もしも東方projectの世界にシシ神がいたら 作:ジョン・N
皆様のおかげで、連日投稿できました。
(前話で終わったまま置いておくのは、私にもツラいものがありましたので……)
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翌朝。緑なす山々に陽の光がほのかに射し込み、諏訪の森は生き物たちの活気で溢れていた。山の獣たちが草木を揺らし、鳥の鳴き声が森にこだまする。青空の下、木々の葉が陽光を受けて輝き、清々しい空気が充ちている。
妹紅と影狼は枯葉の積もる獣道を歩いていた。人里への道を知る影狼の足取りに迷いはない。しかし、二人の足取りは重く、緊張が漂っていた。
明るい森の空気とは裏腹に、妹紅の表情は曇っている。陰鬱な雰囲気を纏いながら、山を下りていく。影狼もまた、周囲をそわそわと見回しながら歩いている。人里に向かうことが不安で、足取りもどこかぎこちない。
しかし、足取りが重くても、歩いてさえいれば、いずれは目的地に着く。森を抜けると、やがて湖のそばに広がる人間の里が見えてきた。
「ほら、あそこが諏訪の里だよ」
森の入口で、影狼が眼下に広がる里を指さす。
諏訪の国にある里は、諏訪湖と隣接しており、里を囲むようにアワやヒエなどの畑が季節の恵みを蓄えながら広がっている。里には竪穴式住居と高床式倉庫が並び、高台には立派な社が建っている。かまどの火が燃えているのか、所々から煙が立ち上っている。森の中では感じられなかった人の暮らしの匂いが、風に乗って微かに漂ってくる。大人たちは諏訪湖で漁をしたり、畑の面倒を見ている。そして子供たちは無邪気に笑いながら遊んでいる。京の都と比べれば古風な暮らしの風景だが、それでも実った畑の作物や湖の様子から里の人たちが豊かに暮らしているのが分かる。
これも、森のシシ神と里の土着神の恩恵だろう。
「……豊かな里だな」
妹紅はぽつりと呟く。別に飢饉や疫病を望んでいたわけではないが、ただ、平穏であればあるほど、里の人たちに自分の存在が異質に思われてしまう。その事実が、彼女の内にある陰鬱さをいっそう深くした。
「案内ありがとう。ここまでで大丈夫だ」
「えっ、でも……!」
「ここからは私一人で行く」
妹紅は振り返り、不安げな顔をしている影狼に向き直り、頭を下げた。
「お前には世話になった。礼を言う」
「いや、私は別に……」
「じゃあ、達者でな」
影狼の返事を待たずに、妹紅は里に向かって歩みを進め始める。妹紅の丁寧な礼に、影狼はふと胸騒ぎを覚えた。まるで、これが最後の別れだと、妹紅が言っているように影狼は感じ取った。里へと歩いていく彼女の背中は、あの世へと足を踏み入れようとする誰かのように遠く感じられた。
「……ねぇ!」
そんな妹紅の背中を森の入口から見つめながら、影狼は思わず声を掛けた。
「私、ずっとこの森にいるからさ……その、またおいでよ」
その影狼の言葉に、妹紅は思わず足を止め、目を見開いて振り返る。
自信なさげながらも、影狼はまっすぐ妹紅を見つめていた。その彼女の頭には、住処の樹から生まれたコダマが一匹座っている。そしてそのコダマは首を捻るように傾けて、妹紅に向かってカタカタと音を鳴らした。
森から心地良いそよ風が吹き、影狼と妹紅の髪を揺らす。
「……ふふ」
そんな影狼の様子を見て、朝から無表情だった妹紅の口元に、初めて微笑が浮かんだ。
「あぁ。その時は、よろしく頼むよ」
妹紅は片手をあげて影狼に軽く手を振ると、そのまま里へ歩いていく。不思議とその足取りは、先ほどよりもしっかりと地面を踏みしめている。
影狼は風を受け歩いていく妹紅の背中を最後まで見つめていた。
***
森から出て、しばらく野原を歩いた。やがて妹紅は稲穂の畑を抜け、里へとつながる道に出た。森と違って、その道は里の人たちによって歩きやすいように整備されている。勾配も平坦になり、邪魔な岩や木の根もない。だが同時に、その道を歩いていると、外から来た妹紅の姿が里の人たちの目につき始めた。
頭に手ぬぐいを巻いた漁師、鍬を手にした農夫、籠を抱えた女たち。追いかけっこをする子供たちもいる。すれ違って行く者や、遠巻きに眺める者。皆、見慣れない妹紅の姿に、警戒した視線を向ける。
妹紅が見返すと、白髪に真っ赤な瞳という、どこか人間離れした彼女の姿を見て、子供たちは怯えたように逃げ出し、大人たちは口元を隠してヒソヒソと話す。隠しているつもりだろうが、口々に「他所者だ」「白髪だ……」「若いのか、年寄りなのか?」「物の怪か?」と囁き合う声が聞こえてくる。
まるで妖怪や化け物を見るような眼差しに、妹紅の胸はぎゅっと締めつけられた。心の奥が、鉛のように沈んでいく。
周囲の視線に晒されながらも、妹紅は歩を止めず、諏訪の土着神がいる社……守矢神社を目指す。この里に来るのは初めての妹紅だったが、神社が高台にあることは確認していたため、その記憶を頼りに足を進める。
「……ここか」
やがて、妹紅は神社の入口である石段の前に辿り着いた。目の前には、ここから先が神の領域であるのを表しているかのような立派な鳥居が建っている。その静かな威圧に、妹紅は無意識に足を止めていた。
まるで鳥居を通して、この奥にいる神に、見下ろされているかのようだ。
「……いや、違うな」
妹紅は右腕を撫でながら、ひとり呟く。自分が恐れているのは、目の前の神聖な鳥居でも、この奥にいる神でもない。
絶望と分かって落ちるより、希望にすがった末に落ちた方が、ずっと痛みが大きい。また神に縋って、この痣が治らないことを、妹紅は恐れていた。
この恐怖は、影狼の住処を出たときからじわじわと感じていた。だが、ここに来て、身が震えるほど強烈に実感した。
「この臆病者め……」
妹紅は俯き、一歩踏み出せない自分に悪態をつく。怒りから髪の毛が逆立ち、毛先が風に乗って舞い上がるように広がった。その際、無意識に右腕に力が入り、痣が熱を帯びて脈打ち始めた。皮膚の下で何かが動き出すような感覚が走る。
このまま右腕の痣が蠢きだそうとした直前、妹紅のそばに何者かの気配が現れる。
「あなた、随分と“変わったもの”を背負ってるね?」
ふと聴こえてきた子供のような明るい声に、妹紅は驚いて振り向く。するとそこには、蛙の目のような飾りがついた帽子をかぶった、綺麗な金髪の童女が妹紅を見上げていた。
どこから現れたのか、その存在感は風のように自然で、どこか神秘的だ。その雰囲気に当てられ、右腕の疼きはどこかへ身を潜めたのだった。
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……つづく