手渡した麦茶で始まったなにか   作:ナイトロ

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強制イベント


6話

 

週末の夜。

ベッドに敷きっぱなしの布団、テーブルには食べ終わったカレーの皿。

テレビはBGM程度に流れていて、窓の外から虫の声。

 

「風呂、先入ってきていい?」

 

ミオが言った。

タオルを片手に、Tシャツの裾を摘みながら、すこし悪戯っぽい笑み。

 

「ん、いいけど……なんかいつもより準備早くね?」

 

「だって今日は暑かったし。汗かいたからスッキリしたい」

 

言葉は普通。でも、目はぜんぜん普通じゃなかった。

ミオはいつもより長めにシャワーを浴び、バスタオルを巻いたままリビングに戻ってきた。

 

「……着替え、寝室に置いてあったよね?」

 

「あるけど……てか、タオルのまま出てくんな」

 

ミオは何でもないふうに言いながら、俺の隣を通って寝室に入っていった。

そのとき、すれ違いざまに香るシャンプーと、肩の肌に残る水滴。

俺の背筋にゾワリとした何かが走った。

 

こいつは今日、本気で――何かを仕掛けに来ている。

 

*

 

二人並んで布団に入る。

いつもと同じ配置。

けれど、いつもよりミオの手が落ち着きなく動く。

 

「……ねえ」

 

「なに」

 

「なんで、まだ触れてこないの?」

 

「は?」

 

「一緒に寝てるのに。……触れてこないよね。ずっと」

 

「それは、お前が嫌だったら……」

 

「あたしが嫌な顔した?」

 

「いや、してねえけど」

 

「じゃあなんで?」

 

ミオが身体を起こし、俺の上に乗っかるような姿勢でのぞきこんできた。

Tシャツの襟ぐりがゆるく、白い肌が影を作っている。

 

「好きって言えないなら、触れるのも保留?」

 

「……ちがう。どっちも怖いだけだよ」

 

「なにが怖いの?」

 

「……お前が変わっちまうんじゃないかって」

 

「はは、バカ。変わんないよ」

 

ミオは、俺の手をとって自分の頬に押しあてた。

 

「こうやって、毎日寝てるじゃん。シン君の部屋で。

麦茶飲んで、宿題やって、くっついて、手つないで。

これ以上、変わるって何があるの?」

 

「……」

 

「あたしはね。もう好きって言っちゃったし、ここにいたいって態度でも示した。

あとはシン君が一個でも返してくれたら、それでいいのにって思ってた」

 

「……ごめん」

 

「もうね、ごめんとかいらない」

 

「え」

 

「返事くれないくせに、ごめんだけは言うとか――いちばんむかつくから」

 

ミオの目が、すっと細くなった。

笑っていない。でも怒ってもいない。

 

その代わり、完全に――俺を狙ってた。

 

「もう我慢しない。

好きって言えないなら、せめて反応しろって、こっちから言うしかないでしょ?」

 

ミオは俺の腕を引っ張り、布団の中に身体ごともぐりこんできた。

 

手のひらが、腰に触れる。

素肌の感触。鼓動。距離、ゼロ。

 

「逃げないでよ」

 

「……逃げてねえよ」

 

「じゃあ、目そらさないで」

 

「そらしてねえ」

 

「……じゃあ、返して。ちゃんと好きって、言って。

あたしがこうして触れても、拒否しないくせに――なんで、言ってくれないの」

 

ミオの声は、泣きそうでも泣いてなくて、怒ってるようで静かだった。

 

「言ってくれなきゃ、あたし、止まんないよ?」

 

唇が近づく。

そして――頬じゃない。口元に。

 

最初のキスは短く。

次は、少し長く。

ミオが身体を預けてくる。

細い腕。柔らかい胸。熱。

 

「……シン君。好きって、言って。

じゃなきゃ、あたし――本当に止めないよ。

ま、言われたらかえって止まらなくなると思うけど」

 

俺は言葉を失っていた。

 

好きだという気持ちは、確かにあった。

けれど――まだ、言えなかった。

 

ミオは、その沈黙を確認して、ふっと笑った。

 

「……はい、じゃあ判定。

本日のシン君、またノーポイント。よって、強制突入しまーす」

 

「ちょ、おい――」

 

「もう遅い」

 

ミオの身体が、完全に俺に重なってきた。

唇は首筋に。手はシャツの下に。

 

言葉を放棄した俺に、彼女は行動で答えを要求してきた。

 

好きだ。

なのにまだ、口にできない。

 

でも、もう――逃げられない。

 

「好きだから……シン君をちょうだい?」

 

*

 

朝、目を開けた瞬間。

世界は静かだった。

セミの声も、遠くの車の音も聞こえるのに、すべてフィルター越しのようだった。

 

隣には、ミオがいた。

 

掛け布団に包まり、顔半分を隠して眠っている。

肩は出ていて、俺のシャツを着ている。それだけ。

首筋に赤く残った跡。薄く開いた唇。寝息のリズム。

 

(……ああ、マジで)

 

やってしまったという言葉じゃ足りなかった。

同じ空間、同じ朝、同じふたり。

けれど、もうあの距離には戻れない。

 

起き上がろうとした俺に、ミオの指が絡む。

目は開いてないのに、掴まれた。

 

「……逃げるなぁ」

 

寝言みたいな声。

でも、しっかり俺の手首を掴んでいた。

 

「逃げてねぇよ。朝飯つくんだよ」

 

「やだ……一緒にいて……」

 

「お前……」

 

「……ふふ、好き……」

 

ミオの口元だけがゆるく笑っていた。

目は閉じたまま、でもたぶん、ほとんど起きてる。

 

その手は俺の手首を掴んだまま、

微かに指先だけ動かして、俺の身体の熱を確かめるように触れていた。

 

何も言わず、俺も布団の中に戻った。

彼女の体温がすぐ隣にある。それだけで、脈が変わったのが自分でもわかる。

 

声が柔らかく、甘えている。

昨夜とはまた違う、壊れそうな透明感。

 

たった一度、重なっただけで――彼女はこんなにも素直になるのか。

それとも、これはもともとあったものを俺が知らなかっただけなのか。

 

(……ああ、もう)

 

昨夜のこと。

好きと言った日から、ミオがどれだけ覚悟してたか。

それを受け止めきれなかった自分が、情けなくて、苦しくて。

 

でも今――

 

(……観念するしかねぇよ)

 

小さく、吐息に混ぜて言った。

 

「……好きだ。

あんなことしといて今更だけど……もう、観念する。負けた」

 

その言葉に、ミオは反応しなかった。

目を閉じたまま、呼吸のリズムも変わらない。

 

けれど、俺にはわかった。

 

彼女の指先が、ほんの少しだけ――俺の腕を、強く握った。

 

聞こえてたか?

分からない。

でも、伝わった気がした。

 

*

 

数分後。

ミオがぱちりと目を開け、こちらを見た。

寝起きのぼやけた顔。けど、目の奥はちゃんと起きていた。

 

「……おはよ」

 

「お、おう」

 

「……なに? 顔真っ赤だけど」

 

「暑いだけだよ」

 

「ふうん……なんか、いい夢見た気がするなぁ」

 

「どんな夢だよ」

 

「ひみつ。……でも、なんか好きって言われた気がする」

 

言いながら、ミオはにこっと笑った。

 

(やっぱ、聞こえてたか……)

 

心臓が跳ねたけど、もう後戻りできない。

 

伏し目がちにミオは、ぽつりとこぼした。

 

「……ほんとはね、ずっと怖かった」

 

「なにが」

 

「シン君が“好きじゃないけど優しい”人だったら、どうしようって。

断れなくて流されるだけの人だったらって。

それであたし、勝手に先走って、押しつけて、ふたりで傷つくだけだったらって」

 

俺は何も言えなかった。

だって、それに完全には反論できない自分がいた。

 

「でも、あたし……信じたからね。

好きな人が触れてくれたこと。ちゃんと、あたしのこと見てくれたこと。

それだけで……あたし、もうどうなってもいいって思った」

 

「ミオ」

 

思わず名前を呼んだ。

これまで“おい”とか“お前”とか、そうやって逃げてきた言葉じゃなくて、

ちゃんと、名前で。

 

ミオは少しだけ目を大きくして、こちらを見た。

 

「……いま、呼んだ?」

 

「ああ。呼んだよ。ミオって」

 

彼女の唇が、ゆっくり笑みに変わった。

 

「……えへ。いい音」

 

「名前に音とかねえだろ」

 

「あるよ。……好きな人に呼ばれると、ぜんぜん違う」

 

布団の中でミオは手を伸ばし、俺の胸に額を押し当てた。

 

「ミオ、って」

 

「……なんだよ」

 

「なんでもない。もう一回言ってほしかっただけ」

 

「……ミオ」

 

「うん、好き」

 

短く、息を吐くように言ってから、彼女は目を閉じた。

俺はその頭をそっと撫でることしかできなかった。

 

好き。もう何度目かわからない。

 

でも、たぶん――これが本当の一回目だったんだ。

 

*

 

その朝、ふたりでキッチンに立った。

目玉焼きを焼くミオの背中。

コップに牛乳を注ぐ俺。

日常が戻ってきたふうでいて、すべてが違っていた。

ミオが皿を運びながら言った。

 

「ねぇ、今日から呼び方、変えていい?」

 

「え?」

 

「シン君じゃなくて、シンって」

 

「……別に、いいけど」

 

「じゃあ、シン」

 

「……」

 

「今ので赤くなったの確認。よし、記念日成功」

 

「うるせえな」

 

「うるさくするよ、今日は特に」

 

ミオは満足げに笑った。

その笑顔が、照れ隠しじゃないってだけで、俺の胸はいっぱいだった。

朝食を終えて片づけをしていると、ミオが突然言った。

 

「……ねぇ」

 

「ん?」

 

「また、する?」

 

「……は?」

 

「べつに今すぐってわけじゃないけど。

あれって一回だけで終わりとか、ないよね?」

 

俺はスプーンを落としそうになった。

 

「いや……そんな唐突におかわり要求みたいな……」

 

「違うよ、そういう意味じゃなくて。

あたしが今、ちゃんと彼女って思っていいのかどうかって話」

 

「それは……」

 

答えようとしたけど、言葉がまた詰まった。

するとミオはそっと笑って言った。

 

「じゃあそれ、次までに決めといて。

あたし、待てないから。今度は明確に奪いにいくよ」

 

「……奪ってなかったのかよ昨日」

 

「だって、好きって言った人と一緒に寝たって、あたしの中じゃもう無敵だからさ」

 

「それは……理屈になってるようでなってない」

 

「じゃあ、理屈抜きで奪う」

 

「やっぱそれが本音かよ」

 

「本音。全部本音」

 

言葉で言うより先に、体が交わってしまった朝。

名前で呼ぶことで、後戻りできなくなった距離。

 

もう、ふたりはただの曖昧な同居じゃない。

もう、ただの好き、じゃ足りないのは、互いに知っていた。




この話の強制イベント、書きましたので良かったら作者ページからどうぞ

6話 強制イベントの内容、これいる?※R-18

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