手渡した麦茶で始まったなにか   作:ナイトロ

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強制イベント


6話

 

週末の夜。

ベッドに敷きっぱなしの布団、テーブルには食べ終わったカレーの皿。

テレビはBGM程度に流れていて、窓の外から虫の声。

 

「風呂、先入ってきていい?」

 

ミオが言った。

タオルを片手に、Tシャツの裾を摘みながら、すこし悪戯っぽい笑み。

 

「ん、いいけど……なんかいつもより準備早くね?」

 

「だって今日は暑かったし。汗かいたからスッキリしたい」

 

言葉は普通。でも、目はぜんぜん普通じゃなかった。

ミオはいつもより長めにシャワーを浴び、バスタオルを巻いたままリビングに戻ってきた。

 

「……着替え、寝室に置いてあったよね?」

 

「あるけど……てか、タオルのまま出てくんな」

 

ミオは何でもないふうに言いながら、俺の隣を通って寝室に入っていった。

そのとき、すれ違いざまに香るシャンプーと、肩の肌に残る水滴。

俺の背筋にゾワリとした何かが走った。

 

こいつは今日、本気で――何かを仕掛けに来ている。

 

 

二人並んで布団に入る。

いつもと同じ配置。

けれど、いつもよりミオの手が落ち着きなく動く。

 

「……ねえ」

 

「なに」

 

「なんで、まだ触れてこないの?」

 

「は?」

 

「一緒に寝てるのに。……触れてこないよね。ずっと」

 

「それは、お前が嫌だったら……」

 

「あたしが嫌な顔した?」

 

「いや、してねえけど」

 

「じゃあなんで?」

 

ミオが身体を起こし、俺の上に乗っかるような姿勢でのぞきこんできた。

Tシャツの襟ぐりがゆるく、白い肌が影を作っている。

 

「好きって言えないなら、触れるのも保留?」

 

「……ちがう。どっちも怖いだけだよ」

 

「なにが怖いの?」

 

「……お前が変わっちまうんじゃないかって」

 

「はは、バカ。変わんないよ」

 

ミオは、俺の手をとって自分の頬に押しあてた。

 

「こうやって、毎日寝てるじゃん。シン君の部屋で。

麦茶飲んで、宿題やって、くっついて、手つないで。

これ以上、変わるって何があるの?」

 

「……」

 

「あたしはね。もう好きって言っちゃったし、ここにいたいって態度でも示した。

あとはシン君が一個でも返してくれたら、それでいいのにって思ってた」

 

「……ごめん」

 

「もうね、ごめんとかいらない」

 

「え」

 

「返事くれないくせに、ごめんだけは言うとか――いちばんむかつくから」

 

ミオの目が、すっと細くなった。

笑っていない。でも怒ってもいない。

 

その代わり、完全に――俺を狙ってた。

 

「もう我慢しない。

好きって言えないなら、せめて反応しろって、こっちから言うしかないでしょ?」

 

ミオは俺の腕を引っ張り、布団の中に身体ごともぐりこんできた。

 

手のひらが、腰に触れる。

素肌の感触。鼓動。距離、ゼロ。

 

「逃げないでよ」

 

「……逃げてねえよ」

 

「じゃあ、目そらさないで」

 

「そらしてねえ」

 

「……じゃあ、返して。ちゃんと好きって、言って。

あたしがこうして触れても、拒否しないくせに――なんで、言ってくれないの」

 

ミオの声は、泣きそうでも泣いてなくて、怒ってるようで静かだった。

 

「言ってくれなきゃ、あたし、止まんないよ?」

 

唇が近づく。

そして――頬じゃない。口元に。

 

最初のキスは短く。

次は、少し長く。

ミオが身体を預けてくる。

細い腕。柔らかい胸。熱。

 

「……シン君。好きって、言って。

じゃなきゃ、あたし――本当に止めないよ。

ま、言われたらかえって止まらなくなると思うけど」

 

俺は言葉を失っていた。

 

好きだという気持ちは、確かにあった。

けれど――まだ、言えなかった。

 

ミオは、その沈黙を確認して、ふっと笑った。

 

「……はい、じゃあ判定。

本日のシン君、またノーポイント。よって、強制突入しまーす」

 

「ちょ、おい――」

 

「もう遅い」

 

ミオの身体が、完全に俺に重なってきた。

唇は首筋に。手はシャツの下に。

 

言葉を放棄した俺に、彼女は行動で答えを要求してきた。

 

好きだ。

なのにまだ、口にできない。

 

でも、もう――逃げられない。

 

「好きだから……シン君をちょうだい?」

 

 

朝、目を開けた瞬間。

世界は静かだった。

セミの声も、遠くの車の音も聞こえるのに、すべてフィルター越しのようだった。

 

隣には、ミオがいた。

 

掛け布団に包まり、顔半分を隠して眠っている。

肩は出ていて、俺のシャツを着ている。それだけ。

首筋に赤く残った跡。薄く開いた唇。寝息のリズム。

 

(……ああ、マジで)

 

やってしまったという言葉じゃ足りなかった。

同じ空間、同じ朝、同じふたり。

けれど、もうあの距離には戻れない。

 

起き上がろうとした俺に、ミオの指が絡む。

目は開いてないのに、掴まれた。

 

「……逃げるなぁ」

 

寝言みたいな声。

でも、しっかり俺の手首を掴んでいた。

 

「逃げてねぇよ。朝飯つくんだよ」

 

「やだ……一緒にいて……」

 

「お前……」

 

「……ふふ、好き……」

 

ミオの口元だけがゆるく笑っていた。

目は閉じたまま、でもたぶん、ほとんど起きてる。

 

その手は俺の手首を掴んだまま、

微かに指先だけ動かして、俺の身体の熱を確かめるように触れていた。

 

何も言わず、俺も布団の中に戻った。

彼女の体温がすぐ隣にある。それだけで、脈が変わったのが自分でもわかる。

 

声が柔らかく、甘えている。

昨夜とはまた違う、壊れそうな透明感。

 

たった一度、重なっただけで――彼女はこんなにも素直になるのか。

それとも、これはもともとあったものを俺が知らなかっただけなのか。

 

(……ああ、もう)

 

昨夜のこと。

好きと言った日から、ミオがどれだけ覚悟してたか。

それを受け止めきれなかった自分が、情けなくて、苦しくて。

 

でも今――

 

(……観念するしかねぇよ)

 

小さく、吐息に混ぜて言った。

 

「……好きだ。

あんなことしといて今更だけど……もう、観念する。負けた」

 

その言葉に、ミオは反応しなかった。

目を閉じたまま、呼吸のリズムも変わらない。

 

けれど、俺にはわかった。

 

彼女の指先が、ほんの少しだけ――俺の腕を、強く握った。

 

聞こえてたか?

分からない。

でも、伝わった気がした。

 

 

数分後。

ミオがぱちりと目を開け、こちらを見た。

寝起きのぼやけた顔。けど、目の奥はちゃんと起きていた。

 

「……おはよ」

 

「お、おう」

 

「……なに? 顔真っ赤だけど」

 

「暑いだけだよ」

 

「ふうん……なんか、いい夢見た気がするなぁ」

 

「どんな夢だよ」

 

「ひみつ。……でも、なんか好きって言われた気がする」

 

言いながら、ミオはにこっと笑った。

 

(やっぱ、聞こえてたか……)

 

心臓が跳ねたけど、もう後戻りできない。

 

伏し目がちにミオは、ぽつりとこぼした。

 

「……ほんとはね、ずっと怖かった」

 

「なにが」

 

「シン君が“好きじゃないけど優しい”人だったら、どうしようって。

断れなくて流されるだけの人だったらって。

それであたし、勝手に先走って、押しつけて、ふたりで傷つくだけだったらって」

 

俺は何も言えなかった。

だって、それに完全には反論できない自分がいた。

 

「でも、あたし……信じたからね。

好きな人が触れてくれたこと。ちゃんと、あたしのこと見てくれたこと。

それだけで……あたし、もうどうなってもいいって思った」

 

「ミオ」

 

思わず名前を呼んだ。

これまで“おい”とか“お前”とか、そうやって逃げてきた言葉じゃなくて、

ちゃんと、名前で。

 

ミオは少しだけ目を大きくして、こちらを見た。

 

「……いま、呼んだ?」

 

「ああ。呼んだよ。ミオって」

 

彼女の唇が、ゆっくり笑みに変わった。

 

「……えへ。いい音」

 

「名前に音とかねえだろ」

 

「あるよ。……好きな人に呼ばれると、ぜんぜん違う」

 

布団の中でミオは手を伸ばし、俺の胸に額を押し当てた。

 

「ミオ、って」

 

「……なんだよ」

 

「なんでもない。もう一回言ってほしかっただけ」

 

「……ミオ」

 

「うん、好き」

 

短く、息を吐くように言ってから、彼女は目を閉じた。

俺はその頭をそっと撫でることしかできなかった。

 

好き。もう何度目かわからない。

 

でも、たぶん――これが本当の一回目だったんだ。

 

 

その朝、ふたりでキッチンに立った。

目玉焼きを焼くミオの背中。

コップに牛乳を注ぐ俺。

日常が戻ってきたふうでいて、すべてが違っていた。

ミオが皿を運びながら言った。

 

「ねぇ、今日から呼び方、変えていい?」

 

「え?」

 

「シン君じゃなくて、シンって」

 

「……別に、いいけど」

 

「じゃあ、シン」

 

「……」

 

「今ので赤くなったの確認。よし、記念日成功」

 

「うるせえな」

 

「うるさくするよ、今日は特に」

 

ミオは満足げに笑った。

その笑顔が、照れ隠しじゃないってだけで、俺の胸はいっぱいだった。

朝食を終えて片づけをしていると、ミオが突然言った。

 

「……ねぇ」

 

「ん?」

 

「また、する?」

 

「……は?」

 

「べつに今すぐってわけじゃないけど。

あれって一回だけで終わりとか、ないよね?」

 

俺はスプーンを落としそうになった。

 

「いや……そんな唐突におかわり要求みたいな……」

 

「違うよ、そういう意味じゃなくて。

あたしが今、ちゃんと彼女って思っていいのかどうかって話」

 

「それは……」

 

答えようとしたけど、言葉がまた詰まった。

するとミオはそっと笑って言った。

 

「じゃあそれ、次までに決めといて。

あたし、待てないから。今度は明確に奪いにいくよ」

 

「……奪ってなかったのかよ昨日」

 

「だって、好きって言った人と一緒に寝たって、あたしの中じゃもう無敵だからさ」

 

「それは……理屈になってるようでなってない」

 

「じゃあ、理屈抜きで奪う」

 

「やっぱそれが本音かよ」

 

「本音。全部本音」

 

言葉で言うより先に、体が交わってしまった朝。

名前で呼ぶことで、後戻りできなくなった距離。

 

もう、ふたりはただの曖昧な同居じゃない。

もう、ただの好き、じゃ足りないのは、互いに知っていた。




この話の強制イベント、書きましたので良かったら作者ページからどうぞ

6話 強制イベントの内容、これいる?※R-18

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