手渡した麦茶で始まったなにか   作:ナイトロ

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2話

 

「じゃ、ちょっと一回、あたし家帰るね?」

 

昼過ぎ。

冷房の効いた部屋でアイスの棒を捨てながら、ミオが唐突に言った。

 

「…戻ってくんの?」

 

「いやいや、そんな引く? 家行かないとさ、いろいろ取ってこれないんだよ。宿題とか、あと下着と化粧水と歯ブラシと……」

 

「いや、なんでそのラインナップ。生活品じゃん」

 

「うん。だから必要なの」

 

俺は口を開けたまま、何も言えなかった。

だが彼女はお構いなしでスニーカーを履き、スマホを握って振り返った。

 

「ちゃんと鍵あけといてねー。あ、アイス買ってきてあげよっか? 保健室のお礼に」

 

「……いや、そもそも帰るっていうか、お前、もう居座る前提なのな」

 

「そうだよ。じゃ、行ってきます」

 

くるっとターンして、俺の部屋から出ていく。

その背中を見送りながら、俺は思った。

 

(完全に、ここを自分の家扱いしてんな……)

 

 

夕方、ミオは大荷物で戻ってきた。

トートバッグには着替えと洗面用具、文房具のポーチ、ノート、問題集――まるで合宿。

 

「……お前、それ何泊分?」

 

「週末までは、とりあえず」

 

「もう確信犯だな」

 

「うん、自覚ある」

 

ミオはスニーカーを脱ぎながら答えた。

足首には細いアンクレット、爪はほんのり薄ピンクに光ってる。

俺はふと、改めてその顔を見た。

目元の感じ。特徴的な長い黒髪。

 

「……やっぱりお前、学校ってかクラスも一緒だったか」

 

「へ?」

 

「黒瀬ミオ。思い出した。前の学期、後ろの席……だったよな?」

 

「うん。そうだよ」

 

「なんで言わなかったんだよ。気づいてたよな?」

 

「まあ気づいてもらえなくてもいいかなって。嫌でも学校で気づくだろうし」

 

「……話したこともなかったのに」

 

「でも、今こうして上がり込んでる。人間何が起こるか分かんないよね」

 

「マジで分からん……」

 

ミオは涼しい顔でリビングへ歩いていく。

もはや部屋主よりも自然な動き。

悪びれることもなく、ミオは荷物をぽんぽんと床に下ろしてソファに座った。

首のうしろを手で仰ぎながら、ポツリとつぶやく。

 

「うち、放置系だからさ。人の気配がないって、じわじわ来るんだよ。」

 

「テレビの音もない。誰かの足音もない。」

 

「自分の呼吸音だけしか聞こえないと、だんだん感覚がおかしくなる」

 

「だから、ここみたいに――誰かが動いてるとか、

勝手に冷蔵庫開けたら怒られるかもとか、

そういうのがある場所のほうが、落ち着くんだよね」

 

「お前んち、そんな感じか」

 

「うん。だからつい、人がいる部屋に、逃げたくなったんだよね」

 

「逃げてきた場所が俺んちってのが納得いかねえけどな」

 

「え、やだ? 食事代くらい渡すよ、お金振り込まれたら」

 

「そうじゃねえ」

 

「じゃあ、いていい?」

 

「……勝手にしろ」

 

ミオは満足げに笑った。

 

「ふふ、ありがと……ねぇ、シン君ってさ、宿題もう終わった?」

 

「ん? ああ、夏休みの? もうとっくに終わらせたけど」

 

「ずるい。代わりにやってよ」

 

「なんでだよ」

 

「だって~、夏休みって、ぐでぐでするためにあるでしょ? なのに宿題って……矛盾してない?」

 

「意味わからん。……ていうか、お前、日付感覚どうなってんだ。もう夏休み、ほぼ終わるぞ?」

 

「……え、ほんと?」

 

「マジだよ。カレンダー見てみろよ」

 

「うわ……ほんとだ。……まあいっか、シン君がやってくれれば問題なし」

 

「だからやんねえって」

 

「じゃあ、手伝ってくれればいいから。横で解き方とか見ててくれるだけでも」

 

ミオは問題集を床に広げ始めた。

俺はしぶしぶ向かいに座り、ノートをのぞき込む。

 

「このページの英語、品詞わかってる?」

 

「しらん」

 

「それで進学する気あるのかよ」

 

「……出席には命かけてる」

 

時間が経つにつれ、ミオのノートは少しずつ埋まり、ページも進んでいく。

夕方にはようやく息をついて、ぺたりとソファに崩れた。

 

「……終わった、かも。夏休み分は全部」

 

「よかったな」

 

「ふー、ほんとに感謝してるよ」

 

「ならアイス奢れよな」

 

「ううん、アイスより……こっち」

 

ミオが身体を起こし、頬に軽く口づけてきた。

ふわりとした熱と、かすかなシャンプーの匂いが鼻先をくすぐる。

 

「……お礼。ちゃんと宿題手伝ってくれたし。ありがとうって思ってるの、分かって欲しかったの」

 

「……ああ」

 

突然の事態に呆けてる俺をよそに、ミオはまたソファに沈み込んで、タオルケットを被った。

唐突な口づけの余韻の中、ふと聞いた。

 

「……お前の親って、どんな感じなんだ?」

 

「旅行中。再婚記念で海外。わたし抜きでね」

 

「……そうか」

 

「うちは放置系だって言ったでしょ。お金は送られてくるけど、連絡はほぼゼロ。だからうち、無音。わたし以外、いない」

 

ソファに寝転んだまま、ミオはタオルケットの中からぽつぽつと続ける。

 

「でもここはさ、シン君がいて、生活音もあるし、麦茶あるし、ごはん出てくるし、……保健室みたい。安心するっていうか、生きてる音がある」

 

「ねえ、今夜もいていい?」

 

「……もう聞くなよ。そんなこと言われたら、断れないって分かってるくせに」

 

「ふふ、ばれた」

 

「……夏休み、もうすぐ終わるんだぞ」

 

「じゃあ、終わるまで居る。……で、二学期始まったらまた宿題出るじゃん?」

 

「……また俺がやれってのか?」

 

「手伝ってって言ってるだけー。ちゃんと先生してくれたら、またお礼するよ?」

 

笑いながら、ミオがソファの隙間に潜り込んでいく。

 

この女の子は、部屋に、空気に、どんどん馴染んでいる。

それが、妙に心地よくなってきているのが――不思議だった。

 

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