と空腹は気にならなかった。
ミオはまだ布団の中。
寝息は静かで、けど、しっかり深い呼吸。
声をかけると、少し遅れて返事があった。
「ん……起きてるよ……」
「起きてねえじゃん」
「ちゃんと起きる……ちゃんと起きるから……」
寝ぼけた声だったけど、そこには確かな意志があった。
いつもより丁寧に髪を整えて、彼女は制服に袖を通す。
「ね、どう?ちゃんとしてる?」
「……うん。見違えた」
「それ、褒めてるの?」
「多分な」
笑い合う空気が、少しだけ特別に思えた。
この日が最後の登校かと思うと――なぜか、時間が重たくなる。
*
式は厳かに、粛々と進んだ。
体育館の壇上から見える光景も、
名前を呼ばれる瞬間の空気も、
全部がどこかぼやけていた。
それでもちゃんと歩いて、
頭を下げて、証書を受け取った。
拍手の音の中、壇上から保護者席を見やると、見覚えのある顔が見えた。
……両親だ。
普段は離れて暮らしているけれど、今日は足を運んでくれた。
目が合うと、母さんが小さく手を振った。
父さんはいつも通り、まっすぐな顔のままうなずいていた。
式が終わって校舎の前に出ると、もう人だかりができていた。
笑い声、泣き声、写真のシャッター音。
そんな中で、母さんが手を振りながら寄ってくる。
「卒業おめでとう!3年間、よくやったわね」
「ちゃんと卒業したな」
ふたりとも、それ以上多くを語らなかった。
ただ、それが俺の家族の形なんだと、不思議と納得できた。
「今週末家に帰るよ」
「ミオちゃんも連れてくるのよ~」
「……当たり前だろ」
両親から離れてミオとの待ち合わせ場所へ歩く中、今度はクラスメイトに捕まる。
「今更だけど、黒瀬とお前って付き合ってるよな?」
「……本当に今更だな?」
「あまりに自然すぎてなぁ」
「ね!ね!式あげるなら私が仕切っても良い!?」
「絶対呼んでよ?絶対よ!?」
「気がはえーよ!」
写真撮るから黒瀬さん連れてこいよー……お幸せにー……
クラスメイトを振り切って、桜の木の下へ歩いていく途中。
見慣れた姿があった。
*
ミオは昇降口の脇に立っていた。
式の喧騒から離れて、どこか遠くを見るような目をしていた。
俺が近づく前に、別の影が彼女の前に立った。
女の人。どこかで見た面影。……すぐに分かった。ミオの母親だろう。
「……お母……さん?」
ミオの声が、風にかき消されそうなくらい小さく響いた。
ほんの一瞬、全身が固まったようだった。
「澪。卒業……おめでとう」
それだけを言って、母はミオに近づいた。
「……まさか来てくれるなんて、思ってなかった」
声が震えていた。言葉の端に、滲むものがあった。
「何も言わなかったし、ずっといなかったのに……どうして、今日だけ」
「ごめんね」
母はただ、それだけを返した。
強くもなく、
弱々しくもなく、
ただ、真正面から。
「……ちゃんと伝えたかったんだよ」
ミオは唇を噛んで、目を伏せた。
「付き合ってる人がいて、信じられる人もいて……
あたし、ちゃんとやれてるよって。
ほんとは、そういうの言ってみたかった。
でも、どれだけ思ってても……何も返ってこないなら……
それってただの……独り言じゃん……」
言いながら、涙が落ちた。
泣きたくなかった。でも、止まらなかった。
「……それが、すごくいやだった。
ちゃんと見てほしかったのに、それすら勝手に思ってるだけだったらって思うと……」
ミオは母にゆっくりと抱きついた。
母の手が、迷わず背中を撫でた。
「寂しかったんだよ……っ」
「どの口が今更って思うでしょうけど……ごめんね」
小さな声だった。けれど、確かにそこに“母親”がいた。
「来てよかった……澪に会えて、ちゃんとおめでとうが言えて。
……ほんとうに、おめでとう」
涙でぼやけた視界の中で、ミオはほんの少しだけ笑った。
最後に強く抱きしめて、母の腕からそっと離れて、顔を拭った。
「……じゃあ、行ってくる。
待ってる人がいるから」
「うん。……行っておいで」
母はもう何も言わなかった。ただ見送る眼差しだけが、すべてを語っていた。
*
校庭の端っこ、裏門近くの桜の木の下。
そこに、ミオが来た。
花はまだ咲いていなかったけど、枝先には小さな蕾が膨らんでいた。
式の余韻はまだそこらに漂っていて、
誰かが笑って、誰かが泣いて、カメラのシャッターが絶えず鳴っている。
式の余韻はまだそこらに漂っていて、風が通るたびに遠くから拍手の音がこだましていた。
その中で、ミオはゆっくり歩いていって、俺の横に並んだ。
「待った?」
「いや、ちょうど」
並んで見上げる桜の枝。まだ花はない。でも、もうすぐそこにあると分かる。
そんな静かな時間の中、シンがぽつりと口を開いた。
「……ミオのお母さん、来てたんだな」
「うん……びっくりした」
ミオは少しだけ笑って、目元を指先で押さえた。
「なんかね、ずっとシンがいればそれでいいって思ってたんだけど……
でも、来てくれたのは、やっぱり嬉しかったみたい」
風がそよいで、ミオの髪が揺れた。
「会って話して、泣いたら、少しだけすっきりした。
……きっと、どこかで待ってたんだよね。あたしのほうが、ずっと」
俺はそれを聞いて、軽くうなずいた。
「そういうもんだろ、家族って」
「ミオだけじゃない、お母さんもほんとは会わなきゃって思ってたんじゃないか?
ただタイミングを逃してただけかも」
ミオはふっと笑って、袖で目元を拭った。
「……じゃあシンの“好き”と同じだね」
「……どうして俺を刺した?急所にくるなよ」
「ほんとは、“ずっと言いたかったけど言えなかった”って意味でしょ?」
ミオが茶化すように笑って、腕に体を預けてくる。
「今も言わなきゃ逃すかもしれないから、先に刺しておいただけ」
耳元にかすかに息が触れる距離で囁かれ、
俺は思わず視線を逸らす。言葉よりも先に、鼓動が強くなっていた。
ミオは桜の枝先を見上げて、小さく息を吐いた。
「卒業、しちゃったね」
ミオの呟き。風の音と遠くのざわめきだけが耳を打つ。
「……卒業しても、一緒にいるつもりだけどさ」
声が、少しだけ震えていた。
「でも、もう学校でシンに会えないって、なんだか寂しいね……っ」
そう言ったミオは、視線を遠くに投げたまま、
また涙をこぼすのをギリギリで堪えていた。
それでも目尻が潤んで、光っていた。
「……馬鹿」
俺は後ろに回って、
制服の背中越しに、そっと抱きしめた。
ミオの肩が少しだけ揺れる。
でも、何も言わずにその腕の中に収まった。
「……大学も、バイト先も一緒だろ」
「……ん」
「きっと大学卒業する時、同じこと言うんだろうな」
「かも……」
「でもまあ、分かるけどな、その気持ち」
風が吹いて、ミオの髪が俺の頬に当たる。
制服の布地越しに感じる体温が、心地よくて。
「制服で隣にいた時間って、やっぱ特別だったよね」
「……ああ」
「毎日同じ校舎で、同じ空気吸ってすぐそばにいるって、当たり前だったのに」
「当たり前が終わると、急に泣きそうになるんだな」
「なってないし」
「それもかわいいけど」
「うるさい」
ミオは小さく笑って、
俺の手を、自分の胸の上でそっと握った。
「でも……こんな気持ちになれるなら、高校生活、やっぱりいいものだったな」
「うん。シンがいてくれて、よかった」
「俺も、ミオがいてよかった」
しばらく、そのまま抱きしめていた。
周囲の喧騒も、卒業アルバムも、泣き笑いも、全部遠くなって。
そこだけが、時間から外れた空間みたいだった。
そして、俺は小さく、はっきりと口にした。
「……好きだ、大好きだよ、ミオ」
ミオの肩がぴくりと動いた。
少しして、俺の胸の中から、息のように返ってきた。
「……あたしも、大好き」
それは、泣きながら笑っている声だった。
制服姿で、卒業式の終わった学校で、
何度も言ったはずのその言葉が、
なぜか――この日だけは、特別だった。
*
駅までの道を、手をつないで歩いた。
制服姿、最後の通学路。
スマホに贈られた、クラスの集合写真を眺めながら。
「これ脱いじゃったら、もう本当に終わりって感じするね」
「ずっと着てるか?」
「バカ」
ミオが突き放すように言って、でも笑ってる。
「……でも、いいかも。制服、最後にもう一回、着たままくっつくの」
「エロいこと言ってる自覚ある?」
「ないよ。これがあたしたちの普通。ただの、思い出延長戦」
「ふーん……じゃあやってみるか、その延長戦」
「……ん。卒業祝いは、部屋で、制服で、ね」
その声が少しだけ甘えていて、
でも、言葉よりずっとずっと強く、未来に繋がっていた。
制服を脱いでも、春は来る。
でもその前に――
きみと過ごした日々が、確かにここにあったという証を、
もう一度、抱きしめておきたい。
ちゃんと、心と体に刻んでおきたい。
次回エピローグ
色がつきました
ありがとうございます……
6話 強制イベントの内容、これいる?※R-18
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いらない
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いる