もしも東方projectの世界にシシ神がいたら 作:ジョン・N
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共に生きよう。
会いに行くよ ヤックルに乗って
――映画『もののけ姫』アシタカの台詞より
辺りの木々から鳥たちの鳴き声とコダマたちの音が響く。
シシ神の御池のほとりで目覚め、しばらく妹紅は途方に暮れていた。右腕の呪いの痣が消え、憑き物が取れたような安らかな表情で腰かけながら、陽が差した池の水面や森の風景と、自分の周りを歩き回る子鹿を眺めている。そして時折、呪いの跡の残る右腕を見つめていた。
その心はポッカリと穴が開いたようだった。だが、不安や虚無感はない。むしろ、夜明けの空気のように清々しい。
やがて、妹紅は大きく深呼吸をすると、手を空へ突き上げて、下すと同時にそのまま大の字で仰向けになった。見上げると、常緑樹の作る天井の穴から澄んだ青空が広がっている。まるで妹紅の心情を表しているかのようだった。
「さて……これから、どうするかな」
目を閉じた妹紅は、これからのことを考える。
もともと長く同じ場所に留まれず、妖怪退治をしながら放浪していた妹紅だが、ここ最近はずっと右腕の痣を消すことに執着していた。長い時間を生きる蓬莱人にとって、生きる目的は衣食住よりも大切なものだ。それがここに来て、すっかりなくなった妹紅は、少し頭を悩ませた。
また放浪の旅を続けるか。あるいは一度人里に下りてみるか。それとも……。
妹紅の顔に自然と笑みがこぼれる。ふと、寝そべっている彼女は、何かに頭を優しく突かれた。目を開けて見ると、子鹿が覗き込むように見下ろしていた。もちろん、子鹿に妹紅の心情など知る由もない。純粋な眼差しを向けられ、妹紅はさらに笑みを深めた。
「クスっ……まあ、まずはお前の親でも探してみるか。そうだな、その後は、影狼と慧音に礼でも言いに行こうか」
妹紅は立ち上がって、服に付いた苔を払う。この広い諏訪の森で親鹿を探すのは容易ではないが、そんな無茶も、今の自分にはちょうど良い。
子鹿は小さく首を傾げたが、やがてゆっくりと歩みを進め始めた。木々の葉を揺らし、池のほとりを穏やかな風が抜ける。妹紅はその風を追うように、子鹿の後を付いていく。
振り向くことなく、妹紅は森の中へと去っていく。その背後にあるシシ神の御池では、水面に波紋が広がった。
妹紅は森の奥へと消え、その姿は木々に溶けていった。
***
それから千年ほどの月日が経った。
長い放浪や様々な暮らしを経て、やがて妹紅はある場所に定住するようになった。その場所の名前は『幻想郷』。
結界で隔てられた山奥の辺境の土地、幻想郷。東の果てにあるその土地には、様々な環境で多くの妖怪や神々が暮らしている。
霧の湖、魔法の森、迷いの竹林、妖怪の山、そして冥界に天界、地獄などなど。あるところでは巫女と鬼が、別の場所では吸血鬼と魔法使いが、また他の場所では天狗と河童が、時に“異変”を起こしつつも、豊かに日々を生きている。
数少ない人間も、その土地で里を作って平和に暮らしていた。
その人里の近くに、妖怪の夜雀であるミスティア・ローレライが経営する屋台がある。彼女の屋台は幻想郷に棲む人間や妖怪が集まる憩いの場所となっている。その味も、天狗の新聞や人里の評判で絶品と好評だ。
夜空の下、赤提灯の明かりが屋台の開店を知らせる。ミスティアはいつも着ている茶色スカートの上に前掛けをつけて厨房に立つ。鼻歌を歌いながら八目鰻を捌いたり鍋を煮込む彼女の姿は、絵になるほど様になっている。タレの焦げる匂いと炭火のはぜる音が、通りがかった客の食欲をそそる。
ある日、そんな酒処の屋台にてミスティアが仕込みをしていると、二人のお客がやってきた。
「よぉ、やってるかい?」
「いらっしゃいませぇ。あ、妹紅に慧音じゃない。これはまた珍しい組み合わせ、でもないか……どうぞ、座って」
「お邪魔するよ」
やってきたのは妹紅と、人里の寺子屋で先生をしている上白沢慧音だった。
二人は暖簾をくぐり、席に着く。里に馴染みのあるものならば、よく目にする組み合わせだ。この屋台で酒をかわすことも多く、店主のミスティアも、常連となった二人に慣れた様子で接客する。
「今日は何の帰り?」
「散歩のついでだよ。そしたら慧音に捕まってさ」
「捕まえた覚えはないがな」
「なるほど、いつものパターンね」
妹紅の言い回しに、慧音とミスティアが苦笑する。どうやら今夜も、夕餉代わりに飲みに来たようだ。
二人は酒を飲み、ミスティアの作った食事を楽しみ、お互いの近況や世間話に花を咲かせる。時折、ミスティアも話に加わって、小さな屋台に三人の笑い声が響く。
やがて、ふとミスティアの視界に“気になるもの”が映った。
「あれ? そういえば妹紅、その手の痣……ていうか怪我、どうしたの? 何かにぶつけた?」
「ん? あぁ、これか?」
ミスティアに訊かれ、妹紅はお猪口を持った右手に目を落とす。酒のせいか、顔はほんのり赤みを帯びている。口調にもどことなく酔いが感じられた。
「そういえばミスティアには話したことなかったっけ。これは、遠い昔についた怪我の跡さ」
「えっ! でも、妹紅って不死でしょ? 怪我なんてしてもすぐに元通りに治っちゃうんじゃ?」
「まぁな。けどコイツだけは何回死んでも消えないんだ。切り落とされても、燃やされても、この跡も一緒に治っちまう。まるで私の魂に刻まれてるみたいにな……」
「へぇ……」
煩わしげでもなく鬱陶しげでもなく、何かを懐かしむような眼で跡を見る妹紅に、ミスティアは不思議に思い、首を傾げる。
「そういえば、この跡ができたのは、慧音に言われたことがきっかけだったかな」
「えっ!」
「こらこら、紛らわしい言い方するんじゃない。それじゃあまるで、私が嵌めたみたいじゃないか」
妹紅はからかうように口元を緩めながら慧音を見る。ミスティアは驚くが、当の慧音は笑い返して酒を口につけた。その跡が何なのか、どうしてできたのか、慧音には以前話したことだった。
「気になるなぁ……ねぇ、良かったら聞かせてよ」
「うん?」
ミスティアの期待した眼差しに、妹紅はどうしようかと悩みながら酒を飲む。
「構わないけど、別に面白くはないぞ?」
「いいよいいよ、全然大丈夫! ついでにいっぱい飲んじゃってよ。あっ、何だったらもう一品なにか作ろうか?」
「お前なぁ……」
「ちゃっかりしてるなぁ」
三人はお互いにくすくすと笑い合う。夜も更けてきて、そろそろ帰路についても良い頃合いだが、妹紅はまだ飲み足りないような気がした。隣で飲む慧音も、特に止めようとする素振りはない。むしろ妹紅が話すのを待っているようだった。
「まぁいい……じゃあ、話そう。私と慧音が初めて会った時のこともあわせてな」
「あまり飲み過ぎるんじゃないぞ?」
妹紅は杯を傾け、自分の過去を懐かしむように口を開く。慧音とミスティアは、彼女の穏やかな声に、しばらく耳を傾けた。
「大昔、東の果てに“金色の鹿”がいたんだ……」
そして夜空の下、妹紅は語る。今もどこかにいる神々を、忘れぬように……。
そして妹紅は はるか幻想の果てで 月の姫と出会う
その瞳にやどるのは 復讐か 清澄か
だが共に生きよう 世界が終わるまで
――詠み人知らず『妹紅せっ記』より
おわり
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