手渡した麦茶で始まったなにか   作:ナイトロ

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13話

 

目が覚めると、部屋の空気がいつもと違っていた。

窓の外は曇り気味の光。けど、春のにおいがした。

 

(……卒業式、か)

 

カーテンを開けて、制服に着替えて、冷蔵庫からペットボトルの麦茶を取り出す。

パンも卵もない朝だったけど、不思議と空腹は気にならなかった。

 

ミオはまだ布団の中。

寝息は静かで、けど、しっかり深い呼吸。

声をかけると、少し遅れて返事があった。

 

「ん……起きてるよ……」

 

「起きてねえじゃん」

 

「ちゃんと起きる……ちゃんと起きるから……」

 

寝ぼけた声だったけど、そこには確かな意志があった。

いつもより丁寧に髪を整えて、彼女は制服に袖を通す。

 

「ね、どう?ちゃんとしてる?」

 

「……うん。見違えた」

 

「それ、褒めてるの?」

 

「多分な」

 

笑い合う空気が、少しだけ特別に思えた。

この日が最後の登校かと思うと――なぜか、時間が重たくなる。

 

 

式は厳かに、粛々と進んだ。

体育館の壇上から見える光景も、

名前を呼ばれる瞬間の空気も、

全部がどこかぼやけていた。

 

それでもちゃんと歩いて、

頭を下げて、証書を受け取った。

 

拍手の音の中、壇上から保護者席を見やると、見覚えのある顔が見えた。

……両親だ。

 

普段は離れて暮らしているけれど、今日は足を運んでくれた。

目が合うと、母さんが小さく手を振った。

父さんはいつも通り、まっすぐな顔のままうなずいていた。

 

式が終わって校舎の前に出ると、もう人だかりができていた。

笑い声、泣き声、写真のシャッター音。

 

そんな中で、母さんが手を振りながら寄ってくる。

 

「卒業おめでとう!3年間、よくやったわね」

 

「ちゃんと卒業したな」

 

ふたりとも、それ以上多くを語らなかった。

ただ、それが俺の家族の形なんだと、不思議と納得できた。

 

「今週末家に帰るよ」

 

「ミオちゃんも連れてくるのよ~」

 

「……当たり前だろ」

 

両親から離れてミオとの待ち合わせ場所へ歩く中、今度はクラスメイトに捕まる。

 

「今更だけど、黒瀬とお前って付き合ってるよな?」

 

「……本当に今更だな?」

 

「あまりに自然すぎてなぁ」

 

「ね!ね!式あげるなら私が仕切っても良い!?」

 

「絶対呼んでよ?絶対よ!?」

 

「気がはえーよ!」

 

写真撮るから黒瀬さん連れてこいよー……お幸せにー……

クラスメイトを振り切って、桜の木の下へ歩いていく途中。

 

見慣れた姿があった。

 

 

ミオは昇降口の脇に立っていた。

式の喧騒から離れて、どこか遠くを見るような目をしていた。

 

俺が近づく前に、別の影が彼女の前に立った。

女の人。どこかで見た面影。……すぐに分かった。ミオの母親だろう。

 

「……お母……さん?」

 

ミオの声が、風にかき消されそうなくらい小さく響いた。

ほんの一瞬、全身が固まったようだった。

 

「澪。卒業……おめでとう」

 

それだけを言って、母はミオに近づいた。

 

「……まさか来てくれるなんて、思ってなかった」

 

声が震えていた。言葉の端に、滲むものがあった。

 

「何も言わなかったし、ずっといなかったのに……どうして、今日だけ」

 

「ごめんね」

 

母はただ、それだけを返した。

強くもなく、

弱々しくもなく、

ただ、真正面から。

 

「……ちゃんと伝えたかったんだよ」

 

ミオは唇を噛んで、目を伏せた。

 

「付き合ってる人がいて、信じられる人もいて……

あたし、ちゃんとやれてるよって。

ほんとは、そういうの言ってみたかった。

でも、どれだけ思ってても……何も返ってこないなら……

それってただの……独り言じゃん……」

 

言いながら、涙が落ちた。

泣きたくなかった。でも、止まらなかった。

 

「……それが、すごくいやだった。

ちゃんと見てほしかったのに、それすら勝手に思ってるだけだったらって思うと……」

 

ミオは母にゆっくりと抱きついた。

母の手が、迷わず背中を撫でた。

 

「寂しかったんだよ……っ」

 

「どの口が今更って思うでしょうけど……ごめんね」

 

小さな声だった。けれど、確かにそこに“母親”がいた。

 

「来てよかった……澪に会えて、ちゃんとおめでとうが言えて。

……ほんとうに、おめでとう」

 

涙でぼやけた視界の中で、ミオはほんの少しだけ笑った。

最後に強く抱きしめて、母の腕からそっと離れて、顔を拭った。

 

「……じゃあ、行ってくる。

待ってる人がいるから」

 

「うん。……行っておいで」

 

母はもう何も言わなかった。ただ見送る眼差しだけが、すべてを語っていた。

 

 

校庭の端っこ、裏門近くの桜の木の下。

そこに、ミオが来た。

花はまだ咲いていなかったけど、枝先には小さな蕾が膨らんでいた。

 

式の余韻はまだそこらに漂っていて、

誰かが笑って、誰かが泣いて、カメラのシャッターが絶えず鳴っている。

式の余韻はまだそこらに漂っていて、風が通るたびに遠くから拍手の音がこだましていた。

その中で、ミオはゆっくり歩いていって、俺の横に並んだ。

 

「待った?」

 

「いや、ちょうど」

 

並んで見上げる桜の枝。まだ花はない。でも、もうすぐそこにあると分かる。

そんな静かな時間の中、シンがぽつりと口を開いた。

 

「……ミオのお母さん、来てたんだな」

 

「うん……びっくりした」

 

ミオは少しだけ笑って、目元を指先で押さえた。

 

「なんかね、ずっとシンがいればそれでいいって思ってたんだけど……

でも、来てくれたのは、やっぱり嬉しかったみたい」

 

風がそよいで、ミオの髪が揺れた。

 

「会って話して、泣いたら、少しだけすっきりした。

……きっと、どこかで待ってたんだよね。あたしのほうが、ずっと」

 

俺はそれを聞いて、軽くうなずいた。

 

「そういうもんだろ、家族って」

 

「ミオだけじゃない、お母さんもほんとは会わなきゃって思ってたんじゃないか?

ただタイミングを逃してただけかも」

 

ミオはふっと笑って、袖で目元を拭った。

 

「……じゃあシンの“好き”と同じだね」

 

「……どうして俺を刺した?急所にくるなよ」

 

「ほんとは、“ずっと言いたかったけど言えなかった”って意味でしょ?」

 

ミオが茶化すように笑って、腕に体を預けてくる。

 

「今も言わなきゃ逃すかもしれないから、先に刺しておいただけ」

 

耳元にかすかに息が触れる距離で囁かれ、

俺は思わず視線を逸らす。言葉よりも先に、鼓動が強くなっていた。

ミオは桜の枝先を見上げて、小さく息を吐いた。

 

「卒業、しちゃったね」

 

ミオの呟き。風の音と遠くのざわめきだけが耳を打つ。

 

「……卒業しても、一緒にいるつもりだけどさ」

 

声が、少しだけ震えていた。

 

「でも、もう学校でシンに会えないって、なんだか寂しいね……っ」

 

そう言ったミオは、視線を遠くに投げたまま、

また涙をこぼすのをギリギリで堪えていた。

それでも目尻が潤んで、光っていた。

 

「……馬鹿」

 

俺は後ろに回って、

制服の背中越しに、そっと抱きしめた。

ミオの肩が少しだけ揺れる。

でも、何も言わずにその腕の中に収まった。

 

「……大学も、バイト先も一緒だろ」

 

「……ん」

 

「きっと大学卒業する時、同じこと言うんだろうな」

 

「かも……」

 

「でもまあ、分かるけどな、その気持ち」

 

風が吹いて、ミオの髪が俺の頬に当たる。

制服の布地越しに感じる体温が、心地よくて。

 

「制服で隣にいた時間って、やっぱ特別だったよね」

 

「……ああ」

 

「毎日同じ校舎で、同じ空気吸ってすぐそばにいるって、当たり前だったのに」

 

「当たり前が終わると、急に泣きそうになるんだな」

 

「なってないし」

 

「それもかわいいけど」

 

「うるさい」

 

ミオは小さく笑って、

俺の手を、自分の胸の上でそっと握った。

 

「でも……こんな気持ちになれるなら、高校生活、やっぱりいいものだったな」

 

「うん。シンがいてくれて、よかった」

 

「俺も、ミオがいてよかった」

 

しばらく、そのまま抱きしめていた。

周囲の喧騒も、卒業アルバムも、泣き笑いも、全部遠くなって。

そこだけが、時間から外れた空間みたいだった。

 

そして、俺は小さく、はっきりと口にした。

 

「……好きだ、大好きだよ、ミオ」

 

ミオの肩がぴくりと動いた。

少しして、俺の胸の中から、息のように返ってきた。

 

「……あたしも、大好き」

 

それは、泣きながら笑っている声だった。

 

制服姿で、卒業式の終わった学校で、

何度も言ったはずのその言葉が、

なぜか――この日だけは、特別だった。

 

 

駅までの道を、手をつないで歩いた。

制服姿、最後の通学路。

スマホに贈られた、クラスの集合写真を眺めながら。

 

「これ脱いじゃったら、もう本当に終わりって感じするね」

 

「ずっと着てるか?」

 

「バカ」

 

ミオが突き放すように言って、でも笑ってる。

 

「……でも、いいかも。制服、最後にもう一回、着たままくっつくの」

 

「エロいこと言ってる自覚ある?」

 

「ないよ。これがあたしたちの普通。ただの、思い出延長戦」

 

「ふーん……じゃあやってみるか、その延長戦」

 

「……ん。卒業祝いは、部屋で、制服で、ね」

 

その声が少しだけ甘えていて、

でも、言葉よりずっとずっと強く、未来に繋がっていた。

 

制服を脱いでも、春は来る。

でもその前に――

 

きみと過ごした日々が、確かにここにあったという証を、

もう一度、抱きしめておきたい。

ちゃんと、心と体に刻んでおきたい。




次回エピローグ

色がつきました
ありがとうございます……

6話 強制イベントの内容、これいる?※R-18

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