もしも東方projectの世界にシシ神がいたら 作:ジョン・N
つづいた。
ありがとうございます。
太古の昔、とある島国の内陸部にある“諏訪”という土地。その土地のほぼ中心に、諏訪湖と呼ばれる大きな湖がある。森と山に囲まれたその湖のそばでは、人間たちが村をつくり、一柱の土着神と共に豊かに暮らしていた。
ある時、その村人達の間で、とある“噂”が流れるようになった。その噂の発端は、芝刈りに出た青年だったか、あるいは湖の周りで遊んでいた子供達だったか。今となっては、もう定かでない。
「森を歩いていると、人の顔をした鹿に会った」
「真夜中に森の方を見ると、山のように大きな巨人がいた」
「森の中で休んでいると、折れた足がパタリと治った」
「きっと土地神様のおかげだ」
「備蓄の米を盗んだ泥棒が湖の浜で死んでいた」
「きっとミシャクジ様の祟りだ」
噂は友人や隣人へと伝わり、やがて子や孫へと伝わっていった。伝わっていくにつれ、その真偽や詳細は曖昧になっていった。
だが、噂は語り継がれ、やがて“噂”は村の中では誰もが知る“伝説”となっていった。
【諏訪湖の水につかれば、ミシャクジさまの恩恵が与えられ、あらゆる傷や病を癒してくれる。しかし、邪悪なるものがつかれば、ミシャクジさまの祟りで命を落とす】
“伝説”は、今もなお、村人たちに語り継がれている。
しかし、火のないところに煙は立たないように、その伝説は全くの嘘というわけでもなかった。
***
連なる濃い緑の山々に囲まれた諏訪湖は、まるで上空の青空をそのまま映したかのような、鮮やかな青さをひときわ際立たせていた。太陽の光が差し込むと、水面がゆらめきながら輝き、神秘的な美しさを見せる。水面を覗き込むと、透き通った水の中に、ゆらゆらと揺れる藻や水草がはっきりと見える。
その湖の底には、土着神が住む本殿にあたる社がひとつ、ひっそりと鎮座していた。
「……うーん」
その社の中で、諏訪の土地神である洩矢諏訪子は、ひとり頭を悩ませていた。
近頃、諏訪湖の水は他の湖に比べてやけに澄んでいる。もともと特別に汚れていたわけでもないが、ここ二、三百年の間でさらに清らかになっているのを、長年この土地にいる諏訪子は感じ取っていた。ひょっとしたら自身が住む社も、今なら水面から見えるかもしれない。
加えて、周辺の山や森も緑が濃くなり、生命が溢れている。木々は青々とした葉を茂らせ、幹も太くなった。山菜や木の実も、以前より豊かに採れるようになっている。
「……うーん、うーん」
湖の水が綺麗になって自分の社も過ごしやすくなり、森の恩恵を受けて村人たちも豊かに暮らしているが、いずれも自分のやったことではないだけに、諏訪子はどこか腑に落ちずにいる。
おかげで、村の近くにある拝殿に村人たちが参拝しているのを見ると、前より素直に喜べなくなった。
「うぅぅ……ぬぅん」
頭を傾けすぎて、諏訪子はついに床にゴロンと倒れた。
腑に落ちないことではあれど、それだけで済んでいたら、まだ良かった。だが、諏訪子の悩みはそれだけにとどまらない。
もうひとつの悩みは、村人の間で広まった“伝説”だ。
噂が広まり始めた当初は、そのうち風化するだろうと考えていた。しかし諏訪子のその考えは甘かった。風化どころか、村人たちは噂を信じてなにかと諏訪湖の浜辺や浅瀬にやってきては湖に浸かった。それで何もなければ噂も迷信になると思いきや、湖に浸かった者たちの体は皆、回復へと向かい元気になった。
結果、諏訪湖の噂はすっかり村で真実のものとなり、“ミシャクジ様の伝説”として語り継がれるようになった。
自分は何もしていないのに、村人たちは何故か、それをミシャクジ様の御業と見なしている。諏訪子にはそれがどうにも気に入らなかった。
「はぁぁ、あの
床に転がった諏訪子は、大の字になって仰向けになった。
この一連の現象が何によるものかは、諏訪子にはもう分かっている。
数百年前に、どこからかやってきた鹿のような姿をした自然神、シシ神。
あのシシ神が諏訪に来てからというもの、森は豊かになり、諏訪湖の水は綺麗になっていった。森ではコダマが賑やかに音を鳴らし、年々獣は大きくなっていき、漂う空気は濃くなっている。それに影響されるように、湖の水も清らかになっていった。
それら自体は決して悪いことではない。だが、自分が治める国……それも住処である湖が変えられていくような感覚に、諏訪子は不満を募らせていた。
「むぅぅ……なんだか最近、のさばってるよねぇ、あのシシ神」
口をへの字にしながら、諏訪子はしばし天井を見つめていたが、突然くるりと身体を回して勢いよく立ち上がった。
「ま、ちょっと顔見せに行こうかな。ここが誰の縄張りか、忘れちゃったのかもしれないしね」
軽く笑いながら、諏訪子は社を後にした。霊体に水の抵抗などなく、諏訪子は水中を飛ぶように移動して水面へと浮かび上がる。
昼間とあって、湖の中にも日の光が射している。水面から伸びる光は、まるで雲の切れ間から射し込む『天使の梯子』のように水中を照らしていた。
チャプンと水音を鳴らして、蛙を模した帽子と共に諏訪子は水面から顔を出す。
ふと、すぐ横に何かの気配を感じた。
「あっ」
顔を横に向けて、そこにいた者の姿に、諏訪子は思わず声をもらした。
目の前では、水面の上に立つシシ神が、表情の読めないニヤケ顔で諏訪子を見ていた。