手渡した麦茶で始まったなにか   作:ナイトロ

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5話

 

「シン君」

 

放課後の教室、荷物をまとめる俺の背後から、ミオの声が静かに落ちてきた。

視線を向ければ、彼女は窓の外に目を向けたまま、鞄を軽く抱えていた。

 

「……スーパー、寄ってかない? なんか、アイス食べたい気分」

 

「……そうだな。まだ暑いし」

 

そう返しながら、俺はなぜか一瞬、ぞくりとした。

ミオの目線が――違った。

 

彼女の視線に含まれる情報量は、時々えげつない。

見透かすようでもなく、けれど何かを確実に拾っていて、それを言葉にせずに懐にしまいこむような。

 

「……何か、あったか?」

 

俺がそう訊くと、ミオはほんのわずかだけ眉を上げた。

しかしすぐに、それはいつもの気の抜けた笑みに溶けていく。

 

「なにそれ、勘がいい……でも、なんにもないよ?」

 

そう言うくせに、ミオは俺の顔を見上げる時間をほんの少しだけ長くとった。

目が合って、逸らすでもなく、何かを測るような間が落ちた。

それが妙に引っかかって、俺は言葉をなくす。

 

「行こっか」

 

ミオはくるりと背を向け、階段の方へ歩き出した。

制服のスカートがゆるく揺れて、黒いニーソックスが光を吸い込む。

その背中を追いながら、俺は胸の奥に残った微細なひっかかりを拭えずにいた。

 

 

スーパーを出たあと、アイスの袋を持ったまま、ミオと並んで歩く。

夏の夕方はまだ蒸していて、蝉の声が遠くで鳴いていた。

街灯が点き始めた歩道を、俺たちはゆるく歩く。会話は少なめだ。

 

ふいにミオが言った。

 

「家、さ。あたしがいない日って、どう?」

 

「……急に何の話だよ。そもそもいない日なんてほとんど無いだろ」

 

「ううん、なんとなく。ちょっと想像してみただけ」

 

足音が並ぶなか、ミオの呼吸音が妙に意識に残る。

彼女の目は前を向いているはずなのに、また――背中越しに何かを探られている気がした。

 

「もしさ、あたしがいなかったら。スーパーも、帰り道も、シン君ひとりだったんだよ?」

 

「……そうだな」

 

「どう思う? 楽? それとも、ちょっと物足りない?」

 

質問が続くたびに、心の奥に小さな爪が立つ。

これは雑談じゃない。

ミオの声の裏に、“確認”の匂いがする。

 

「……別に、楽とかは」

 

そう言いかけて、言葉が詰まった。

横を見ると、ミオの顔がゆっくりとこちらを向いていた。

 

笑っている。

そして、目は――どこか熱を持っている。

 

「ふうん。そっか」

 

短いその返事は、まるで何かを“確定”させたみたいな音を持っていた。

 

次の瞬間、ミオは歩くペースを半歩だけ落とした。

俺の右腕にそっと自分の左肩を重ねてきて、アイスの袋をこちらへ預ける。

 

「じゃあ、一緒にいてあげる。……勝手にだけど」

 

「は……? なにそれ」

 

「ね、今、ちょっと安心した?」

 

冗談っぽい口調の裏に、剣のない探針みたいな鋭さがあった。

何も見逃さない瞳。俺の動揺さえ、彼女の中ではもうラベル貼って整理されてる気がした。

 

ただのスーパー帰り。

ただの歩道。

ただの会話。

 

それなのに、ミオの“目”だけが、まるで何かの実験みたいに冷たく、静かに俺を測っていた。

 

(……お前、さっきから何を見てる)

 

 

夕飯の後。

冷房の風が静かに部屋を循環している。

テレビは消え、ミオはカーペットに寝転がってスマホをいじっていた。

その姿はいつも通り――に見えた。

 

「ねえ、シン君ってさ」

 

「ん」

 

「好きって言われて、何にも返さないひと?」

 

その問いに、頭が数秒真っ白になった。

 

「……何の話」

 

「いや、ふと思っただけ。

シン君のお母さんの前で好きって言ったときさ。シン君、黙ってたじゃん」

 

「……ああ」

 

「返してくれなかったよね。あれ、無視?」

 

「ちがう」

 

「じゃあ何?」

 

「……タイミング、逃しただけだ」

 

ミオはスマホをぽんと放り投げて、こちらに寝返りを打った。

 

「ふうん。逃したってことは、言うつもりではあったってこと?」

 

「……」

 

「それとも、なかったことにしたい?」

 

「そんなわけない」

 

「なら、なんで言わないの」

 

問い詰めるようでもない、でも全く冗談じゃない声。

 

「言いたいけど、まだうまく言えないだけだよ」

 

「それ、ずるくない?」

 

声に、針があった。

 

「あたしね、言った方が楽だと思ったの。好きって。

そしたらスッキリして、あとは時間が流れるのを待つだけだって」

 

ミオは体を起こし、膝を抱えて座った。

顔は笑っていなかった。

 

「でも、言っても返ってこないと、ぽっかり穴が空いたままなんだよね」

 

「……悪い」

 

「謝らなくていい。でも……もう、待つのやめようかなって」

 

俺はその言葉に、ぞくりとした。

何かが音もなく変わる気配があった。

 

「もうね、こっちから仕掛けてくしかないなって思えてきた。

待ってると、シン君はずーっと何も言わないし、何もしない」

 

「……仕掛けるって」

 

「んー? 何が起きるかは、そのうち教えてあげる」

 

ミオはふっと笑った。いつもの気だるい笑みじゃない。

その裏に、静かな火が灯っていた。

 

「ヒントは、逃げられないやつだよ」

 

「おい、やめろ、怖いこと言うな」

 

「やめない。だって、そっちが動かないなら、あたしが動くしかないでしょ?」

 

ミオは立ち上がり、麦茶を取りにキッチンへ向かった。

背中越しに、最後の一言が飛んできた。

 

「好きって言葉、もったいぶってると使い時逃すよ」

 

そう言って、冷蔵庫を開けた。

そしてもう何も言わず、麦茶を注ぎ、またソファに戻ってきた。

 

俺は何も言えなかった。

言葉にできなかった。それがすべてだった。

 

 

夜中。

いつもどおりミオは俺の横で眠っていた。

でも、手は俺のシャツを軽くつまんでいた。

 

離れない。押し寄せてくる。

 

あの目。あの声。あのヒント。

 

これは――本当に、待ってはくれない。

 

好きなのに。言えない。

 

その隙を、ミオは――もう攻めに変えるつもりだった。

 

その夜の終わりに、俺は気づいた。

次に来るのは、

「強制イベント」

だ。

覚悟しておけ――そう言われた気がした。

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