週末の夜。
ベッドに敷きっぱなしの布団、テーブルには食べ終わったカレーの皿。
テレビはBGM程度に流れていて、窓の外から虫の声。
「風呂、先入ってきていい?」
ミオが言った。
タオルを片手に、Tシャツの裾を摘みながら、すこし悪戯っぽい笑み。
「ん、いいけど……なんかいつもより準備早くね?」
「だって今日は暑かったし。汗かいたからスッキリしたい」
言葉は普通。でも、目はぜんぜん普通じゃなかった。
ミオはいつもより長めにシャワーを浴び、バスタオルを巻いたままリビングに戻ってきた。
「……着替え、寝室に置いてあったよね?」
「あるけど……てか、タオルのまま出てくんな」
ミオは何でもないふうに言いながら、俺の隣を通って寝室に入っていった。
そのとき、すれ違いざまに香るシャンプーと、肩の肌に残る水滴。
俺の背筋にゾワリとした何かが走った。
こいつは今日、本気で――何かを仕掛けに来ている。
*
二人並んで布団に入る。
いつもと同じ配置。
けれど、いつもよりミオの手が落ち着きなく動く。
「……ねえ」
「なに」
「なんで、まだ触れてこないの?」
「は?」
「一緒に寝てるのに。……触れてこないよね。ずっと」
「それは、お前が嫌だったら……」
「あたしが嫌な顔した?」
「いや、してねえけど」
「じゃあなんで?」
ミオが身体を起こし、俺の上に乗っかるような姿勢でのぞきこんできた。
Tシャツの襟ぐりがゆるく、白い肌が影を作っている。
「好きって言えないなら、触れるのも保留?」
「……ちがう。どっちも怖いだけだよ」
「なにが怖いの?」
「……お前が変わっちまうんじゃないかって」
「はは、バカ。変わんないよ」
ミオは、俺の手をとって自分の頬に押しあてた。
「こうやって、毎日寝てるじゃん。シン君の部屋で。
麦茶飲んで、宿題やって、くっついて、手つないで。
これ以上、変わるって何があるの?」
「……」
「あたしはね。もう好きって言っちゃったし、ここにいたいって態度でも示した。
あとはシン君が一個でも返してくれたら、それでいいのにって思ってた」
「……ごめん」
「もうね、ごめんとかいらない」
「え」
「返事くれないくせに、ごめんだけは言うとか――いちばんむかつくから」
ミオの目が、すっと細くなった。
笑っていない。でも怒ってもいない。
その代わり、完全に――俺を狙ってた。
「もう我慢しない。
好きって言えないなら、せめて反応しろって、こっちから言うしかないでしょ?」
ミオは俺の腕を引っ張り、布団の中に身体ごともぐりこんできた。
手のひらが、腰に触れる。
素肌の感触。鼓動。距離、ゼロ。
「逃げないでよ」
「……逃げてねえよ」
「じゃあ、目そらさないで」
「そらしてねえ」
「……じゃあ、返して。ちゃんと好きって、言って。
あたしがこうして触れても、拒否しないくせに――なんで、言ってくれないの」
ミオの声は、泣きそうでも泣いてなくて、怒ってるようで静かだった。
「言ってくれなきゃ、あたし、止まんないよ?」
唇が近づく。
そして――頬じゃない。口元に。
最初のキスは短く。
次は、少し長く。
ミオが身体を預けてくる。
細い腕。柔らかい胸。熱。
「……シン君。好きって、言って。
じゃなきゃ、あたし――本当に止めないよ。
ま、言われたらかえって止まらなくなると思うけど」
俺は言葉を失っていた。
好きだという気持ちは、確かにあった。
けれど――まだ、言えなかった。
ミオは、その沈黙を確認して、ふっと笑った。
「……はい、じゃあ判定。
本日のシン君、またノーポイント。よって、強制突入しまーす」
「ちょ、おい――」
「もう遅い」
ミオの身体が、完全に俺に重なってきた。
唇は首筋に。手はシャツの下に。
言葉を放棄した俺に、彼女は行動で答えを要求してきた。
好きだ。
なのにまだ、口にできない。
でも、もう――逃げられない。
「好きだから……シン君をちょうだい?」
*
朝、目を開けた瞬間。
世界は静かだった。
セミの声も、遠くの車の音も聞こえるのに、すべてフィルター越しのようだった。
隣には、ミオがいた。
掛け布団に包まり、顔半分を隠して眠っている。
肩は出ていて、俺のシャツを着ている。それだけ。
首筋に赤く残った跡。薄く開いた唇。寝息のリズム。
(……ああ、マジで)
やってしまったという言葉じゃ足りなかった。
同じ空間、同じ朝、同じふたり。
けれど、もうあの距離には戻れない。
起き上がろうとした俺に、ミオの指が絡む。
目は開いてないのに、掴まれた。
「……逃げるなぁ」
寝言みたいな声。
でも、しっかり俺の手首を掴んでいた。
「逃げてねぇよ。朝飯つくんだよ」
「やだ……一緒にいて……」
「お前……」
「……ふふ、好き……」
ミオの口元だけがゆるく笑っていた。
目は閉じたまま、でもたぶん、ほとんど起きてる。
その手は俺の手首を掴んだまま、
微かに指先だけ動かして、俺の身体の熱を確かめるように触れていた。
何も言わず、俺も布団の中に戻った。
彼女の体温がすぐ隣にある。それだけで、脈が変わったのが自分でもわかる。
声が柔らかく、甘えている。
昨夜とはまた違う、壊れそうな透明感。
たった一度、重なっただけで――彼女はこんなにも素直になるのか。
それとも、これはもともとあったものを俺が知らなかっただけなのか。
(……ああ、もう)
昨夜のこと。
好きと言った日から、ミオがどれだけ覚悟してたか。
それを受け止めきれなかった自分が、情けなくて、苦しくて。
でも今――
(……観念するしかねぇよ)
小さく、吐息に混ぜて言った。
「……好きだ。
あんなことしといて今更だけど……もう、観念する。負けた」
その言葉に、ミオは反応しなかった。
目を閉じたまま、呼吸のリズムも変わらない。
けれど、俺にはわかった。
彼女の指先が、ほんの少しだけ――俺の腕を、強く握った。
聞こえてたか?
分からない。
でも、伝わった気がした。
*
数分後。
ミオがぱちりと目を開け、こちらを見た。
寝起きのぼやけた顔。けど、目の奥はちゃんと起きていた。
「……おはよ」
「お、おう」
「……なに? 顔真っ赤だけど」
「暑いだけだよ」
「ふうん……なんか、いい夢見た気がするなぁ」
「どんな夢だよ」
「ひみつ。……でも、なんか好きって言われた気がする」
言いながら、ミオはにこっと笑った。
(やっぱ、聞こえてたか……)
心臓が跳ねたけど、もう後戻りできない。
伏し目がちにミオは、ぽつりとこぼした。
「……ほんとはね、ずっと怖かった」
「なにが」
「シン君が“好きじゃないけど優しい”人だったら、どうしようって。
断れなくて流されるだけの人だったらって。
それであたし、勝手に先走って、押しつけて、ふたりで傷つくだけだったらって」
俺は何も言えなかった。
だって、それに完全には反論できない自分がいた。
「でも、あたし……信じたからね。
好きな人が触れてくれたこと。ちゃんと、あたしのこと見てくれたこと。
それだけで……あたし、もうどうなってもいいって思った」
「ミオ」
思わず名前を呼んだ。
これまで“おい”とか“お前”とか、そうやって逃げてきた言葉じゃなくて、
ちゃんと、名前で。
ミオは少しだけ目を大きくして、こちらを見た。
「……いま、呼んだ?」
「ああ。呼んだよ。ミオって」
彼女の唇が、ゆっくり笑みに変わった。
「……えへ。いい音」
「名前に音とかねえだろ」
「あるよ。……好きな人に呼ばれると、ぜんぜん違う」
布団の中でミオは手を伸ばし、俺の胸に額を押し当てた。
「ミオ、って」
「……なんだよ」
「なんでもない。もう一回言ってほしかっただけ」
「……ミオ」
「うん、好き」
短く、息を吐くように言ってから、彼女は目を閉じた。
俺はその頭をそっと撫でることしかできなかった。
好き。もう何度目かわからない。
でも、たぶん――これが本当の一回目だったんだ。
*
その朝、ふたりでキッチンに立った。
目玉焼きを焼くミオの背中。
コップに牛乳を注ぐ俺。
日常が戻ってきたふうでいて、すべてが違っていた。
ミオが皿を運びながら言った。
「ねぇ、今日から呼び方、変えていい?」
「え?」
「シン君じゃなくて、シンって」
「……別に、いいけど」
「じゃあ、シン」
「……」
「今ので赤くなったの確認。よし、記念日成功」
「うるせえな」
「うるさくするよ、今日は特に」
ミオは満足げに笑った。
その笑顔が、照れ隠しじゃないってだけで、俺の胸はいっぱいだった。
朝食を終えて片づけをしていると、ミオが突然言った。
「……ねぇ」
「ん?」
「また、する?」
「……は?」
「べつに今すぐってわけじゃないけど。
あれって一回だけで終わりとか、ないよね?」
俺はスプーンを落としそうになった。
「いや……そんな唐突におかわり要求みたいな……」
「違うよ、そういう意味じゃなくて。
あたしが今、ちゃんと彼女って思っていいのかどうかって話」
「それは……」
答えようとしたけど、言葉がまた詰まった。
するとミオはそっと笑って言った。
「じゃあそれ、次までに決めといて。
あたし、待てないから。今度は明確に奪いにいくよ」
「……奪ってなかったのかよ昨日」
「だって、好きって言った人と一緒に寝たって、あたしの中じゃもう無敵だからさ」
「それは……理屈になってるようでなってない」
「じゃあ、理屈抜きで奪う」
「やっぱそれが本音かよ」
「本音。全部本音」
言葉で言うより先に、体が交わってしまった朝。
名前で呼ぶことで、後戻りできなくなった距離。
もう、ふたりはただの曖昧な同居じゃない。
もう、ただの好き、じゃ足りないのは、互いに知っていた。
この話の強制イベント、書きましたので良かったら作者ページからどうぞ
6話 強制イベントの内容、これいる?※R-18
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いらない
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いる