手渡した麦茶で始まったなにか   作:ナイトロ

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13話

 

目が覚めると、部屋の空気がいつもと違っていた。

窓の外は曇り気味の光。けど、春のにおいがした。

 

(……卒業式、か)

 

カーテンを開けて、制服に着替えて、冷蔵庫からペットボトルの麦茶を取り出す。

パンも卵もない朝だったけど、不思議と空腹は気にならなかった。

 

ミオはまだ布団の中。

寝息は静かで、けど、しっかり深い呼吸。

声をかけると、少し遅れて返事があった。

 

「ん……起きてるよ……」

 

「起きてねえじゃん」

 

「ちゃんと起きる……ちゃんと起きるから……」

 

寝ぼけた声だったけど、そこには確かな意志があった。

いつもより丁寧に髪を整えて、彼女は制服に袖を通す。

 

「ね、どう?ちゃんとしてる?」

 

「……うん。見違えた」

 

「それ、褒めてるの?」

 

「多分な」

 

笑い合う空気が、少しだけ特別に思えた。

この日が最後の登校かと思うと――なぜか、時間が重たくなる。

 

*

 

式は厳かに、粛々と進んだ。

体育館の壇上から見える光景も、

名前を呼ばれる瞬間の空気も、

全部がどこかぼやけていた。

 

それでもちゃんと歩いて、

頭を下げて、証書を受け取った。

 

拍手の音の中、壇上から保護者席を見やると、見覚えのある顔が見えた。

……両親だ。

 

普段は離れて暮らしているけれど、今日は足を運んでくれた。

目が合うと、母さんが小さく手を振った。

父さんはいつも通り、まっすぐな顔のままうなずいていた。

 

式が終わって校舎の前に出ると、もう人だかりができていた。

笑い声、泣き声、写真のシャッター音。

 

そんな中で、母さんが手を振りながら寄ってくる。

 

「卒業おめでとう!3年間、よくやったわね」

 

「ちゃんと卒業したな」

 

ふたりとも、それ以上多くを語らなかった。

ただ、それが俺の家族の形なんだと、不思議と納得できた。

 

「今週末家に帰るよ」

 

「ミオちゃんも連れてくるのよ~」

 

「……当たり前だろ」

 

両親から離れてミオとの待ち合わせ場所へ歩く中、今度はクラスメイトに捕まる。

 

「今更だけど、黒瀬とお前って付き合ってるよな?」

 

「……本当に今更だな?」

 

「あまりに自然すぎてなぁ」

 

「ね!ね!式あげるなら私が仕切っても良い!?」

 

「絶対呼んでよ?絶対よ!?」

 

「気がはえーよ!」

 

写真撮るから黒瀬さん連れてこいよー……お幸せにー……

クラスメイトを振り切って、桜の木の下へ歩いていく途中。

 

見慣れた姿があった。

 

*

 

ミオは昇降口の脇に立っていた。

式の喧騒から離れて、どこか遠くを見るような目をしていた。

 

俺が近づく前に、別の影が彼女の前に立った。

女の人。どこかで見た面影。……すぐに分かった。ミオの母親だろう。

 

「……お母……さん?」

 

ミオの声が、風にかき消されそうなくらい小さく響いた。

ほんの一瞬、全身が固まったようだった。

 

「澪。卒業……おめでとう」

 

それだけを言って、母はミオに近づいた。

 

「……まさか来てくれるなんて、思ってなかった」

 

声が震えていた。言葉の端に、滲むものがあった。

 

「何も言わなかったし、ずっといなかったのに……どうして、今日だけ」

 

「ごめんね」

 

母はただ、それだけを返した。

強くもなく、

弱々しくもなく、

ただ、真正面から。

 

「……ちゃんと伝えたかったんだよ」

 

ミオは唇を噛んで、目を伏せた。

 

「付き合ってる人がいて、信じられる人もいて……

あたし、ちゃんとやれてるよって。

ほんとは、そういうの言ってみたかった。

でも、どれだけ思ってても……何も返ってこないなら……

それってただの……独り言じゃん……」

 

言いながら、涙が落ちた。

泣きたくなかった。でも、止まらなかった。

 

「……それが、すごくいやだった。

ちゃんと見てほしかったのに、それすら勝手に思ってるだけだったらって思うと……」

 

ミオは母にゆっくりと抱きついた。

母の手が、迷わず背中を撫でた。

 

「寂しかったんだよ……っ」

 

「どの口が今更って思うでしょうけど……ごめんね」

 

小さな声だった。けれど、確かにそこに“母親”がいた。

 

「来てよかった……澪に会えて、ちゃんとおめでとうが言えて。

……ほんとうに、おめでとう」

 

涙でぼやけた視界の中で、ミオはほんの少しだけ笑った。

最後に強く抱きしめて、母の腕からそっと離れて、顔を拭った。

 

「……じゃあ、行ってくる。

待ってる人がいるから」

 

「うん。……行っておいで」

 

母はもう何も言わなかった。ただ見送る眼差しだけが、すべてを語っていた。

 

*

 

校庭の端っこ、裏門近くの桜の木の下。

そこに、ミオが来た。

花はまだ咲いていなかったけど、枝先には小さな蕾が膨らんでいた。

 

式の余韻はまだそこらに漂っていて、

誰かが笑って、誰かが泣いて、カメラのシャッターが絶えず鳴っている。

式の余韻はまだそこらに漂っていて、風が通るたびに遠くから拍手の音がこだましていた。

その中で、ミオはゆっくり歩いていって、俺の横に並んだ。

 

「待った?」

 

「いや、ちょうど」

 

並んで見上げる桜の枝。まだ花はない。でも、もうすぐそこにあると分かる。

そんな静かな時間の中、シンがぽつりと口を開いた。

 

「……ミオのお母さん、来てたんだな」

 

「うん……びっくりした」

 

ミオは少しだけ笑って、目元を指先で押さえた。

 

「なんかね、ずっとシンがいればそれでいいって思ってたんだけど……

でも、来てくれたのは、やっぱり嬉しかったみたい」

 

風がそよいで、ミオの髪が揺れた。

 

「会って話して、泣いたら、少しだけすっきりした。

……きっと、どこかで待ってたんだよね。あたしのほうが、ずっと」

 

俺はそれを聞いて、軽くうなずいた。

 

「そういうもんだろ、家族って」

 

「ミオだけじゃない、お母さんもほんとは会わなきゃって思ってたんじゃないか?

ただタイミングを逃してただけかも」

 

ミオはふっと笑って、袖で目元を拭った。

 

「……じゃあシンの“好き”と同じだね」

 

「……どうして俺を刺した?急所にくるなよ」

 

「ほんとは、“ずっと言いたかったけど言えなかった”って意味でしょ?」

 

ミオが茶化すように笑って、腕に体を預けてくる。

 

「今も言わなきゃ逃すかもしれないから、先に刺しておいただけ」

 

耳元にかすかに息が触れる距離で囁かれ、

俺は思わず視線を逸らす。言葉よりも先に、鼓動が強くなっていた。

ミオは桜の枝先を見上げて、小さく息を吐いた。

 

「卒業、しちゃったね」

 

ミオの呟き。風の音と遠くのざわめきだけが耳を打つ。

 

「……卒業しても、一緒にいるつもりだけどさ」

 

声が、少しだけ震えていた。

 

「でも、もう学校でシンに会えないって、なんだか寂しいね……っ」

 

そう言ったミオは、視線を遠くに投げたまま、

また涙をこぼすのをギリギリで堪えていた。

それでも目尻が潤んで、光っていた。

 

「……馬鹿」

 

俺は後ろに回って、

制服の背中越しに、そっと抱きしめた。

ミオの肩が少しだけ揺れる。

でも、何も言わずにその腕の中に収まった。

 

「……大学も、バイト先も一緒だろ」

 

「……ん」

 

「きっと大学卒業する時、同じこと言うんだろうな」

 

「かも……」

 

「でもまあ、分かるけどな、その気持ち」

 

風が吹いて、ミオの髪が俺の頬に当たる。

制服の布地越しに感じる体温が、心地よくて。

 

「制服で隣にいた時間って、やっぱ特別だったよね」

 

「……ああ」

 

「毎日同じ校舎で、同じ空気吸ってすぐそばにいるって、当たり前だったのに」

 

「当たり前が終わると、急に泣きそうになるんだな」

 

「なってないし」

 

「それもかわいいけど」

 

「うるさい」

 

ミオは小さく笑って、

俺の手を、自分の胸の上でそっと握った。

 

「でも……こんな気持ちになれるなら、高校生活、やっぱりいいものだったな」

 

「うん。シンがいてくれて、よかった」

 

「俺も、ミオがいてよかった」

 

しばらく、そのまま抱きしめていた。

周囲の喧騒も、卒業アルバムも、泣き笑いも、全部遠くなって。

そこだけが、時間から外れた空間みたいだった。

 

そして、俺は小さく、はっきりと口にした。

 

「……好きだ、大好きだよ、ミオ」

 

ミオの肩がぴくりと動いた。

少しして、俺の胸の中から、息のように返ってきた。

 

「……あたしも、大好き」

 

それは、泣きながら笑っている声だった。

 

制服姿で、卒業式の終わった学校で、

何度も言ったはずのその言葉が、

なぜか――この日だけは、特別だった。

 

*

 

駅までの道を、手をつないで歩いた。

制服姿、最後の通学路。

スマホに贈られた、クラスの集合写真を眺めながら。

 

「これ脱いじゃったら、もう本当に終わりって感じするね」

 

「ずっと着てるか?」

 

「バカ」

 

ミオが突き放すように言って、でも笑ってる。

 

「……でも、いいかも。制服、最後にもう一回、着たままくっつくの」

 

「エロいこと言ってる自覚ある?」

 

「ないよ。これがあたしたちの普通。ただの、思い出延長戦」

 

「ふーん……じゃあやってみるか、その延長戦」

 

「……ん。卒業祝いは、部屋で、制服で、ね」

 

その声が少しだけ甘えていて、

でも、言葉よりずっとずっと強く、未来に繋がっていた。

 

制服を脱いでも、春は来る。

でもその前に――

 

きみと過ごした日々が、確かにここにあったという証を、

もう一度、抱きしめておきたい。

ちゃんと、心と体に刻んでおきたい。




次回エピローグ

色がつきました
ありがとうございます……

6話 強制イベントの内容、これいる?※R-18

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