もしも東方projectの世界にシシ神がいたら 作:ジョン・N
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諏訪子と別れた妹紅は、来た道を引き返して里から出ると、そのまま諏訪の森の中へと入った。目指す場所は、シシ神がいると思われる場所……『シシ神の御池』。連なる山を越え、木々を掻き分け、森の奥にある、その池を目指して、妹紅は森の中を一人歩いていた。
赤いズボンと白く長く流れる髪は、緑の森の中でひときわ目を引く。周りの木々にいるコダマだけでなく、野生動物にもよく見える格好だ。しかしそんなことはお構いなしに、大木の根や岩場を踏みながら、山の斜面を登っていく。その表情は凛として、一切迷いはない。
森の中を歩くこと、およそ半日。目的の池を探しながら、妹紅は歩き続けた。頭上の陽も西の空に向かって落ち始めている。
「はぁ……はぁ……すぅぅはぁぁ……」
妹紅は足を止め、膝に手をついて休みながら乱れた息を整える。森の新鮮な空気が肺を満たし、呼吸が楽になっていく。とはいえ、心の中の懸念は消えない。森は深くて広い。影狼に案内されて里へ出た時と違い、進むべき方向も分かっていない。
妹紅は自分の無鉄砲っぷりと浅はかさに呆れると同時に、この森で暮らしている影狼に尊敬の念を抱いた。
「森に入る前に、諏訪子から聞いておくべきだったな……ん?」
ふと、妹紅の近くにある茂みが音を立てて揺れた。
動物か、妖怪か……少なくとも、風によるものではないことは明らかだ。鼠やミノノハシ、猩々に、狼と、この森の野生動物は多種多様だ。森にいる間、妹紅は森に棲む生き物たちを何度も目にしてきた。おまけに、影狼のような妖怪の類もいる。何が出てきてもおかしくはない。
妹紅は警戒しながら、茂みの奥にいる何かを注視する。
やがて、茂みの中から何かがゆっくりと姿を現した。
「……なんだ、子鹿か」
現れたのは、まだ子供の鹿だった。横長な耳とつぶらな瞳を持つ面長な顔。茶褐色と白い体毛に覆われ、体高は妹紅の膝にも満たず、細い四肢で体を支えている。
野生の鹿にしては、警戒心がまるでない。敵意どころか、むしろ衰弱しているように見える。妹紅の目の前に出てきたにもかかわらず、子鹿はまるで彼女の存在に気づいていないかのように、ふらふらと歩いてきた。
「お前、怪我してるのか?」
子鹿の足を引きずる歩き方に、妹紅は首を傾げた。よく見ると、左の後ろ足が地面についておらず、不自然な角度に曲がり、乾いた血が毛にこびりついている。
「足が折れてるな。崖からでも落ちたのか……?」
この森の地形は複雑で、高低差のある岩肌や崖も多い。親鹿がいないことから見ても、崖から落ちて逸れたと考えるのが自然だろう。
妹紅は目を細め、ほんの一瞬、静かに目を伏せた。
「不運だな……」
残念だが、これも自然の摂理だと、妹紅は子鹿から目を外し、先を急ごうと足を進めた。これまでも、飢えた獣や怪我を負った野生動物を何度も目にしてきた。動物だけでなく、飢饉や干ばつで苦しんでいる村人たちもいた。
その光景を目にするたびに、妹紅は目を背け、世の中はそういうものだと自分に言い聞かせてきた。
「……っ!」
だが今は何故か、目の前の子鹿を見捨てることに、妹紅は大きな罪悪感を抱いた。握りしめた拳が震え、足はまるで地面に縫いとめられたかのように動かなかった。
森を抜ける風が妹紅の髪を揺らす。脳裏には、過去に自分が富士山から蹴落とした岩笠の姿が浮かぶ。蹴落として人を殺した自分が、今度は崖から落ちて怪我をした動物を哀れんでいる。手を伸ばすことは簡単だが、今さら罪滅ぼしのつもりかと、もう一人の自分が心の中で咎める。
葛藤の末、妹紅は目を閉じて頭の中の邪念を振り払うように顔を振った。そして意を決すると同時に、妹紅の手の震えは止まった。
「……これで、私の罪が消えるとは思わないけど」
妹紅はゆっくりと振り返り、子鹿のもとへ向かうと、そっと膝をつき、その小さな体を優しく抱き上げた。
「ついでだ。シシ神のところに連れて行ってやるよ」
子鹿は抵抗することなく、妹紅の腕の中で身を縮め、安心したように小さく丸くなった。
赤ん坊を抱くように、胸元に子鹿を抱えた妹紅は、シシ神の御池を目指して、また歩みを進め始めた。
***
日が暮れ、あたりは徐々に暗くなっていく。幸いまだ周辺を目視できる程度には明るいが、苔のついた大木に止まる光虫の明かりが青白い光を放っている。空を見上げると、弓状の形をした月が昇っている。
妹紅は子鹿を両腕に抱えながら森の中を歩き続けた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
すでに疲労によって、息遣いが荒く、足取りも不安定になっているが、なんとか気力を振り絞って足を動かしていた。妹紅だけなら、休み休み歩くこともできたが、あいにく彼女に休むだけの猶予はなかった。
「はぁ……まだ、生きてるよな」
妹紅は腕の中にいる子鹿に言葉を掛けるが、抵抗はおろか、鳴き声ひとつ上げない。
時間が経つにつれ、徐々に体温が低くなり、呼吸が小さくなっていく。獣医や医者の知識がない妹紅にも、今この子鹿が辛うじて生きているのが分かった。
「はぁ……はぁ……絶対にシシ神のところに連れてってやるからな」
妹紅は奥歯を噛み、ひたすら足を動かした。今の自分にできるのは、シシ神の御池を目指して歩くことだけだ。
「……っ?」
ふと妹紅の視界にコダマの一団が目に入った。コダマたちなら今までもずっと周りにいたが、その一団は、まるで三途の川を渡る幽霊のように列を作って並び、先頭は幹についた蔦を伝うように木の上に登っている。
薄暗い森で光苔や光虫が青白く輝き、小さな森の精霊たちが列をなす光景は、まさに幻想的だ。
『この子たちの母親よ』
影狼が言っていた言葉が過る。妹紅は、その列を作っているコダマ達のいる方へ足を向けた。もし、目の前の樹が昨日来たときに見た時の樹なら、シシ神の御池はすぐそこである。
「たしか、こっちだったよな……よし!」
シシ神の姿を目にして後を追った方向を思い出して、妹紅は走り出した。
あの時と同じように木々の葉を掻き分け、足場の悪さなど感じさせず、妹紅は跳ねるように駆け抜けていく。地を蹴る足取りは力強いが、子鹿を抱える両腕は優しい。茂みの枝が引っかからないよう守っている。代わりに、自分の頬を枝が引っ搔いて、赤い血の線が走るが妹紅は構わずに走った。
ひたすら走ること、しばらく。やがて視界が開け、目の前に澄んだ水たまりが現れる。周辺には見覚えのある樹々と大岩。池の水で冷えた、ひんやりとした空気が肌を撫でる。
目的地であるシシ神の御池に辿り着いたと、妹紅は理解した。そして呼吸を整えながら空を見上げる。環状にぽっかりと開いた木々の隙間から見える薄暗い空には、ちょうど月が昇っていた。
池の岸に沿って歩き、妹紅はここに来た目当てを探す。意外にも、目当ての神様はすぐに見つかった。
その鹿の神に、妹紅はゆっくりと近づいていく。ある程度まで近づくと、鹿神は池の水面に付けていた顔を上げて妹紅へ顔を向けた。
「……シシ神」
池の岸辺に立っているシシ神に話しかけるように、妹紅は神の名を呟いた。
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……つづく